表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千草の花  作者: 小夜
27/37

27、大祓

しんと張り詰めたような空気の中、春菜は目を覚ました。

頬に触れる空気の冷たさに、春菜はもぞもぞと体温で温まった布団に潜り込む。

前日の夜から急に冷え込み、今朝はいつも以上に寒さで空気が張り詰め、鋭さを増していた。

外はしんと静まり返り、張り詰めた空気に、どことなく時が止まってしまったかのような感覚があった。

ふと隣に目線をやると、布団から覗く半分閉じた瞳に行き当たった。

「おはよ。起こしちゃった?」

冷たい空気によって、目は完全に覚めていたが、布団の温もりから抜け出せずにいるまま春菜は時彦に声をかけた。

「…雪が積もったかもしれんな」

春菜の問いには答えずに、時彦は幾分眠たげな声で半ば一人言のように呟いた。

「え?雪?」

「ああ。空気がそのような感じだ。もしかすると、相当積もっているかもしれん」

寒さを耐えて布団から抜け出すと、肌を刺すような冷たい空気に包まれた。

白い息を吐きながら、戸口に近づく。

土間に降りると、さらに地面から寒気が忍び寄ってくるようだった。

かまどの脇に置いていた桶には家の中だというのに氷が張っていた。

それを横目に見て、引き戸に手を掛ける。

「……あれ?時彦、開かない…」

普段であれば、それほどの力を込めずとも開くはずの扉がなかなか開かない。

おかしいな、と思いながらもう一度戸にかけた手に力を込めるが、やはり動かない。

仕方なく、両手を添えて、もう一度同じことを試みた。

わずかに開いた隙間から、さらに冷たい空気が流れ込み小さく身震いする。

もう一度、足を踏ん張り、全身で引くようにして戸を引いた。

唐突に、何か引っ掛かりがとれたように、大きく開いた扉に、体の均衡を崩してたたらを踏む。

そうして、ようやく顔を上げて、春菜は驚きに目を見開いた。

流れ込んでくる冷気など、気にも留めずに、春菜は一歩、二歩と足を進めて、戸口の手前で立ち止まった。

立ち止まったというよりは、それ以上は進むことが出来なかったのだ。

「時彦!すごい!ほんとに雪だよ!」

振り返って、大きな声を上げると、時彦は布団の上で胡坐を掻いて、こちらを見ていた。

「すごいよ!一晩でこんなに積もるの?」

春菜の腰の当たりにまで積もった雪が邪魔をして戸が開かなかったのか、と納得して、春菜は白い壁となって前に立ちふさがる雪に手を伸ばした。

「昨日までなかったのに…」

驚きと興奮に、寒さを忘れて、春菜は冷たい雪に触れる。

春菜はあまり雪を見たことがなかった。

小さい頃から東京住まい。

都心では、滅多に雪など降らず、さらに積ることなどほとんどなかった。

積もったとしても、うっすらと地面が白くなる程度。

これほど大量の雪を間近に見るのは、初めてのことだった。

まして一晩でこれだけの量が積もったなど、信じられない思いだった。

まじまじとただ雪を眺め、白い雪に覆われた外の景色に視線を向けていた春菜は、木の爆ぜる音に驚いて後ろを振り向いた。

寒さに耐えかねたのか、囲炉裏に火を起こしていた時彦を見とめて、春菜は慌てて戸を閉めた。

忘れていた寒さを思い出して、春菜は時彦の傍に向かう。

「そんなに雪が珍しいか?」

そう言えば、初めて霜柱が立った時にも、氷が厚く張った時にも、春菜は同じように驚いて観察していたな、と思いだして、時彦は苦笑交じりにそう尋ねた。

「ごめん、寒かったよね?」

問いかけには答えずに、申し訳なさげな表情で言って、春菜は火に手をかざす。

「雪なんて、全然降らないから、びっくりしちゃった」

「まあ、一晩でこれほど積もるのは珍しいな」

欠伸を噛み殺して、そう答えると、時彦はぼんやりと戸口に目をやった。

「これだけ積もったとなると、梓彦は今日は来ないかもしれんな」

半ば独り言のように呟くと、時彦は小さくため息を落とした。

「さあ、さっさと朝飯でも食うぞ。そのあとは、雪かきだ」

嫌そうに顔をしかめながらそう言うと、時彦は朝食の支度に立ち上がった。




まず冷たくなるのは末端からだった。

両の手足と、耳と鼻。

そこがまず熱を奪われ、痛みを伴う冷たさに襲われる。

同じように鼻を赤くした時彦を見ながら、春菜もまた同じような鼻になっているのだろうか、と息を吐いた。

すぐさま真白な煙のようになる息にすら熱を奪われている気がして、何やら恨めしかった。

最初のうちこそ物珍しい雪に、ただただ興味を惹かれ、雪かきも何の苦痛もなかった。

しかし、東京では感じることのなかった寒さに、春菜はすぐに辟易した。

「時彦、もう無理…手作業じゃなきゃダメなの?」

もくもくと家の前の雪を掻きわける時彦に声を掛けると、時彦は何が言いたいのだ、と春菜を振り返った。

本当に分っていない様子の時彦に、説明するのも億劫で、だから、と春菜は目の前の積もった雪に目を向けた。

「こう言うこと!」

言葉と同時に、最近では完全に意のままに操れるようになった力を使う。

まるで重さを感じさせない動きで、ふわりと雪が持ち上がり、目の前にあった雪は両脇にうず高く積まれ、一本の道が現れた。

楽でしょ、と振りかえると、呆れたのか驚いたのか、判別のし難い微妙な表情を浮かべる時彦と目が合った。

「駄目だった?」

時彦の表情に不安になって尋ねると、いや、と時彦は首を横に振った。

「なんとなく、罰当たりな気がしてな…」

言葉を濁す時彦に、春菜は苦笑した。

退魔師にとって、力をは神聖なもので、物の怪を払うためのとても大切なものであるという認識が強いらしかった。

そのため、いくら時彦の家周辺では自由に力を使えると言っても、やたらと力を使うことはなかった。

火を起こすのも、何をするのも、全てが手作業だった。

「使えるものは、使っとかないと」

それに対して、完全に割りきった様子で春菜は返した。

雪もまた、自然界のもの。

生命があるわけではないが、この世のものが全て力によって形造られるなら、雪もまた然り。

生命が宿らない分、力を通わせれば、簡単に春菜の意にそって動き出す。

それは空気、つまり風や水、火なども同じだった。

実際に創り出すことも、また今のようにすでにあるものに力を送り込んで操ることも、命が宿らないものに対しては簡単なことだった。

「お前ら…人に見られたらどうする気だ」

唐突にかけられた声に驚いて振り向くと、ちょうど春菜が雪をどけてしまったところに梓彦が立っていた。

「梓彦。来ないかと思っていたぞ」

幾分驚いたように時彦が声をかける。

「仕方ないだろう。明日は大祓だ。お前と連絡を取るように言われた」

何かあったのか、眉を寄せながら言うと、梓彦はすぐに春菜に目を向けた。

「それにしても、随分力の使い方に手慣れているな」

「え?」

梓彦の目の奥に良く分からない感情が浮かんだような気がして、春菜は首を傾げた。

何か、考えているような、言うなれば何か春菜に対して疑惑を抱いているような探るような視線だった。

「それで、なんだ?何か言われて来たのか?」

時彦は特に何も気付かない様子で梓彦に要件を促した。

「ああ、大祓には参列するだけで良い、役割は特に与えない、だとよ。それと、春菜も連れて来るように、とのことだ」

「春菜も?」

わずかに表情を険しくして時彦が尋ね返すと、梓彦は無言で頷いた。

「大丈夫だとは思うが、一応離れないように気をつけておくんだな」

それに頷き返して、春菜は梓彦にもう一度視線をやった。

しかし、もう梓彦の顔には先程の表情が浮かぶことはなかった。



その日はそれ以上雪が降ることもなく、よく晴れたままだった。

けれど、真白く染まってしまった景色の下から色が現れることはなく、雪はきらきらと光を反射するばかりで一向に溶ける気配はなかった。

晴れたまま一日が終わり、翌日にもまた、雲一つない天気は続いていた。

春菜には経験のないことだったが、良く晴れた夜の翌朝はその分冷え込む。

いつだったか理科の授業で習った放射冷却を言う単語を思い浮かべて、春菜は白い息を吐きながら空を見上げた。

梓彦も昨日は帰らずに時彦の家に泊まったため、春菜たちは三人で時彦の家を出た。

昼もすぎ、日が傾き少し経った頃だった。

大祓は、夕暮れから夜にかけて行われるらしく、三人もそれに合わせて家を出ていた。

まだ日は十分あるが、少しばかり斜めになった日が頬を照らした。

一番先頭を上背のある梓彦が進み、次いで春菜が、最後に時彦が並び、一列になり雪を掻きわけるようにして進む。

梓彦が十分雪をかきわけてくれるものの、それでもやはり慣れない雪道は歩き辛く、体力も体温も奪われた。

それを一人で雪を掻き分け、道を作りながら特に疲れた様子も見せずに進む梓彦の体力に改めて関心しながら、春菜はただただ雪に足を取られないように歩くことに集中していた。

後ろでは時彦が春菜の様子を気にかけては手を貸してくれたりもしていたが、それでも腰近くまである雪道を歩くのは相当な労力を要した。

村に着く頃には疲れきっていた春菜は、雪掻きの済まされた道に入り、安堵の息を吐いた。

「行くぞ」

時彦に声をかけられ、頷き返すと、春菜は人気のない村の通りに目をやった。

もうすでに、大祓の行われる場所に移動してしまったのか、村には人気がなかった。

梓彦、時彦の二人は迷いのない足取りで進んで行く。

村の中心部に向かうように歩きながら、二人は終始無言だった。

少しばかり歩いた先に、大きな壁が現れ、中では火が焚かれているのか、明かりが漏れてきていた。

入り口には、外を見張るように二人の村人が立っていた。

時彦たちの姿を見ると、二人はこちらに向き直ったが、特に何も声をかけられることなく三人は壁の内へと足を踏み入れた。

途端に水を打ったような静けさに包まれた。

時彦が足を踏み入れた瞬間、その場に集まっていた村人たち全員の視線が時彦に集まった。

次いで隣同士小さく囁き交わす声に満ちた。

どれも好意的とは言い難い視線だった。

好奇の目は春菜にも注がれ、あまり聞いていて楽しくはないような話し声が耳に入った。

時彦は相変わらず無表情だったが、梓彦は不快げに眉を寄せていた。

「よお、久しぶりだな」

どことなく聞き覚えのある声に横を見ると、いつだったか時彦の家を訪れた二人組の姿があった。

「元気だったか?」

春菜は笑いかける男に表情を消して視線だけを向けた。

「連れないね。そんなに冷たくしないでよ」

ひょろっと背の高い男は言いながら春菜の顔を覗き込んだ。

わずかに眉を寄せて男から距離を取る。

「邪魔だ、失せろ」

低い声に驚いて横を見ると、やはり無表情のままに睨むようにして春菜の前に立つ男を見る時彦がいた。

「これだから野蛮な奴は怖いねえ」

言って男は、にやりと笑って春菜を見た。

同時に何か言い返そうとした時彦に視線をやると、顎で随分奥の方に組まれた祭壇を指し示した。

「残念、もう時間だ」

ちょうど祭壇には数人の人影が現れたところだった。

同時に鈴が高く涼しげな音色を響き渡らせた。

それは瞬く間に人々の間に行き渡り、鈴の残響が消える頃には完全な静寂が訪れていた。

壇上には三人の姿のみだった。

どこからかもう一度、高く鈴の音が響いた。

それに周囲の人々がいずまいを正す気配が伝わってきた。

そして、三度目の鈴で不意に力の感覚が強まった。

その場にいた退魔師全員が、力を使い始めたのだと気付いて、春菜は困惑して時彦を見上げた。

しかし、力の感覚は強まるばかりで一向に何かが起こる気配はない。

周囲を観察して、ようやくただ力を自然に通わせているのだと春菜が気付いた頃に四度目の鈴が鳴った。

長い時間を過ごしていたようにも、とても短い時間だったようにも感じる不思議な感覚だった。

何とはなしに、大地の力強さが増したように感じられ、清々しい気分になる。

「どうした?」

周囲に視線を巡らせる春菜に、時彦は訝しげにそう声をかけた。

「なんか、力が溢れてる感じが…」

どう表現したら良いものかと言葉を濁すと、時彦は小さく笑ってみせた。

「当然だ。大祓は大地に力を通わせる儀式だ。大地に力が満ちることで、物の怪から守られる。まあ、これは、この場所にしか効かない。一歩外に出れば無効だ」

時彦の話しによると、力の使用が許されるのは、この建物内のみで、例えば力による風も、一度外に出ればまるで何もなかったように霧散して、そよとも髪を動かすことすらないと言う。

「本来の大祓ならば、豊葦原全体を力で守ることが出来るがな」

最後に付け足して、時彦はそれっきり口を閉ざした。

梓彦は梓彦で、いつものように黙りこくっていたため、必然的に春菜も口を閉じることになった。

村人は、この後呑み明かし、数少ない再会を喜び会うのだという。

しかし、時彦たちは元よりそれに参加する気は毛頭なく、このまま帰宅することになっていた。

五度目の鈴の音に、ようやく人々は動き出した。

鈴の音だけで、全てが取り仕切られているようだった。

ゆっくりと動き出した人の動きに合わせて、春菜達三人も足を進めた。

ほぼ最後に来たため、すぐに外に出ることが出来た。

積もる話しに夢中になっているのか、まだ外に出ている人の数は少ない。

肌を刺すような寒さに身震いをした春菜は、すぐ側の建物の影に黒い人影があるのに気付いて目を止めた。

暗いため人相は良く見えないが、一人のようだった。

顔の向きから、こちらを見ているようにも見える。

村人だろうか、と思いながら目を離すことが出来なかったのは、ぼんやりと闇に浮かび上がるその背格好にどことなく見覚えがあるような気がしていたからなのか、春菜自身にも良く分からなかった。

なぜか目を反らすことが出来ずに、体の動きもいつの間にか全て停止していた。

「春菜」

呼ばれたのは分かったが、反応することが出来なかった。

「誰だ」

厳しい声で時彦は誰何(すいか)する。

人影は一歩前に進み出る。

月光の元に、鮮やかな笑みが現れた。

「春菜、迎えに来たよ」

現れた人に、どう反応すれば良いのか分からずに、脳裏を様々な思いが巡った。

退魔師と彼は、敵同士ではなかったのだろうか。

「有間…」

名前を呼んだ声が、わずかに震えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ