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千草の花  作者: 小夜
28/37

28、対立

凍えるような寒さすら忘れて、春菜はただ有間を見ていた。

有間は、ふわりと微笑むと春菜に手を差し伸べた。

「行こう、春菜」

梓彦も時彦も珍しく驚きのあまり呆けていたのか、有間の動きに我に返ったようにして春菜を背に庇った。

「何の用だ」

時彦の背に庇われ、視界を奪われた春菜の耳に梓彦の低い唸るような声が届いた。

「だから、迎えに来たんだ。君たちに用はないよ」

有間の静かな声が響く。

「おい、何してる。邪魔だ」

周囲には、退魔師が大勢いることを完全に失念していた春菜は、背後からかかった声に肩を震わせた。

「まずいな」

舌打ちとともに梓彦は言葉を吐き出す。

何がまずいのだろう、と思った時には既に遅かった。

一瞬、しんと静まり返った後に、どこかから、皇子、と呟く声が漏れた。

直後、悲鳴と怒号に溢れ返り、いつの間にやら、周囲から人が消えていた。

春菜たち三人と、少し離れて民家を背に立つ有間を取り囲むように人垣が出来た。

しかし、空いた距離とは反対にそこにいる全員が、恐ろしいほどの激情を目に宿していた。

一人一人の憎しみが、合わさり束になり、大きなうねりになってさらに凶暴さを増して有間に向いていた。

人の感情が、これほど恐ろしいと感じたことはなかった。

「有間皇子か」

声を発したのは、梓彦並みの体躯を誇る男だった。

人垣の前に出ると、彼は有間をにらみ付けるようにして見据えた。

問いかけと言うよりは、確認と言う感覚の強い言葉に、有間は薄く笑った。

「私は、残念ながら、朝廷の用で出向いた訳ではない。そちらが手を出さないのならば、私は特にこの村に何かしようというつもりはない。わざわざ大君のご機嫌伺いをする必要もないからね。もちろん、そちらが、手を出すのであれば、私も容赦はしないが。退魔師の村を潰したとなれば、大君も喜ばれるだろう」

有間の言葉に、男は黙り込む。

握り締める手に力が籠るのが見て取れた。

周囲を取り囲む男たちの大半は同じ反応であった。

しかし、基本的に大祓に武器を持ち込むことは許されていない。

その為、ほとんどの男たちは何も武器を手にしていなかった。

「村を潰すつもりがないなら、なぜここに来た」

男の問いかけは最もだったが、春菜はそれに身を固くした。

「落した物を、拾いに」

有間は、穏やかな笑みを浮かべたままにそう答えた。

春菜、と名前を呼ばれ、春菜は時彦の前に出た。

同時に、退魔師の間にざわめきが広がった。

「どういうことだ、時彦!」

すぐに広まった時彦への疑惑、不信は、時彦の血筋からしてもおさまりがつかないように見えた。

「騒々しい…。間者ではない。間者であれば、私がわざわざここに来るはずもない。そもそも間者を送りこむ必要が私にはない」

周囲の敵意をものともせずに、有間は言う。

いつの間にか松明を手にして人々が少し距離を置いて、有間を取り囲むようにしていた。

その炎に照らされ、有間の顔には不規則な影が揺らめいた。

「聞いてくれ!春菜は、時彦が物の怪に襲われているところを助けた娘だ」

染み渡る不信を拭うように、唐突に大声を上げたのは、梓彦だった。

低く良く通る梓彦の荒々しい声は、ざわざわとしていた退魔師を黙らせる。

有間は特に何を言うでもなく、面白がっているかのように梓彦を見ていた。

「その後、時彦はこいつに遭遇し、怪我を負わされ、その時に春菜は一度連れ去られた。それを助けだして、ここまで連れて来た、それだけの経緯だ。春菜自身は退魔師の側でも、朝廷の側でもない」

言って、梓彦は春菜に視線を向けた。

その視線に言葉を失い、春菜はただ梓彦の目を見た。

梓彦の感情がうまく読み取れなかった。

悲しげな、何かを畏れているような、不思議な色合いを浮かべている目は、何かを悟り、覚悟を決めた人の目のようだった。

静かな、落ち着いた目に、なぜか恐ろしさを感じて、春菜は梓彦の着物の裾を掴んだ。

「梓彦…?」

何を言ったものか分からず名を呼ぶと、梓彦は落ち着かせるように、春菜の頭を二、三度軽くたたいた。

「そう言う訳だ。特に春菜を連れて行った所で、退魔師に不利益はないはずだ」

有間の声にはっとすると、いつの間にか有間は春菜たち三人の目の前にいた。

柔和な表情で笑みを浮かべる有間の顔が、松明の光に照らしだされる。

中性的な美しさを持った有間は、独特の存在感を放っていた。

その存在感に圧倒されたようにする退魔師達をぐるりと見回して、有間はさらに笑みを深めた。

「今、我々が戦うのは、得策ではないはずだ。おそらく、どちらもただでは済まない。特に退魔師にとってはそうだろうね」

一歩前に進むと、有間は時彦の隣に立った。

時彦は、隣に立つ有間に目線を向けようともせずに、虚空を睨んでいた。

有間もまた、時彦には目を向けず、片手で一抱ほどの鏡を抱き、もう片方の手を大きく開くようにして退魔師たちを見回した。

「私は春菜さえ連れ帰れればそれで満足だ。退魔師にそれを邪魔だてするほどの理由はあるか?もちろん、私が憎いと言うなら、受けて立とう。しかし、かなりの確率で私は生き残り、退魔師は大きな痛手を受けるだろうね」

有間の姿は、正に人々を統べる者のようであった。

独特の存在感を放つ恵まれた容姿。

人の注目を浴びることに動じず、優雅な美しさすら感じる身のこなし。

全てが、人の関心を引かずにはすまない何かを持っていた。

それに気圧されたように退魔師達はただ有間を凝視していた。

武器もないままに相手にできるような相手でないことは十分理解しているのだろう。

誰も動こうとはしなかった。

けれど、有間に対する敵意は揺らぐこともなく、鋭さを増していた。

きっと、と春菜は唐突に思った。

有間がここにいる時間が長くなればなるほど、退魔師との衝突は避けられなくなる。

そのうちに、憎しみが武器もない不利な状況だとか、そういったことすら意味をなさないほど大きくなる。

そうなる前に、出来るだけ早く離れなければ、と突然の衝動に、梓彦の前に出ようとしたが、それを察した梓彦に留められた。

「梓彦、私行くから…」

困惑してそう告げるが、梓彦は振り返ろうともしなかった。

「なぜ、止める?」

同時に聞こえた有間の声は、梓彦に向けられたものではなかった。

何が起こったのか瞬時には理解できなかった。

時彦が殴りかかろうとするかのように、動いた。

右腕が大きく振りかぶった。

しかし、同時に有間がそちらに視線を向けた、それだけで時彦は有間によって地面に倒されていた。

「時彦!」

思わず大声を上げる。

「有間、止めて!私一緒に行くから!」

「大丈夫。殺しはしない」

安心させるように笑みを見せると、有間は時彦に向きなおった。

退魔師は誰も助けようとはしなかった。

声を上げる者すらいない。

どこか冷めたような目線だった。

「春菜は同意したようだけど?」

地面にうつ伏せの状態で、顔だけ上げて時彦は有間をにらみ付けた。

「この状況で春菜が断るわけがないだろう?俺は、本当に春菜が望むなら止めぬ」

それに一瞬、有間は寂しげな表情になった。

本当に一瞬の内のことだった。

一番間近にいた時彦以外の誰も気付かないほどのわずかな時間。

「ちょっとこちらにも事情があってね。どうしても春菜を都に連れていかなければならなくてね。手段は選んでられない」

極小さな声だった。

時彦にのみ聞こえるほどの。

最後には、自分自身に言い聞かせているような、そんな響きの言葉だった。

「他の退魔師たちは特に異論はないようだ」

何の動きも見せない取り囲む退魔師達を見て、有間は苦笑めいた笑いを浮かべた。

「有間!行くから、時彦を放して。時彦も、止めて」

必死な様子の春菜を抑えたのは、やはり梓彦だった。

「有間皇子」

低い声に、有間は顔を梓彦に向けた。

「初めて見る顔だね。何だ?」

「悪いが、春菜は渡せない。これは俺一人の意志だ」

背中しか見えない春菜には、梓彦の表情を窺い知ることはできなかった。

ただ、酷く梓彦の行動に混乱していた。

「春菜が、どれ程行くと言っても、俺は認めない。行かせてはならない」

春菜自身のため、と言うよりも、言うなればもっと何か大きなものへの義務か使命のようなものを感じさせるものだった。

「俺は、春菜を知っている」

「梓彦?」

梓彦が何を言っているのかが分らなかった。

急に恐ろしくなって、春菜は梓彦の着物を引いた。

さきほどの、梓彦の目を思い出していた。

「お前も、知っているんだろう?なおさら、渡す訳には行かない」

急に有間の顔から笑みが消えた。

突然の表情の喪失に驚く暇もなく、次に有間の顔に浮かんだのは、憐みだった。

「…知るべきではなかったね。早死にするよ」

「何を、話しているの?」

何が恐ろしいのか分からなかった。

それなのに、有間と梓彦の会話が恐ろしくてたまらなかった。

おそらく、二人以外の誰も、会話の意味を理解出来なかったのだろう。

「そうかもしれん。が、知ってその為に死ぬなら本望だ」

そう答えた梓彦に、訝しげな視線を送る人々が何人かいた。

「梓彦、私行くから。だからどいて…」

不穏な空気を感じて、梓彦の前に出ようとするが、梓彦は春菜を片手で押し留めたまま動かなかった。

不意に力の集まる感覚がした。

同時に梓彦の意識が春菜から離れ、有間に向いたその一瞬に、春菜は梓彦の腕を掻い潜って前に出た。

「春菜!」

「梓彦!」

梓彦の驚いたような大声と、時彦の危機を知らせる叫び、そして有間の慌てたような表情。

それらに挟まれて、頬のすぐ脇を何かが駆け抜けるのを感じた。

「有間、止めて。絶対ダメ。誰も傷つけないで」

一言一言に強い意志を込めて、そう告げた。

「春菜、そこをどいて」

困ったように、それでもゆずることなく有間は言う。

「何で?何でこんな風にするの?何を二人で話してるの?何を言ってるの?」

腹立たしさを抑えようと務めたが、それでも語尾がきつくなるのを止めることが出来なかった。

「春菜、止めろ。あいつにだけは着いていくな。何があっても、大君は信じるな」

息巻く春菜を止めようとしたのか、梓彦が春菜の肩に手をかけた。

それを振り向き様に乱暴に振り払う。

「梓彦、何を言ってるの?さっき、何をしようとした?何で?私のこといけすかない、とか言ってた癖になんでそんな事しようとするの?今、どうして避けようともしなかったの?」

梓彦のすぐ脇に落ちている矢尻に視線を落とす。

有間が、力で操り、梓彦目掛けて放った物だった。

春菜が飛び出したため、慌てて軌道を逸らしたのだろう。

「私が行けば良いじゃない!私、嫌じゃないよ!なのに、何で止めるの?有間も、なんでそれだけで攻撃なんかしたの?私、行くって言ったのに!退魔師と、有間がいがみ合うの…私は、そんなの嫌なのに」

感情的に半ば叫ぶように言う。

「春菜、良いから逃げろ!」

負けじと声を張り上げる梓彦に気押されそうになりながらも、なんとか持ちこたえ睨みつける。

「何で?」

「絶対に、ついて行くな。大君には何があっても会うべきではない!分かっていないのは、お前の方だ!」

なぜか怒ったように梓彦は怒鳴る。

「止めるなら、容赦はしないよ」

静かな有間の声が割って入る。

それに、春菜が何か言い返す前に、梓彦が応戦した。

「殺すなら殺せ。俺がお前に殺されて、春菜がお前について行かないのならば、命など構わん」

「何でそんなこと言うの!?梓彦、止めて!」

梓彦の言葉も態度も、何もかもが分らなかった。

梓彦の様子に影響されたように、退魔師たちの目にも闘争心が宿り始めていた。

これ以上長引くのは危険だ、と思った時に、矢が風を切る高い音が響いた。

有間を目掛けたそれは、当たることなく、地に落ちた。

それを皮切りにしたように、退魔師達は完全に有間を平穏に逃がす気はなくなったようだった。

「止めて!」

梓彦に止められるのも構わずに、有間の前に飛び出した。

周囲には、目をぎらつかせた人々の輪。

足元では未だに有間に押さえつけられたままの時彦がいる。

「娘!どかぬなら、容赦はせぬぞ!」

どこからか怒号が飛んだがそれしきで動じはしなかった。

「止めてってば!」

じりじりと輪を縮める人々に訴えるが、耳に入っていないようだった。

「春菜、後ろにいると良い。大丈夫だ」

雪崩れかかるように人々が来る直前に、有間の声が耳元で聞こえたが、それに耳を貸しはしなかった。

「来ないで!」

我慢の限界だった。

どうなっても構わないと思ってしまった。

力を使えることが露見したところで、すでに春菜は退魔師の敵として見なされているだろう、と思ったからか、それともそんなことを考える余裕すらなかったのか、気が着いた時には遅かった。

耳元で風が唸る音とともに、はっとした時には、すでに周囲に退魔師の姿はなかった。

退魔師どころか、足元には地面すらなかった。

隣では有間が驚いた表情をしていた。

「これが、風になるということか?」

興味深げに聞かれたが、春菜は答えなかった。

「春菜が逃がしてくれるとは思わなかった」

気にした風もなく、有間は楽しげにすら聞こえる口調でそう言った。

「有間!私、ほんとに怒ってるの!何で、あんな風に来たの?あんな風に来なくたって良かったはずでしょ?何にも言わずにいなくなったのは、悪いと思ってる。でも、なんであんな…」

言いながら、適当な人気のない場所に降り立った。

文字通り風の速さで退魔師の村から離れた春菜たちは、どことも知らない山の中にいた。

「春菜」

驚いたような有間の声とともに、柔らかい感触に頬を包まれた。

「悪かった。泣くな…」

困ったような表情で覗きこまれて、ようやく泣いていたことを自覚した。

「誰かが傷つくのは嫌なの…」

呟くように言うと、有間は小さく頷いた。

「努力しよう」

おそらく精一杯の誠意なのだろう。

誰も傷つけずに生きていける立場ではないということは春菜も知っていた。

「何で、あんな風に出てきたの?」

少し気持ちが落ち着いて尋ねると、有間は少し困ったように笑った。

その笑顔も優しい気遣うような視線も、別れた時のままだった。

「少し、問題が起きてね。それで、春菜を探していたんだ。今日が大晦日だと言うこともすっかり忘れていてね。あそこまで大騒ぎにするつもりはなかったんだけどね。もう後に引けない状態だったから」

「…そうは見えなかった」

思わず有間に文句を言う。

それにも有間はやはり微笑むばかりだった。

「体面を取り繕うことには慣れているからね。生き抜くためには、どのような状況でも冷静でいることだ」

何でもないことのように言う有間の顔には、何の表情も浮かんではいなかった。

ただ、中身のないふわふわとした空っぽの笑顔だけが張り付いていた。

「忘れない方が良い。これから、行く所は、蹴落とすか蹴落とされるか、邪気悪鬼の巣窟だ。弱味を見せれば付け入られる。常に本音は隠して仮面を被る。それが出来なければ、すぐに命を落とすことになる」

突然、真面目な顔になって、釘を刺すと、有間は春菜の手を取った。

「これから行く場所?」

手を引かれ歩きながら尋ねると、ああ、言ってなかったね、と有間が振り返った。

いつものように、大したことでもないように、有間は春菜に告げた。

「これから、朝廷に行く。大君に会うことになるよ」

ちょっと、後悔気味な、28話。

こんな風にもっていく予定じゃなかったのに……。

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