第18話 人間とは困った生き物だ
「お前、あの子の父親になるつもりなのか?」
車を走らせて最初の質問がそれだった。雅臣にもはっきりとした決意があるわけではない。とにかく何もわかっていない状況で、軽々しく頷くのも無責任に思える。
「それは……なんて言うか……わからないよ。…………けど、理佐を助けたい」
「……そうか」
父親がどう受け取ったのか、表情ではわからない。しかし、それ以上聞いてはこないようだ。 車の中で沈黙が続く。痺れを切らした雅臣が逆に質問した。
「さっきの何だよ。 不倫ってどういう事?」
「……彼女、名前は“市井理佐”さんだ」
「は?」
「……瀬名は旧姓だそうだ」
前を向きながら父親がそう話す。雅臣は父親の言いたい事が理解ができなかった。離婚したって名前を戻さない人もいるし、子供がいればなおさらだと思う。
「……それがどうしたの?」
「結論だけ言えば、彼女は離婚していない。……いや、出来ずにいると言った方がいいだろう」
「え? ええええ!! なんで? どうして?」
「簡単に言うと、佑太くんの親権で揉めているんだ」
とても簡単とは思えない障害に、雅臣は言葉を失った。
「雅臣も、市井病院を知ってるだろう?」
「え! ま、さか……」
「彼女は、そこの跡継ぎ息子の奥さんだ」
さらに追い討ちをかけられる。……市井病院と言えばかなり大きな病院だ。ハッキリ言って太刀打ちできる相手と思えない。 突然名乗りを上げた巨大な敵に、ただ唖然としてしまった。
「な、ど、え? や、その……」
我に返っても、雅臣の頭は依然パニック状態で、もはや自分が何を質問したらいいのかもわからず、言葉がおかしくなった。
「少し落ち着け……。 大丈夫か?」
そう言われて、初めてアタフタしている自分に気がつく。 深呼吸してとにかく気持ちを落ち着かせた。
「この先は、理佐さんから聞いて知った話だ。本当は本人の口から直接、お前に説明したかったそうだが、事情が複雑で言えなかったんだと思う。……それでも聞きたいか」
その質問に対し、雅臣は一瞬考えた。 どのみち、ダメージの許容範囲はとうに越している。眠れない夜に変わりは無いのだ。だったら、すべてをちゃんと知って理佐を救ってやりたい。雅臣は力強く頷く。
「聞きたい」
少しの躊躇いの後、ゆっくりとした口調で父が語りだした。
「彼女の子供は、当然のように生まれた時から、病院の跡継ぎとして英才教育を受けさせられた。それも、そのすべてを義理の母親が仕切っていて、理佐さんは子育てに参加させてもらえなかったらしい。母親なのに満足に抱かせてももらえなかったと聞いたよ……」
いきなりなんて酷い話だ。 雅臣の眉間にしわが寄る。
「しかも、替わりに彼女に待っていたのは、次期病院長の妻としての仕事だ。医者の奥様会だの教授先生の接待だの、どうでもいい事に振り回されて、息子の異変に気付くのが遅れたんだ。気がついたら息子が、みんなのいないところで吐き戻すようになっていた。相当のストレスを受けていたんだろう。……可哀想に」
……あの子の心情に寄り添ったのだろう。父親が苦々しい顔で運転を続ける。
雅臣も目の前にいる父親から医者になるよう強要された。それでも幼い頃は自由だったし、母親にも十分甘えさせてもらった。そのせいで医者に成れなかったと言われればそれまでだが、そこまでして医者にならなければいけない理由がわからない。跡継ぎだからといって未来を決め付けられるのは、子供としていい迷惑だと強く思う。
「気付いてからすぐ、彼女は決断を下した。即、ダンナに離婚を申し立てたんだ。なのに結果としては、話を聞きつけた義母に息子を取り上げられてしまったんだ。出て行くなら一人で出て行けと言われたらしい」
「な、なんだそれ! あんまりじゃないか! だいたい離婚した時って、普通は母親が子供を引き取るモノだろ! 医者の家だからって、幸せとは限らないじゃないか!」
雅臣が自分の過去とダブったせいか、ムキになって理佐を擁護する。敵は父親ではないが、医者は全部同じ人種に見えた。
「ダンナが不貞したわけでもなく、息子の件もあくまで教育であって虐待じゃない。さらに優秀な弁護士が間に入ってみろ……そんな一般的見解なんて簡単に覆されるさ」
不条理な話だが、雅臣は何も言い返せない。世の中そんなモノで溢れかえっている。
「彼女に迫られた選択は二つ。 離婚して子供の事を忘れるか。家に戻って子供の側で出来るだけ守ってやるか……だ。 どちらにしてもあの子の環境が変わる事はない」
ああ、神様を呪ってやりたくなる。……そう思いながら雅臣は膝の上の拳を握り締めた。
「それでも彼女は母親だった。そのどちらも選ぶ事はせずに、あの子の為だけを思った。隙を見て佑太くんを連れて家から逃げ出したんだ。……そして見つからないように身を潜めて、親子二人で生活を始めた。」
赤信号に捕まって、緩やかに車が停車する。 父親がひとつため息をついた。
「あの子が小学校に上がるまでの少しだけでも、家から解放してやりたい……そう彼女は願ったんだよ……普通の子と同じようにしてあげたいと。だから、当たり前の様に自分の事は二の次にしていたんだろう……お前が現われるまではな」
話し出してから初めて、父親が雅臣を見た。突然降って湧いた自分の登場に、知らなかったとは言え、雅臣の中に罪悪感が芽生える。
「人を好きになる気持ちは、自分でコントロールできないからな……。 人間とは困った生き物だ」
遠まわしに理佐の事をバカにしたモノ言いに、雅臣は思わず噛み付いた。
「彼女は悪くない! 俺が! ……俺が何度も交際を申し込んだんだ。だから……」
無理強いしたつもりはないが、諦められずに何度も気持ちを伝えた。そんな過去を思い出し、とんでもなくマズイ事をしていたんだと、今更ながら深く反省する。
「お前が悪いわけじゃない。彼女が言わなかったんだ。仕方ないだろう」
そうだとしても、雅臣は、一体彼女の何を見ていたのか。苦しんでいる事など、全く気付けなかった。守ってあげたいと言っていた自分に呆れかえってしまう。 ……雅臣は、余りの自分の不甲斐なさに、怒りを通り越して、涙がでてきそうになった。
「彼女、最後に言っていたな……離婚したいって。 家出したばかりの時は離婚できなくても構わないと思っていたらしいが…………まあ、誰かのせいなんだろうな」
……返す言葉も見つからない。 雅臣の口がへの字に結ばれる。 それでも、理佐が自分を好きでいてくれた事が嘘じゃないと知って、不謹慎ながら心が熱くなった。
「とにかく、この先どうするのかを決めるのは彼女だ。お前じゃない。しかも彼女は母親だ。子供よりお前を選ぶなんて事、期待するんじゃないぞ。 絶対ありえない夢話だ」
言われなくてもわかっている。どうしてわざわざ人を谷底に突き落とすのか……益々、雅臣の口がへの字になる。 信号が青に変わって父親がアクセルを踏みこんだ。
「彼女の結論を待てないなら、愛想が尽きたとメールで送ってやりなさい。その方が、彼女も悩みが減って喜ぶだろう」
トドメとばかりの辛辣な言葉に、話してくれた感謝の気持ちがどこかにふっ飛ぶ。
「うるさいな! 余計な事言うなよ」
今まで素直に耳を傾けていたが、ちょっとした一言ですぐに喧嘩腰になった。
「……余計ついでに言っておくが、それ以外のコンタクトを彼女と取ろうとするなよ」
「そんなの、わかってるよ!!」
自分が側に居れば、不倫相手と見なされる。それでなくても離婚に不利な状況なのに、雅臣がトドメをさすような事をするわけにいかない。
というか、他人の奥さんだったなんて……。
子供がいると知った時も相当ショックだったが、自分が不倫をしているなんて想像もしていなかった。……雅臣は、自分が理佐に殆んど何も知らされていなかったと言う事に、改めてヘコまされた。
しかも、この先、父親の言うように何も出来ずにただ待つしかない状況だ。待つより動くタイプの雅臣にとって、何もしない事ほど辛い事はない。そう思うと雅臣は、深いため息をつくしかなかった。
結局、その後の雅臣は、会話をする事もなく、ただ助手席で悶々と過ごした。そうこうしているうちに、車がゆっくりと路肩に停車する。
「ついたぞ」
顔を上げると、いつの間にか雅臣の自宅前だった。その瞬間、雅臣がふとある事に気が付く。
「……送ってくれて……どうも」
「別に、ついでだ」
父親は気付かないらしい。 質問をぶつけて見る。
「俺、ここに越してきて、まだ二日なんだけど……」
「……だから何だ?」
やっぱり気がつかない。
「どうして知ってるの? ……住所」
「…………」
父親の疲れて窪んだ目が大きく見開いた。 そして慌てて前を向く。そのわかりやすい行動に雅臣は追尾をかけてみた。
「俺、言ってないよね」
「いや……それは、 その……なんだ」
父親がグダグダに崩れていった。 それにしても、本気で情報が筒抜け状態だ。しかもその筒は、光ファイバー並みに高速である。 余りの情報伝達の早さに雅臣は呆れるしかなかった。
「あのさ…… あまり鈴木のおじさんに迷惑かけるなよな」
「め! 迷惑なんてかけてないぞ! 幸太郎が勝手に」
「はいはい」
ムキになる父親を制した。これ以上は喧嘩になる。
「これからはさ、……ちゃんと連絡いれるようにするから」
そう言って助手席のドアを開けた。どうせ筒抜けなら自分で言った方がマシだと思ったからだ。他人伝えだと変な尾ビレが着いて、返って迷惑する。車外に出ると、その背中に声がかかった。
「連絡だけじゃなくて…………たまには帰ってこい」
振り返るとソッポをむいた父親が口を尖らせていた。
「……機会があったら」
ドアを閉じると車はすぐに走り出した。素直に帰ると言えないのは、左頬がまだ痛むせいかも知れない。
読んで下さってありがとうございます。




