29、三種の神器
す「ちょっと待って、大君?天皇陛下…一番偉い人ってことでしょ?何で私が?」
あまりにも何でもないことのように、有間が告げたため、春菜は事の重大さを理解するのに時間がかかり、わずかな間の後にそう尋ねた。
「そう、私の叔母だ」
相変わらず有間は、ふんわりとした雰囲気のまま言いい、暗闇ながら、迷うことなくしっかりと足を運ぶ。
自分でここまで来たとは言え、現在の居場所すらおぼつかない春菜とは違い、有間にはしっかりと方向感覚があるようだった。
「何で?」
混乱を鎮めようと必死になりながら、疑問を整理する。
暗闇の中、避けきれなかった木々の枝が頬を掠めたが、気にもならなかった。
「春菜のことが、漏れてしまって…」
言いにくそうに、言葉を濁す有間に、春菜は反応に困って、前を行く有間の後ろ姿を見た。
「どういうこと?」
意味がいまいち理解できずに、聞き返すと、沈黙が返ってきた。
後姿からは何も読み取れずに、聞こえなかったのか、と訝しく思い春菜は首を傾げた。
「有間?」
返答を急かすように重ねて声をかけると、ようやく答えが返ってきた。
「いや、春菜が力を使える事が、大君の耳に入ってしまったんだ」
やはり有間は振り向かないままにそう答えた。
「それって、私どうなるの…?」
重大な事に巻き込まれようとしているらしい、とようやく気付いて、春菜は幾分恐ろしく感じながらもそう尋ねた。
「悪いようにはしないだろう。力を扱えると言うだけで、朝廷にとっては貴重だ。神としての威光を体現しているからね。ただ、裏を返せば驚異にもなる。言動には十分気をつけた方が良い」
ようやく、有間は振り返ると、安心させるように微笑みを浮かべた。
「まあ、心配しなくても、大丈夫。私も出来る限り助けにはなりたい。ただ、おそらく叔母は、私と春菜をあまり近づけたくはないだろう。私たちが結託すれば、それこそ、朝廷の危機だ。春菜を籠絡しようと、叔母はやっきになるだろうね。とにかく、気を張っておくにこしたことはないよ」
「う、うん…」
「本当なら、巻き込みたくはなかったんだけどね…」
珍しく、本当に悲しそうな表情を浮かべた有間に驚いて、春菜は反射的に首を横に振った。
「いいよ、別に。いざとなれば、さっきみたいに逃げちゃえば平気でしょ?」
無理に笑ってみせると、有間もまた、どこか悲しげな笑みを見せた。
「ああ、それで良いよ」
「でも、どうして私の居場所わかったの?それに、何で、私が力が使えるって、漏れちゃったの?」
「それは、これがあったからね」
言いながら、有間は抱えていた鏡を春菜に見せた。
「それ、何?そういえば、ずっと抱えてたよね」
それどころではなかったために、今まで気に留めていなかったが、なぜ鏡を有間が持ち歩いているのかと春菜は首を傾げた。
丸い円形のそれは、いつも春菜が見る鏡ほどには澄んでいなかった。
暗がりのため、はっきりとは分からないが、表面は幾分くすんだような色をしていた。
分厚いそれは、人の胴ほどの大きさだろうか。
両手で抱えるほどの大きさはある。
前から見た分には、何の装飾も施されていないように見えるが、おそらく裏には手の込んだ装飾が施されているのだろう。
重さもいくらかあるようだった。
「鏡?」
首を傾げて覗き込む。
何の変哲もないそれを見て、有間を見上げる。
「そう。八咫鏡だ」
「八咫鏡?」
聞きなれない単語だった。
「八咫鏡も知らないのかい?」
驚きを含んだ調子で言われるも、全く心当たりはなく、素直に頷いた。
「八咫鏡は、皇族に伝わる三種の神器の一つだ。三種の神器は知ってるかい?」
「刀とかのだよね?名前だけなら…」
春菜は、テレビやら冷蔵庫やらの新三種の神器の印象ばかり強く、本来の三種の神器を全く知らないことに思い当たり、愕然とする思いだった。
「三種の神器は、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣からなる。これは、その一つ、八咫鏡」
「でも、それでどうやって探したの?」
「神器と言う程だ。まさかただの鏡と言う訳もない。昔はこの鏡を通して、玉依姫が、八百万の神とやり取りをしていたと言う。だからなのか、この鏡は、力を扱う者が現れると、光を放つんだ」
有間の言葉に驚いて、改めて鏡を見る。
しかし、今は何の変わりもないただの鏡で、自ら光ることはなかった。
「今は光らないさ。力を扱う者が生まれ落ちた時にのみ、一昼夜光を放ち続けると言うからね。本来なら、赤子が生まれた時に光るのだが、春菜の場合、聞いた日にちによると、こちらにきた時に光を放ったようだね。だから、私もそれは見た事がない」
「へー…」
しげしげと眺めてみても、やはりただの鏡のようなそれに、春菜はそっと手を伸ばした。
思いの他ほんのりと暖かみを帯びたそれに驚いたが、嫌な感じはしなかった。
「そして、これが八尺瓊勾玉だ」
言いながら有間は、おもむろに懐に手を入れると、首に下げていた勾玉の連なった飾りを外した。
「八尺瓊勾玉には、力を込めて使っていたらしいが、古いことだから、詳しくは伝わっていない。どちらにしろ、これらには力を扱うことの出来る者が現れた時に果たす、重要な役割がある」
言いながら、有間は八咫鏡の前に八尺瓊勾玉をかざした。
十個の半透明の不思議な光沢を持った白い勾玉が連なったそれが、鏡の前に垂らされた瞬間、不意に勾玉が明るい光を発した。
ぼんやりと、半透明な勾玉の内側から柔らかな朱色の光を発する。
「綺麗…」
思わず呟くと、光を発していた勾玉がふわりと浮き上がった。
かと思うと、先を何かに引っ張られているかのようにして、春菜の方を指し示した。
「こうやって、力を使える者を探索出来る。古くは生まれ変わった赤子の玉依姫を探すために使われていたらしい。最近では、全く使われていなかったが、こうやって、春菜の居場所まで、鏡と御統が案内してくれた」
「御統?」
「ああ、八尺瓊勾玉は別称が多くてね。八尺瓊之五百筒御統とも言うんだ。御統は首飾りと言う意味だね」
言いながら、有間は不意に春菜を振り返った。
真っ暗な森には、明かりは全く見えない。
有間の顔すらしっかりとは判別できない。
そのせいで、表情までしっかりと見てとることはできなかった。
「春菜…すまない」
ともすれば、下草を掻き分けていく音に紛れてしまうような声音だった。
「有間?」
聞き間違いかと思いながら、有間の表情を見るが、有間はどこか悲しそうな表情で春菜を見ていた。
「何を謝ってるの?さっきの事?」
「…それも、これからも。私は、春菜に会うべきではなかったかもしれない」
少しの沈黙の後にそうとだけ言うと、有間は春菜から視線を外した。
前を向いて歩く有間の背中は、まるで春菜を拒絶しているようで、話しかけることが出来なかった。
有間は、春菜が闇雲に降り立った山の中の位置をほぼ正確に把握していたようだった。
村に程近い森の中に繋がれていた馬は、村人に見つかることもなく、静かに主人の帰りを待っていた。
「退魔師に見つからなくて良かったね」
馬上に先に上がった有間に手を差し出され、春菜はそのまま馬の上に引っ張り上げられた。
「ああ。あのような逃げ方をすれば、近くに馬がいるとは思わないだろう。そもそも退魔師はあまり私を追わない。ほとんどの者が出会わないようにしているようだからね」
有間の前に収まり、視線が少し高くなる。
ゆっくりと急ぐでもなく、有間は穏やかな速度で馬を走らせた。
「このまま都に向かうよ。急ぐ必要は特にない。ゆっくり向かおう。山を越えるが、ゆっくり行ったとしても、四日もあれば…」
言いかけて、不意に有間は口をつぐんだ。
怪訝に思い、見上げると、何か思い悩むかのように前を見る瞳に行き当たった。
その瞳が、春菜を見下ろし、どこか不安を抱えたように不安定に揺らぐ。
「春菜、もし、もしも春菜が望むのなら、私は…」
最後まで言わずに、有間はまた春菜から視線を逸らし、前を見据えた。
きつく唇を噛み締めるのが目に入り、有間が何かを逡巡しているのだろう事が窺える。
有間が何を言いたいのかがうまく読み取れず、春菜は首を傾げた。
不意に、有間が笑い声を漏らした。
いつもの柔らかい微笑みではなく、自嘲の響きを含んだ乾いた笑い声だった。
「有間?」
先ほどから様子のおかしい有間に、春菜は控え目に声を掛けた。
「どうしたの?」
有間は、春菜の問いかけに、すぐには答えなかった。
規則的な馬の蹄の音と、腰から伝わってくる振動に身を任せながら、春菜は黙って返答を待った。
初めは恐ろしかった馬の背が、今では規則的な揺れも、蹄の音も時には心地よいと感じるまでになっていた。
衝撃をうまく受け流す方法もいつの間にか分かるようになってきていた。
久し振りの感覚には懐かしさすらある。
「すまない」
ぽつりと絞り出された言葉は、また謝罪の言葉だった。
それに少しばかり苛立ちを感じ、春菜は口を開いた。
「…ねえ、さっきからどうして謝るの?理由も言わずに謝ってばかりいるの、卑怯だと思う」
言葉を選ぼうと、考えたはずだったが、いつの間にか少し厳しい調子を含んだ声音になっていた。
「さっきだって、私には、有間は何にも話してくれない。何を謝ってるの?私に対して何かやましいことでもあるの?」
「…卑怯、か。その通りだ」
自嘲の色をそのままに、不意に有間が口を開いた。
「本当は、私は春菜を都に連れて行くべきではないと思っている。それにも関らず、私は春菜を迎えに来た。こうして、連れて行こうとしている。叔母に春菜を会わせるべきではないと、分かっているのに」
「でも、それは…」
有間のせいじゃない、と言いさした春菜を遮り、有間は続けた。
「そう。叔母の命だ。けれど、私が神器を持っていれば、そのまま叔母に背けば春菜はおそらくもう叔母に見つかることはなかっただろう。今とて、このまま都に向わなければ、それですむ事だ。それなのに、春菜にとって、良い事はないと分かっているのに、私は都に向かおうとしている。このまま、都に向かわず逃げても良い、と春菜に言う事すらできずに。卑怯であることも、憶病であることも否定のしようがない」
一つ、大きく息を吐くと、有間はもう一度春菜に視線を合わせた。
「春菜、私は都に向かうべきではないと思う。春菜はどうしたい?」
「どうして、大君に会うべきではないの?」
先ほどの話しでは、有間はおそらく身の危険はないと言っていたはずだった。
そもそも、王制とは程遠い民主制度の中で育った春菜にはうまく現実味を持って考えることが出来ないでいた。
「春菜は、必ず勢力争いの駒にされるだろう。力を持つことは、敵も作る。朝廷は人の皮を被った魍魎の巣窟だ」
これから先の事を予見しているかのように、有間は確信を持った様子で言う。
「…もし、都に行かなかったらどうなるの?」
「朝廷から追われるだろうね。ただ、神器はこちらにある。蝦夷の地にでも逃げ込めば、見つかることはないだろう」
有間の言葉に春菜は考え込んだ。
逃げることは、もう帰れないことと同義のように思えた。
なぜそう思ったのかは分からないが、逃げると言うことは、この世界で生きる決心を固めたということになる気がしていた。
それが、春菜に有間の言葉に頷くのを戸惑わせていた。
第一、有間にそれほどの負担をかけることが、春菜には心苦しかった。
朝廷で有間の立場が危ういことは聞いていた。
それでも、有間は今まで朝廷から逃げようとはしなかった。
それはつまり、留まり続けるそれだけの理由があったということなのだろう。
それを今、春菜が理由で朝廷に背を向けさせることが正しいことなのか、春菜には分からなかった。
「…分かんないよ。私、この世界の事も、朝廷の事も分らないんだもん。有間が朝廷に居続けた理由も、今朝廷に背を向ける理由も。でも、もし今朝廷に行かないで逃げたら、私もう家に帰れない気がする。だから、都に行きたい」
分からないなりに考えて出した答えに、有間は小さく頷いた。
「なら、都に行こう。出来る限りは助けられるように、私も気をつけてはいるが、気は抜かないようにした方が良い。都に着くまで、まだ時間もある。今の朝廷の勢力関係などは話しておこう。頭に入れておいた方が良いだろう」
それに、春菜は黙って頷いた。
あまりに漢字が多すぎて、もう駄目です。




