31.御使い
その場から逃げる気にならなかったのは、少女達からは危険な雰囲気は全く感じられなかったからだ。
だが、それに完全に安心することも出来ず、すぐに逃げ出せるようにと立ち上がったまま春菜は少女達を見下ろした。
視線の高さを合わせようと思ったのか、少女達は、ふわりと浮き上がる。
あまりに自然な動きに、違和感すら感じさせずに少女達はくるくると春菜の周りに浮かぶ。
「人間じゃなかったら、何?」
身も蓋もない尋ね方だったが、他に言葉が思いつかず、浮かんだままに疑問を口にした。
少女はふわふわと楽しげに浮かびながら、同時に首を傾げた。
「かなたはなぁに?」
「わかんない。こなたはなぁに?」
「わかんない」
言い合って、もう一度首を傾げると、二人同時に春菜を見た。
「かなたとこなたはねー」
「主様にお仕えしているのー」
二人で言いあって、何が楽しいのか高い笑い声を響かせる。
「主様?主様って誰?」
「主様は主様」
「とーっても偉いの」
「とーっても怖いの」
くすくすと笑い合う二人の返答は要領を得ない。
見た目通り物言いもどこか幼い。
「主様がねー、仰ったの」
「姫様のお傍にいなさい、って」
二人で一つの言葉を器用に言い繋いで少女達は、春菜の周りをくるりと一周した。
「ねぇ、姫様って人違いじゃない?」
どう考えても、春菜には彼女達にも、彼女達の言うところの主様にも面識はない。
もちろん、姫様などと呼ばれる心当たりもない。
「ううん。姫様は姫様だよー」
「間違えないもん。絶対分かるもん」
口々に言われ、納得は出来ずとも、幼い二人に言ったところで埒があくはずもない、と半ば諦めの溜息をつき、春菜はどうしたものかと考えを巡らせた。
「主様からの伝言ですー」
不意に、思い出したように少女の片方が声を上げた。
途端に二人して真面目な表情になり、ぴたりと動きを止めた。
今までの幼さがなくなり、見た目は同じく五歳か六歳ほどの少女のままだと言うのに纏う雰囲気までもが変わったようだった。
「山末之大主神より、天津姫君へ申し上げる」
「これなる二人は風神の末席に連なるもの。微力ながら、力添えにはなることと思う。我もまた、変革を願う」
気高さすら感じる、どこか冷たい表情で、二人はつい先ほどまでの口調とはかけ離れた内容を紡いでいく。
神懸かりというのは、このようなことを言うのだろうか。
二人の話しでは神懸かりどころか、彼女たちは神そのものらしいが、春菜はそのようなことを考えていた。
真っ黒な長い髪に、黒い瞳。
それが更に彼女たちの真白の肌を際立てる。
その白い肌が、氷のような冷たさを連想させるのかもしれない。
揺らがない稟とした静けさに包まれた彼女達は、その見た目の幼さに似つかわしくない美しさがあった。
「だからねー」
歌うような独特の声にはっとすると、少女達はいつのまにか、幼さを取り戻していた。
「かなたとこなたは、姫様のお傍にいるのー」
にこにこと、無邪気な笑顔を浮かべて彼女達は言う。
おそらく、春菜が何を言った所でその事実は変わりはしないのだろう。
「二人は、その姫様のお傍で何をするの?」
「姫様の望むことをするの!」
二人同時に言い切った言葉には、微塵の迷いも感じられなかった。
それが、幼い子供特有の、これと信じた者、例えば親のような全幅の信頼を寄せる者に言われたことに、疑いを挟むことができないためなのか、それとも使命感故なのかは分らないが、彼女達には彼女達なりに貫くべき信念があるようだった。
「だから、かなたとこなたは、姫様のお傍にいるの!」
「こなたとかなたは風だからどこにでも行けるよー」
「彼方から此方まで、どこにでも二人で行ってたの!だから主様にかなたとこなた、って名前を頂いたのー」
「ちゃんと何でも出来るよー」
「どんなに遠いとこでもすぐ行けるのー」
口々に出来ることを言いながら、にこにこと二人は春菜を見上げる。
すごいでしょ、とでも言いたげに目をくるくると動かす。
「姫様は何をして欲しい?」
純粋に、役に立ちたいという気持ちが伝わってくる。
「ありがとう、でも私は姫様なんかじゃないわ。きっと主様、間違えてしまったんだと思うよ」
ゆっくりと言い含めるように告げると、きょとんと瞳を丸く見開いて、二人は同じ表情で春菜を見る。
「だからね、一度主様のところに戻った方が良いと思うよ?」
言い終わるか終らないうちに、二人はふるふると頭を振った。
「主様間違えないよー」
「それに、かなたとこなたも分かるもん」
全く春菜の言うことを聞き入れようとしない二人に、春菜は困ってどう言おうかと考えながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「あのね、でも私、二人に会ったのは山で一回だけでしょ?それに、主様ともお会いしたことなんてないの。だから、きっと人違いだと思うんだけど…」
会ったこともないどころか、まだ春菜が生まれてすらいない時代の住人に知り合いなどいるはずもなく、ましてや伝言を託される覚えなど全くない。
この春菜には判り切った事実をどう伝えれば、彼女達は受け入れてくれるのだろうか、と考え考え、ゆっくりと伝えるが、二人は意に介した風もなく、笑い声を上げた。
「そうよ。主様は、姫様にはお会いしたことないもの」
「かなたとこなたもなかったものー」
「会ったこと、ないの?」
二人の発言に驚いて問い返せば、二人は当然とばかりに同時にこくりと頷いた。
「でも、それじゃ姫様なんて知らないし、分らないんじゃないの…?」
「分かるのー」
春菜の中では、説明するまでもない理論が二人には全く通じないらしく、二人同時に迷いなく断言された。
「どうして…?」
それ以外にどう言えば良いのか分からず、そう尋ねた。
すると、二人は顔を見合わせてから、唐突に表情を消して春菜を見上げた。
「それは、人為らざるモノだから」
言葉を失って二人を見つめると、不意に笑顔が向けられた。
「だから、貴方は姫様!」
「だから、かなたとこなたは、ここに居るの!」
それ以上、反論のしようもなく、春菜は諦めて小さく頷いた。
歓声を上げて喜ぶ二人は、ただの幼い少女にしか見えない。
これからどうしたものか、と喜ぶ彼女達を尻目に思案していると、がたりと戸外から物音が響いた。
直後、扉が開き食糧を手にした有間が戸口をくぐった。
「春菜、食べ物を交換してもらってきた。まず、少し食べよう」
手にした藁で編まれた籠のような物を持ち上げながら、有間はそう口にした。
咄嗟に、かなた、こなたと名乗る二人の少女のことをどう説明したものか迷い、固まったまま有間を凝視する春菜に、訝しげに有間は首を傾げた。
「どうした?」
何か違和を感じて、返答に窮した春菜にさらに有間は不審げに目を瞬く。
思わず、春菜は横に立つ二人をまじまじと見た。
有間は、春菜から視線を逸らそうとはしない。
「春菜?何かあったのか?」
困惑を滲ませた声色に、春菜まで混乱を覚え、二人の少女と有間を見比べた。
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れたが、何かあったとしか思えない二人の幼い少女の出現をまるで無視したような態度に、何を言えば良いのか、言葉を見失ってしまったのだ。
「春菜?」
呆けたように虚空と有間を交互に見つける春菜に、さすがに心配になり、有間は春菜の肩を掴んだ。
「どうした?大丈夫かい?」
まるで二人の少女は目に入っていないような態度に、春菜の混乱はさらに増す。
「有間?え?…何で?え?」
系統立てて言葉を紡ぐこともままならずにいる春菜の耳を、少女達の鈴を転がすような声が打った。
「唯の人には、見えないの」
「だから、気付けない」
にこりと微笑んで言うと、少女達は有間の体に取りついた。
体重を感じさせない動きで、二人の幼い手が有間の腕に絡められる。
けれど、有間は全く気づく風もない。
良く見れば、少女達が触れた着物は、ほとんど形を変えることもない。
「ね?見えないでしょー」
くすくすと笑い合い少女たちは楽しげに有間の上でふわふわと飛ぶ。
「春菜!」
呆気に取られてその様子に目を奪われていると、思いの他すぐ近くで響いた声に驚いて有間に視線を戻した。
間近で見つめる心配気な表情に、慌てて、何、と返すと安堵と呆れをない交ぜにしたような声が返ってきた。
「体調が悪いのかい?ぼんやりとして…」
気遣わしげに眉を寄せる有間に、春菜は曖昧に微笑んだ。
「だい、じょうぶ…」
ふわふわと楽しげに揺れる少女達に半ば意識を取られながら、なんとかそう返す。
「見えるのはー」
「姫様だけー」
歌うように、笑い声を響かせながら、二人は言い合う。
姿どころか、声すら聞こえないのか、有間は全く間近で空を舞う少女たちに気づく素振りも見せない。
「私だけ…?」
思わず反芻するように、口の中で呟く。
「そーなの」
「力を使える姫様だけ」
「人には見えない」
「力を使えない、ただの人には見えないの」
尚も歌うように独特の調子で、二人は言う。
それに疑問を覚えて、春菜は首を傾げた。
「最初は、見えなかった…」
思い浮かべたのは、最初に少女達と邂逅した場面だった。
山の中、有間の供に囲まれ、車の中での出来事だった。
姿は見えずとも、声だけが響きそれに怯えたことを覚えている。
「でも声は届いたもん」
「それに、姫様はまだ目を覚ましてなかったんだろうって」
「主様がおっしゃってたの」
意味を考えるが、上手く飲み込めない。
「でも、有間は、力を使える…」
「足りないの」
「足りないの」
二人でそう告げると、少女たちはまた笑い声を響かせる。
何が足りないのだろうか、と考える前に、強く肩を揺さぶられ目の前で険しい表情を浮かべる有間に意識が戻った。
「春菜、誰と話している」
険しい表情を崩さずに、有間は春菜に問う。
「誰って…」
どう答えたものか、と少女に視線をちらりとやって、春菜は返答に窮した。
これ程はっきりと自分に見える存在が、違う誰かには、その存在すら認識できないことが、酷く奇妙で困惑を誘う。
「女の子がいるの」
どう説明しても、真実味を持たせることは不可能に思われて、結局春菜はただそう述べた。
なんとか、今月中に投稿できました。
次も近いうちに更新できる…かもしれません。
ようやく中盤に差し掛かろうかという頃です。
ええ、まだまだ序盤でした。
もうすぐ中盤。
そして終盤はまだはるかかなた…
今のとこ、50話はくだりません。
100話いないに収まるように努力します。。。




