表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/32

第22話 愛だの、恋だの


 こうやって実家の居間で差し向かいになって、父親と煎茶を飲むなど何年ぶりの事だろう……。慣れない環境に雅臣は何だか腰が落ち着かないでいる。どうやって話を切り出そうか、雅臣が始めのセリフを考えていると、隣に座っている健が、無神経にもバリバリと音を立てて、のんきにお茶請けの煎餅を食べ始めた。無性に腹が立つ。 雅臣が隣に気を取られている隙に父親が先に口を開いた。


「どうしたんだ? 急に帰ってきたりして……何かあったのか?」


 父親の心配は理佐の件だろう。 しかし、あれから何の連絡もない。


「いや……別に。 何もないよ。……連絡もないし」


 隠しても仕方がないので素直に伝える。


「……そうか。 まあ、そんなに早く解決する問題じゃない。 気長に待ちなさい」


「……わかってる」


 再び沈黙が降りた。 ……バリバリと煎餅の咀嚼音だけが、やけに大きく響く。


「健さ、少し静か……」

「あれ。 先生の湯のみ、欠けてるじゃん」


 空気を読めと注意しようとした矢先、健が緊張感の欠片もない声で指摘する。指差した湯のみは、たしかに縁が小さく欠けてあった。


「ああ、ちょっと洗ってる時にすべってな……」


「あぶなくないっすか? ……新しいの、買って来ましょうか?」


「いや、大丈夫だ。 まだ使えるから」


「ええ! でも、唇切っちゃいますよ。 俺、先生にぴったりのカッコいいやつ買ってきますから」


「ほんとに、大丈夫だよ」


「遠慮しないでください!! プレゼントしますって!!」


「いらないって言ってるだろ!  いや……必要ないから大丈夫だよ」


 健を最後に制したのは、父親ではなく雅臣だった。 別に健にイジワルをしたわけではない。新しい湯のみを買ってきても、おそらく父親は欠けた湯のみを使い続けるとわかっていたからだ。


 見た目も悪く、重くて使いづらい湯飲みを、欠けてもなお父親が使い続ける理由はただ一つ、母親の手作りだからだ。 側面に描かれた青いピースマークが、手作り感をより一層際立たせている、そんな唯一無二の品だった。


 湯飲みにどうして『チョキ』のイラストなのか? そう母親に尋ねたら、『うさぎ』だと怒られたのを雅臣は今でもよく覚えている。 ……怒った母の顔が思い出されて、懐かしくなった。……すぐ横にいるのだけれど。


 食器棚には、赤いうさぎと緑のうさぎが描かれた湯飲みが、使ってくれる主人を失ったまま眠っている。それを思い出すと何だか雅臣は切なくなった。 愛着を持って湯飲みを使い続ける父親に、なおさら見合いをしろなどと言い出しにくくなる。



「……なんか、ごめんなさい」


 どちらに気をつかったのかわからないが、謝った健がシュンとなる。


「健 ……ありがとうな」


 優しく答える父親の顔は、患者の子供を見る目と同じだった。 雅臣には一度も向けられた覚えのない顔に、思わず横を向いて視線を外す。今更、羨ましいなどと思いたくもなかった。


「お、そうだ。 お前たち、桃を食べていきなさい」


 手を打って唐突な提案をする父親にびっくりした。 ……モモ? え、桃?


「美味しい桃をたくさん貰ったんだ。 一人で食べきれないから丁度困ってたんだよ」


 立ち上がって台所へ向かう父親。 雅臣は傍らに置いてある風呂敷包みを見た。 視線を隣に移すと苦笑いする健がいる。


「いきなり桃作戦、失敗じゃん。……ククク」


 健が小さな声で笑ってくる。


「うるさい」


 伯母に可愛い息子と辱められた時間を返して欲しいと思った。しかしここで簡単に諦めてしまうわけにはいかない。桃を預かったのだ。 幸い、こちらの桃は伯母が自慢するほどの高級ブランド桃だ。そこらのスーパーの桃と一緒にされては困る。逆に言えばそこしか勝機がない!と雅臣は心積もった。


 ところが、盆に盛られてきた桃を見て、思わず「ジーザス!」と叫びそうになる。緩衝材に包まれた立派な桃は、傍らの桃に引けをとらない名品に見えた。並ばれた時点でこちらの負けである。


「オーマイガット!! こりゃ太刀打ちできない一級品だわ!」


 せっかく雅臣が飲み込んだセリフを、健が替わりに漏らす。不審がる父親に、慌てて健の背中を叩いた。ゴメンゴメンと健が手を顔の前に立てて謝る。 しかし、作戦を考え直さなければならない事に変わりはない。 ……とりあえず、桃を食べて、父親がご機嫌になってから考える事にする。



 しかし、そんな余裕は全くなかった。果物ナイフを手にして桃を剥き始める父親に、雅臣はとにかくハラハラさせられたのだ。父親がこんなにも不器用だったとは……。雅臣は素直に驚いていた。しかも、その心配事が的を得てしまう。「替わろうか」と声を掛けた途端、「イタ!」と小さな声をあげ、父親が桃を落とした。手を切ったのだ。


「お、オヤジ! 大丈夫か?! 」


「いや、いや、大丈夫。 ちょっと切っただけだ。……これぐらい舐めてれば直る」


 切ったのが恥ずかしいのか、テーブルの下に手を隠す。


「医者のセリフじゃねーだろう。 健、救急箱とってきて」


「ウィース!」


 勝手知ったる家だ。すぐさま目的の場所へと健が走り出す。雅臣はむりやり手を上げさせ、父親の傷を確認した。本人が隠したくなるのがわかるぐらい、傷は浅かった。 ホッと胸を撫で下ろす。


「消毒してやって……」


 戻ってきた健に父親を任せ、雅臣は落ちた桃を片付けた。


「すまない」


「先生、不器用っすね。 びっくりしましたよ」


「……それは、雅臣がいきなり声を掛けるからだ」


 口を尖らした父親のいい訳に、雅臣は驚いた。……あまりに子供じみていて、健が吹き出している。


 突っかかるのも逆に子供じみているので、敢えて聞かないふりをした。替わりにナイフを受け取って、雅臣は新しい桃を剥き始める。食べやすい大きさに切り分け、皿に移した。


「さっすが! 雅臣は手先が器用で、包丁裁きが上手いよね」


 健が褒め囃す。雅臣は一人暮らしを始めてから、時々、健に夕飯を作ってやっていた。 と言ってもたいした物は作れない。切って煮込むとか炒めるのが関の山で、手の込んだものは面倒なので作らない。だから、レパートリーも数えるほどだ。


「先生知ってる? 雅臣、魚も下ろせるんだよ」


「そうなのか?!」


「五年も自炊してたら、誰だってできるようになるよ。…………どうぞ」


 フォークを添えて、桃をのせた皿を二人の前にだした。父親がジッと皿を見つめる。


「どうしたの?」


 不審に思った雅臣が皿を確認した。しかし、特に何も見当たらない。するとポツリと父親が零した。


「同じ一人きりの五年を過ごしたというのに…………父さんはまるでダメだな……」


 不意に口をついた父親のセリフは、とても悲しげに聞こえた。俯く父親に、どう声をかけていいかわからなくなる。 沈黙が親子の関わりの無さを、無情にも際立たせた。


「えええぇ! 言っても、そんな美味くないっすよ。……雅臣の料理」


 そんな空気を切り裂くように、健が雅臣を茶化す。


「う、うるさいよ。 食べさせてもらう分際で、エラソーに言うな!」


「えへへへ。 そらそうだ」


 雅臣は健に怒ってみせたが、もちろん内心は在り難かった。 彼のさり気ない優しさが、こういう時に身に染みる。


「あ! チョぉー美味いぞ。 この桃」


 桃を一口食べた健が、驚きのあまり目を瞠る。 話題を変えてくれたらしい。その様子を見て父親が嬉しそうな笑顔を見せた。


「一個が相当高いらしい。 ブランド桃だな」


「こんな高い桃、先生どうしたの?」


「川原さんと言う方に頂いたんだ」



 ……川原? え、 川原って



「川原和美さん?」


「ん? 雅臣、知っているのか?」


「あ、いや、その…………伯母さんから聞いて」


「……ったく。 姉さんは相変らずオシャベリだな」


 間違いないらしい。見合い相手から桃を送ってくるなんてどうなっているんだろうか?思わず健と顔を見合わせてしまう。 切り出しにくい話を健が聞いてくれた。


「川原さんって…………お見合い相手ですよね」


「ああ。 まあ、断ったんだけどな……。 なのに、その翌日に桃が送られてきたんだ。びっくりして電話したら……」


 父親が言いよどむ。 ……何があった? 気になるじゃないか! じれったさに耐えかねて、雅臣は先を促す。


「したら? 何?」


「笑われた」


「は?」


「愛だの、恋だので、連合いを探す歳でもないでしょうに……ってな」


 顔の印象どおり、川原さんは豪傑なお方のようだ。


「まいったよ。 ……まさにその通りだからな」


「べ、別にいいじゃん。 好きな人と結婚するのが一番大事だろ」


「お前の歳ならな……」


「と、歳は関係ないだろ」


 なぜだか雅臣は父親を擁護した。自分の行動に首をかしげる。


「……そんな事言ったら、父さん一生ひとりきりだぞ」


 父親は笑っていたが、雅臣はそのセリフに胸を痛めた。側にいるはずの母親は、どんな気持ちでこれを聞いているのだろうか……。何もない空間にちらりと視線を泳がす。



 ため息を一つついて、雅臣は質問する。


「会うの? ……その人と」


「そうだな……。さっき、帰る前に姉さんに電話した。 日曜日にこちらに来てくれるらしい」


「マジっすか!!」


 驚いたのは雅臣でなく健だ。慌てたように雅臣に小声で耳打ちしてくる。


「雅臣! 写真! しゃしん!」



 ……なるほど。 顔を見ていない可能性があるのか。それは頂けない。



「と、父さん。 相手の方の写真は……」


「ん? ああ、あるよ。 お前達も見るか?」


「あの顔を見てるんですか!!」


 慌てて健の口を塞ぐ。気の利いた事も言うが、気の利かないセリフが多いのも健だ。父親が、明らかに不審な眼差しを向けてくる。


「な、なんでもない。 す、すごく 見たいなぁ――」


 セリフが明らかに上擦った。そんな雅臣を、眉間にシワを寄せて見つめながら、父親が写真をとりに立ち上がる。 すかさず健の横腹に一発入れておく。


「イテ!! ご、ごめん。思わず……な?」


 気持ちは分かるが正直すぎる。なぜだかため息が洩れた。


「にしても先生にはびっくりだな。 あの顔とお見合いするかね……うげぇ!」


 健の素直な感想に、もう一発、横腹に入れておいた。



読んで下さってありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ