33、謁見
聞こえないようにこっそりとついたつもりだった溜息を聞き咎められて、春菜は苦笑いを浮かべた。
「どうかいたしましたか?」
不思議そうに尋ねる八菜女に、首を横に振って、春菜は居住まいを正した。
やはり、この着物は着慣れない。
綺麗だとは思うが、やはり動きにくい。
裳が足に纏わりつくようでどうにも歩きづらい。
考えようによっては、歩幅の制限される着物の方が動きにくいのだろうが、それでも春菜は袍の下に履くまるでスカートのようなこれが苦手だった。帯もなく、上着のような袍は、長紐で結ばれているだけのため、その意味では楽だったのがせめてもの救いだ。
「失礼いたします」
几帳の陰から、知らない女性の声が聞こえた。
「何か?」
対応したのは、八菜女で、春菜は黙ってそのやり取りを眺めていた。
何やら、無闇に春菜は返事をしない方が良いらしかった。
一度、外から声をかけてきた采女に、八菜女よりも早く返事をしてしまったことがあった。
あの時は、八菜女からやんわりとはしたない、と諌められたのを覚えている。
この部屋も、几帳という綺麗な色に染め上げられた布で出来た衝立や、御簾に囲まれていて、ろくに外の景色も見えなかった。
「春菜様、有間皇子がいらしているようです。今お通しいたしますね」
柔らかい微笑みを浮かべて八菜女は耳打ちするようにして、春菜に伝えた。
その微笑みにつられて、春菜も思わず笑みを浮かべてしまったが、その直後に八菜女が含みを持たせたような笑顔を浮かべたのを見てすぐに後悔した。
「よろしかったですね」
からかうようにして、でも嬉しそうにそう声をかけてきた八菜女に春菜は、思わず動きを止めた。
何か、誤解されているような気がしたが、それを確かめる前に、御簾を上げて有間が入ってきた。
思わずうらめしく思って有間を見ると、有間は不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「…何でもない」
有間はさらに首を傾げたが、すぐに春菜の前に腰を下ろした。
「大君から呼び出しがあった」
唐突な一言に、驚いて春菜は有間を見た。
「今日?」
「ああ。叔母君はどうしても、春菜に早く会いたくて仕方がないらしい」
吐き出すように言う有間は、春菜の知らない顔で。
返答に詰まる春菜の様子に気付いたのか、有間はふわりと微笑んだ。
「こらえ性のない叔母で、申し訳ないのだが、今夜遅くなってしまうが行かなければいけなくなった。八菜女、夕餉の後に春菜の準備を頼む」
「承知いたしました」
静かに八菜女が返すのを満足気に見て、有間は言葉を続けた。
「それと、少し春菜と二人きりで話しがしたい。人払いを頼む」
それにも八菜女は静かに頭を下げると、優雅な身のこなしで立ち上がった。
それを見送ってから、有間は改めて春菜に向き直った。
「急で悪かったね。旅の疲れも取れていないと言うのに。ああ、所作については、気にしなくても良いよ。大君には簡単には事情を説明している」
「え、でも、良いのかな。いや、ちゃんとしなきゃダメと言われても、礼儀作法なんて分からないんだけど…」
仮にも一国の主に会おうとするのだ、作法を気にするな、と言われてもどうしても気になる。
「大丈夫だ。春菜は気にする必要はないよ。ただ、大君が、春菜に会って何を話したいのかが、少し気になってしまって」
「何を、話すか?」
「ああ。本当は、私も何のために叔母が春菜をここに呼び寄せたのかは知らないんだ。私は信用されていないからね。ある程度の想像はつくが…まあ、おおよそ当たっているだろうけどね」
皮肉めいた笑みを浮かべる。
それが、有間らしくないような気がして、気になった。
「前にも話したことはあるよね?力を使える者は朝廷にとって貴重だと」
それに春菜はこくりと頷く。
「だからこそ、立場も危うい。叔母は春菜が自身の権力の弊害になると思えば、おそらく亡き者にしようとするだろうし、使えると思えば、籠絡して良いように使える駒とする。そのようなものだろう」
「亡き者…」
「ああ。でも、春菜は別に権力を欲しがる訳でもない。おそらく命の危険はないだろう。それに、ちょっとやそっとでは、私達のような人間は殺せない。いざとなれば逃げれば良い話しだしね」
安心させるようにして、有間はそう続ける。
「特に今は、私が唯一朝廷で力を使える力を与えられた者だ。叔母達は余程私の存在が恐ろしいのだろう。私に対抗出来る春菜のような存在は喉から手が出るほど欲しいだろう」
そう言うと、有間は少しだけ言葉を区切った。
「今、朝廷は危ない状態にある」
唐突にそう切り出した有間の表情は真剣なもので、春菜は黙ってこくりと頷いた。
「良いかい。朝廷は退魔師と対立していると言ったね?退魔師の勢力の方が、朝廷よりも優勢だ。私がいなければね。力は使えずとも、物の怪と戦う一族だ。朝廷の兵士ではなかなか太刀打ち出来るものでもない。それもあって、朝廷は表だって退魔師と戦おうとはしていない」
「退魔師の村も、平和そうだったしね…。大君への敵意はあったみたいだけど」
春菜は、村の様子を思い出しながら言う。
少なくとも、戦争をしているような、そのような殺伐とした雰囲気はなかった。
「ああ。朝廷で、対退魔師を滅ぼす目的で動いているのは、私だけだ。それは、戦力的な問題もあるが、私だけならば、もしもの時にも朝廷は私の個人的な行動だったと正当性を主要できるからだ」
「そんな…」
言葉をなくす春菜に、有間は薄く笑みを浮かべた。
「前に話しただろう?大君は私を殺したいんだ。退魔師に殺されれば、儲け物だ。退魔師は、最近ではもう物の怪で手一杯だ。わざわざ朝廷に刃を向けるとは思えない。朝廷が何もしなければ、このままの状態が続くだろう。目下、叔母の最大の脅威は私だ。つまり、春菜は叔母にとっては脅威にもなり得るが、手懐ければこれ以上ない強力な武器になる、そう言う存在だ」
こくりと頷くと、有間は心配気な表情を向けてきた。
「そこだけは忘れないでいてくれ。叔母が何を言うかは分からないが、それだけは春菜に分かっていて欲しかった」
「うん、大丈夫。忘れない」
真剣に、今聞いたことを肝に銘じ、春菜はそう答えた。
「じゃあ、後で迎えに来る」
言って立ち上がると、有間は不意に振り返った。
「もし、私に何かがあった時や、逃げようと思った時には退魔師の村に向かうと良い」
「え?退魔師の?」
「そして、彼を探すんだ」
「彼?時彦のこと?」
「違う。私が春菜を迎えに行った時にいた、体格の良い退魔師だ」
「梓彦?私を庇おうとした人のことだよね?」
確認すると、有間はそれに頷く。
「でも何で?」
時彦ならばともかく、まさか梓彦の名前が出てくるとは思わず、首を傾げる。
「何ででも、だ。もしもの時に思い出してくれればそれで良い」
それ以上何も言う気はないのか、そのまま部屋を出て行ってしまった有間を見送って、春菜は一人首を傾げた。
こっそりと溜め息を落として、春菜はそっと居住まいを正した。
大君との謁見のため、八菜女に支度をしてもらったものの、豪華なそれは、春菜を疲れさせるには十分だった。
綺麗だとは思う。
思うが、やはり機能的でないそれはやたらと動き辛い。
十二単でないだけ、まだマシなのかもしれない、と自分を慰めて、春菜は背筋を伸ばした。
春菜と有間が通されたのは、中庭に面した大きな部屋だった。
庭で焚かれている火に照らされて室内は明るい。
今回の謁見は本当に私的なもののようで、庭には武器を携えた警護の者達がいたが、それも大きな声で話さない限り聞こえないような距離にいるのみだった。
「その娘が春菜か?そのように畏まるでない」
澄んだ声に春菜は、有間に倣って下げていた頭をそっと上げた。
「有間、ご苦労であったな」
「とんでもありません、叔母上」
「いつもそちには無理ばかりを押し付けて、我も心苦しい。しかし、常に期待に答えてくれるそなたはほんに頼もしい」
「恐縮でございます。そのようにお心をかけてくださるだけで、私には十分すぎることです」
大君は、良く通る声で有間を労うと、すぐに春菜に視線を向けた。
「どれ、良く顔を見せておくれ」
言って、大君は、春菜のすぐ近くにまで来て腰を下ろした。
庭の炎に照らされる彼女は、美しい女性だった。
顔の端々に年齢による衰えは現れていたが、それでも彼女の美しさは健在している。
どことなく、有間に似た整った面差しは、優しげではあったが、抜け目のない、自信に溢れた眼差しには、こちらを伺うような視線があった。
「美しい。肌も髪も。在りし日の玉依姫は、このようなお姿であったかもしれんな。そう思わんか?」
「そうかもしれませんね」
答えた有間は、柔らかい表情ではあったが、目だけは真剣な色を浮かべていた。
「春菜とやら、簡単に有間から事情は聞いておる。難儀なことであった。少し話しがしたいと思っておったのじゃ。急に呼びつけでしまったが、二人で少し話しをせんか?」
「二人で、ですか?」
ちらりと有間に視線を送ってから、春菜はそっと聞き返した。
「そうじゃ。何もとって食おうと言う訳ではない、そう構えずとも良い」
優しげな笑みを湛えて言うと、大君はくるりと振り返った。
「有間、良いな?少し二人にしてくれるか?」
大君の問い掛けに、有間の表情がわずかに強張ったが、それも一瞬のことだった。
「……承知いたしました。ではまた後ほど、春菜を迎えに参ります」
深々と礼を取って、有間は、安心させるように春菜に少しだけ困ったような微笑みを向けた。




