第26話 いつかは壊れる
「何、やってるの……?」
翌日の祝日。 雅臣はとにかく、健と一緒に実家へ帰った。
昨日の話を総合して考えると、父親が家を売ると言い出した理由に、見合い相手が絡んでいる事は間違いなかった。 へたをすると父親は、借金を肩代わりする気なのかもしれず、そうなればもう騙されているとしか思えないので、雅臣も健と一致団結し、再婚を反対する者として闘う事を心に決めたのだった。
とりあえず二人で相談した結果、父親をどうにか説得して冷静になってもらおうという、作戦とは到底言えない結論に達した。いい知恵を搾り出せるほどのパワーが残っていなかった為だ。
とにかく、母親の思い出がいっぱいつまった家を、売るのだけは絶対に止めさせる! という固い決意を誓いあい、二人は今日に備えて散会した。
そうして、居間に入って開口一番、雅臣は父親に対して冒頭の質問をした。 と言っても、家を売る事について、いきなり問い詰めたわけではない。 あんなに綺麗に片付いていた居間が、足の踏み場が無いほど荷物に溢れ、割烹着に身を包んだ父親が、その散らかった部屋の真ん中に埋もれていたからだ。それを見て思わず聞いた質問だった。
「ん? なんだ、雅臣。 来てたのか」
「来てたのかじゃないよ! なんだよこの部屋。 一体どうしたの?」
「うーん。 ちょっと昔の物を整理しようと思ってな。 しかし、なんだか大事になってしまったな……」
父親が辺りをぐるりと見回した途端、やり過ぎたと自分でも思ったのか、しきりに頭を掻く。それを後ろで見ていた健が雅臣に耳打ちした。
「先生、やっぱ本気で家を売る気だ……」
それを聞いて、雅臣は青ざめる。もうすでに事が始まっていると知って、気持ちが焦り始めたのだ。
「と、父さん……話したい事があるんだけど……」
「ん、なんだ? ……今、ちょっと手が離せんから、後にしてくれ」
「いや、とっても大事な事なん……わぁ!」
説得しようと思って前に進んだら、足元でパキンと音がした。何かを踏んづけたらしい。慌てて足を上げると、スリッパの下に陶器で出来た小さな犬を見つけた。 半分に割れて、無残な姿になっている。よく見るとそれは、雅臣が母親の為に、修学旅行で買ってきたお土産だった。
「オイオイ! 気をつけてくれよ。 大事な物が一杯あるんだぞ」
腰に手を当て、仁王立ちする父親に怒られた。
「ごめん。…………なさい」
こうなると、父親に対して強気で話し合いの場に持ちこむことが出来ない。健が渋い顔でこちらを見てくる。居たたまれなくなった雅臣は、ガラクタと化した陶器のゴミを捨てに、ひとまず台所へ逃げた。
失敗した……。 悔やみながらも雅臣は、とにかく台所の隅に置いてあるゴミ用分別ストッカーのペダルを踏んだ。蓋が開いて中身が見える。乾電池や蛍光灯などが捨てられており、キチンと分別されていた。 ……へえ、オヤジ、分別できるんだ。 えらいな。
率直に思ったところで不審な物を発見した。新聞紙の塊だ。 手に取ってそっと開けてみると、中から思わぬ代物がでてきた。
「オヤジ! オヤジ!」
慌てて新聞ごと、その品を居間に持ち込んだ。中身が見えるように父親に向けて広げる。
「これ! どうしたんだよ!!」
「ん? ああ、それか。……昨日、落として割ってしまったんだ」
雅臣の手の中にあったのは、父親が愛用していたあの湯のみだ。しかも真っ二つに割れている。
「まあ、形あるもの、いつかは壊れるという事だ」
やけにサバサバとした父親の言い方に対し、雅臣は戸惑っていた。
あんなに大事にしていた物なのに……。家といい、湯のみといい、何だか父親が急に母親を忘れたがっている気がしてならなかった。呆然と立ち尽くす雅臣に、健がそっと耳元でささやく。
「おばさんが……怒るなって」
え……母さん。
予想していたとおり、母親は父親の側にいたようだ。さして怒ってもいない様子に、母親の方も、本気で父親の再婚を望んでいるんだなと、改めて雅臣は思った。……ただし、川原和美は対象外だ。
困惑している雅臣を放ったまま、父親は作業にさらに没頭し始めた。そんな父親を見て、どうしようか……と、健と顔を見合わせて無言で悩んでいると、家の呼び鈴が鳴った。久々に聞いたチャイムに、雅臣の体がビクリと跳ねる。
「ん、誰だろう? ……すまんが雅臣、ちょっと出てくれ。 今、手が離せん」
アルバムらしき冊子を抱えた父親が、アゴで玄関を指し示す。 その動作にムッとするものがあったが、大人気ないので素直に従う事にする。健に湯のみを預け、雅臣は玄関に向かった。
もう一度チャイムが聞こえたので、意思表示に大きめの声で返事をする。 無礼がないよう、慌てて玄関の扉を開けた。 ……そして、その人と目があった瞬間、雅臣は度肝を抜かれてしまった。 目の前に立っている人が、いつかの写真で見た“川原和美”その人だったからだ。
* * *
「連絡もせずに、突然すみません」
客間に通された川原が、頭を下げた。
「いえいえ、そんな事構いませんよ。 それより今日はどうしたんです?」
川原の謝罪に対して、ニコニコした笑顔で父親が答えた。
雅臣はというと、父親のとなりで不機嫌さをそのままに座っていた。息子だと簡単な紹介をしてもらったが、川原はさして自分に興味を示さなかった。金ヅルにしか興味がないのか? そういう態度に、益々川原に対して不信感を抱く。
「実は、昨日のお詫びに……。 どうか、これを受け取ってください」
そう言って差し出したのは、有名デパートの紙袋だ。
「え? 何ですか? これは……」
「湯のみです。 ……昨日は、大切なお湯のみを割ってしまって、本当に申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げる川原に、雅臣は驚愕な面持ちで見つめてしまった。
……まさか。 この人が湯のみを割った犯人だなんて!!
とんでもない真実に、雅臣は絶句する。 いや、落ち着いて考えてみれば、やりそうな事だ。亡妻の大切な思い出の品と知っていて、わざと割ったにちがいない。 その場に居たわけでもないのに、雅臣にはありありとその場面が脳裡に浮かんだ。 目の前に座る悪女に対し、沸き立ってくる怒りを抑えるのに必死になる。
「いや、そんな、お気遣いなく。……欠けて捨てようと思っていた物ですから」
……なんだとぉぉ!!
父親のセリフにも驚愕した。捨てるなんて言葉が出てくるなんて思わなかったからだ。これはもう、完全に川原に付け入られている。 この人の何に惚れたのかわからないが、とにかく父親は、川原に傾倒しているようにしか見えない。……マズい、このままでは非常にマズい。そう思うが、どうしたらいいのか、すぐには名案が浮かばない。
「代わりは無いとわかっておりますが、どうか、受け取ってください。 お願いします」
「あー、いや、まあ……そうですか? それなら、遠慮なく頂きます」
……い! 頂くのか?!! 待て!待て!
頭を掻いて悩む姿を見せたのに、素直に受け取る父親に雅臣は仰天する。
「何だ? どうしたんだ? 」
父親が受け取った紙袋に、思わず手が伸びて返却しそうになった。それを見た父親が怪訝な顔で雅臣を見つめてくる。
「いや、あの、その、なんて言うか…………よ、よかった、ね。 新しい湯のみを買わなくて済む……」
ああぁ。 これぞ墓穴を掘るというやつか。 喜んでどうするんだ……。 雅臣は頭を抱えて悶絶したくなるのを必死にこらえた。
「それと……今日は、お話しがあってきたんです」
なにぃぃ!! まだあるのか!!
このまま、川原のペースで進めてはいけない。そう思った雅臣は、どうすればいいのかさらに必死で考えた。 本人を目の前にして、父親に冷静になれというのも失礼である。
「実は、申し上げ難いんですが……」
申し上げ難いと言われると、今の雅臣には、借金の事だとしか思いつかなくなっていた。
……マズイ!! 言わせてはダメだ!!! どうせ金の無心に決まっている。そう思った雅臣はひとり焦った。 川原が、言いよどんだ先を継ごうとしたその瞬間、思わず自分も口を開いてしまったのだ。
「川原さん!!」
思わず出した雅臣の大声に、場が一瞬で固まる。 二人とも驚いて、雅臣を見つめた。
……ええーい!! ままだ!!
ゴクリと唾を飲み込んで、覚悟を決める。
「……借金があるって本当ですか?」
父親はまさに開いた口が塞がらない状態になり、川原は驚いた顔で雅臣を凝視していた。
「お、お、お前、な、な……!!」
息子の余りの無礼に父親は言葉を失った。 ところが質問された当の本人は、驚いた顔もすでに無く、それどころか、雅臣に対して微笑み返してきた。
……この人、悪女の器が違う。
全く動じていない川原に対し、雅臣は背中に冷水をかけられたかのように、薄ら寒くなった。 このままではやられてしまう。 一瞬、負けを認めそうになった雅臣は、わずかに残った闘志を、再び燃やして気合いを入れなおした。
「借金があるのは本当です」
川原は悪びれた様子もなく、雅臣に向かってそう認めた。 父親の顔を確認すると苦い顔をしている。
「先生。 今日はその事でお願いをしに伺ったのです」
きた! 金の無心だ。 雅臣の心臓が早鐘を打つ。 なんとしても反対するぞ。 そう意気込んだ雅臣は、姿勢を正して身構えた。
「昨日の今日で、こんな事、本当に非常識なんですが……」
……いつだろうが関係ない! 借金の肩代わりなんて絶対させない!
雅臣の目はすでに血走っていた。 川原はそんな雅臣など気にも留めずに言葉を継ぐ。
「お見合いの話を、白紙に戻してもらえないでしょうか……」
「「え?!」」
思ってもいなかったセリフに、親子揃って驚きの声をあげてしまった。
「昨日は、借金があっても関係ないと仰って頂きましたが、やはり、このまま話を進めるわけにはいかないと思ったんです」
そう言って、川原がここに来てから初めて顔を曇らせた。
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