第16話 違うんですか!!!!
小さな頃から母親が、雅臣にずっと語りかけてきた事がある。
「雅臣がお腹に入ってくれたから、お母さんはお父さんと結婚できたのよ。だから雅臣はお母さんの一番の宝物なの」
嬉しそうに話してくれる母親に、雅臣も笑顔でかえす。そんな微笑ましい思い出がとても懐かしかった。幼い頃は、セリフ最後の“宝物”という言葉に得意気になっていた。しかし、物の分別がつく頃にはそれが逆転し、前半の内容に「恥ずかしいから止めて下さい」と断りを入れるようになった。そんな思い出も遠い日の笑い話だ。
簡単に言えば、雅臣は結婚前に授かった小さな命であり、それによって婚姻に至るという、今で言うところの“できちゃった婚ベビー”だった。
望まれて生まれてきたのだから、それ以上を希望するのは贅沢というものだ。まあ、順序良く生まれてこれれば尚さらよかったね……ぐらいの気持ちであって、その事で両親を責めたことはもちろんない。大人になれば、なおさら事情を察してやれた。
ところが、二十五年もの月日を経て今、再び父親が同じ事を繰り返そうとしている。さすがに二度目となると話は別だ。……ヤツには学習能力というものがないのだろうか? 仮にも医者だろう。 節操がなさ過ぎる。 どうして踏むべき手順を疎かにするのか?
思い出と怒りが、雅臣の頭の中をぐるぐると駆け巡っている。おかげで衝撃だった理佐の問題もダメージが半減したような気がする。例えるなら頬を思いっきり叩かれて驚いた瞬間、向こう脛を蹴られて涙しているうちにどちらが痛いのかわからなくなってしまった感じだ。ただ、痛覚が麻痺しているだけで、総合的ダメージ数値が増えた事には変わりがないのだけれど。
「へえ、そうなんですか……。年末の忙しい時で大変ですね」
「うん。ちょっと心配かな……」
車の前方では会話が弾んでいる。健は仕事柄、初対面の人と会話をする事に慣れていた。とにかく必要な情報を集めたいと、雅臣も二人の会話に意識を戻す。
「性別はわかってるんですか?」
「まだ、聞いてないの。お楽しみは取っておくタイプだから」
性別はわからないのか……………ふ――ん、9月に挙式…… あれ。 え?
「もうすぐじゃないですか!!」
とんでもない情報が耳に入って、雅臣は思わず声に出してしまった。後ろから声が突然上がったので渡井がびっくりする。
それにしても二ヶ月後に挙式が迫っているのというのに、自分の耳には何も話が入ってきていない。これはさすがにおかしい。運転席の健も、話の内容に驚いて返事に困っていた。これはもう、遠まわしに聞いてる場合ではないと覚悟を決める。
「あの、失礼ですけど。お腹の子の父親って……」
「え?」
突然、雅臣が会話に参加してきたので渡井が戸惑う。
「うちのオヤジなんですよね?」
「えええええ!!!!」
「違うんですか!!!!」
「当たり前じゃないですか!!」
たしかに。冷静になって考えたら、当たり前に違うはずだ。どうしてこうなったんだ?
* * *
渡井と話を突きあわせた結果、雅臣たちがかなり勘違いをしていた事が判明した。とにかく、父と渡井京子との間に医師と看護師以外の関係はなかった。強いていうなら、結婚が間近に迫ったそのお相手は父が紹介した人物らしく、そういった意味で公私ともにお世話になっていて、なおかつ返事をせまっていたのは、結婚式のスピーチを頼んでいたそうだ。今日の会食も、婚約者と二人で父にお願いしていたらしい。
「それにしても、どうしてそんな勘違いを?」
渡井の問いに、そもそもの原因を考えた。…………母親だ。
母親は何を見て脈ありと勘違いしたのか……。後でまた懇々と叱ってやらねばならない。生きている時もそうだったが、死んでまだなお早合点な性格だとは……。
同じように考えていたのか、健も大きなため息をつく。そういえば、雅臣は母が車に乗っているのかどうかを健に聞くのを忘れていた。
「あの、ちょっと、父の再婚相手を探してまして……」
「え? そうなの? ……ていう事は、私は候補者だったの?」
「……すみません。 失礼ですよね」
「まさか。 先生のお相手に選んでもらえるなんて、光栄な事だわ」
意外な反応に雅臣は驚いた。どうも昔から父親は、看護師や患者に人気があるのだ。
「だけど、小奈戸先生は再婚なんてしないと思うんだけど……」
……俺もそう思ってますけど。 思わずそう返事しそうになるが、母親がいるかもしれないので黙っておいた。
「亡くなられた奥様の事、未だに大切に想っているでしょ?」
……母さん。聞いてますか? これが客観的意見ですよ!
とりあえず、視えないけれど、隣の空いてる席に目線を向けた。
「でも……親子でお互いの結婚相手を心配してるなんて……おもしろいわね」
渡井が突拍子もない事を言うので、雅臣は驚いた。
「どういう意味ですか?」
「え? そのままよ。 小奈戸先生ったら、最近息子に好きな相手が出来たとか……結婚したいらしいとかって、まるで高校生の子供を心配してるみたいで、凄くおかしかったんだけど……フフフ……笑っちゃいけないわよね」
そう言いながらも、渡井の語尾は笑いに包まれていた。雅臣の顔が真っ赤になる。
「あの……それ、いつの話ですか?」
「ん? えっと、二月程前? ……から、ずっとかな」
……ちょっと待て。 なんでそんな前から、筒抜けなんだ??
前から不思議だと思っていた事が雅臣には幾つもあった。何も報告していないのに、父親は曰く付きアパートの住所も知っていたし、就職先も内定時に知っていた。それ以外にも沢山ある。
……なんだ? どうやって調べているんだ?
というか、結婚うんぬんは自分の気持ちだ。 誰にもこの事は言ってないのに。
「なんで……そこまで」
雅臣は、思わず声に出していた。
「ごめん。……たぶん俺だと思う」
小さな声の主は運転中の健だった。
「な!! オマエ!! 裏切ったのか!!」
「ち、違う違う!! 流したのは俺の父ちゃんだよ!!」
二人の父親同士も、仲の良い飲み友達だ。
「やたら父ちゃんが、雅臣の事聞いてくるからさ、俺も怪しいって思ったんだ。問い詰めたらやっぱり!……俺から聞いた事、全部先生に報告してやんの」
嬉しそうに健が話す。それを見て雅臣は思わず怒りを露わにした。
「だったら、オマエが俺の事を漏らすなよ!!」
「え?! だって!!」
健が言い返してくる。
「父ちゃんが先生に恩返ししたいって言うから……それ言われたら俺、反論できないもん」
同じように雅臣も何も言えなくなった。 事情がわかるからだ。
「あ、俺、小さい頃から体が弱くて、小奈戸先生にお世話になりっぱなしだったんです。先生、ああいう人だから、夜中でもお構い無しに俺を診にきてくれて……」
健が事情のわからない渡井に説明する。
「だからウチの両親、先生に凄く感謝していて、先生が困ってたらなんでもやっちゃうんですよ。…………マジで父ちゃん達さ、探偵ばりの活躍で雅臣の事リサーチしてたぜ」
後半は後ろの雅臣に向けて語りかけていた。
「元患者の家族を使うなんて……やる事が卑怯なんだよ」
「雅臣」
健が軽く叱る。
「お前がまったく家に帰んないから、先生が心配するんだろ。そういう言い方するなよ」
「…………」
健の指摘に、雅臣は何も言い返せない。 それでも大事な疑問が残っていた。
「でも……俺、結婚の話なんか、お前にもしてなかったよな……」
「え? あ、その辺は俺の推測? 」
「はあ?」
「だって、カバンに結婚雑誌が入ってたら、そう思うじゃん」
「な! オマエ! 見たのか!!」
「へへへ」
……お前だって、立派なリサーチ部員じゃないか。
助手席でクスクス笑う渡井のために、車を止めたのは間もなくの事だった。
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