22、退魔師の村
「これからの事だが」
そう時彦が切り出したのは、翌朝の朝餉の後の事だった。
「まず、村に帰ろうと思う」
梓彦は納得しがたいと言うように鼻を鳴らした。
「俺は反対だ。部外者を入れるべき場所ではない」
「それはもう話しただろう」
瞳に強い色を浮かべて言う時彦に、梓彦は不服そうに唸った。
「俺は村で術について知った。春菜をここから返す方法を探るとすれば、まずは村を当たるのが当然だ」
「しかし、俺はそのような術聞いた事もない。時彦、お前どこからそんな術探しだしてきた」
言って梓彦は真剣な表情で時彦を見た。
事情の良く分からない春菜は口を挟む事も出来ずに成り行きを見守っていた。
「…たまたま見つけたんだ。家の裏の横穴で。術者を助ける式を呼び出す術とやらで、聞いた事のない内容だった」
渋々と言った様子で口を開いた時彦に、梓彦は更に表情を険しくした。
「言いたい事はわかるが、俺の責任だ。俺がけじめをつける。村に行って俺の家を探すだけだ。何の問題もないだろ?」
「…立場を考えろ。いらぬ疑いをかけられてみろ。更に立場を悪くする気か」
梓彦の言葉に春菜は思わず声を上げた。
「何か問題があるの?」
一瞬二人は黙り込み、目線を交わすと、時彦が肩を竦めた。
「俺達にもいろいろあるんだ。今俺はあまり村から良く思われてないんでな。まあ、それは俺の問題だ。お前が気にする事じゃない。とにかく村に行く。もし何かあったとしても考えるのはそれからだ」
結局、時彦に押し切られる形で三人は小屋を出た。
春菜にはあまり詳しい事が伝えられなかったが、村は北の方にあるらしかった。
どちらにしろ地理に疎い春菜に地名を告げられた所でわかるはずもなかったので、春菜は黙って彼らについていった。
「この時代って不便だよね」
誰にともなく呟くと、何がだ、と時彦が振り向いた。
「携帯もない。電話もメールもない。一度別れちゃったら連絡取る術がない。一度の別れが一生の別れになるかもしれない。ちゃんと待ち合わせ場所を決めなかったばっかりに、二度と顔を合わせる事がなくなるかもしれない」
意味がわからない、と言いたげな時彦に笑ってみせて、春菜は言葉を続けた。
「私適当だったな、って反省しただけ」
人と出会う事、別れる事の重さ。
機械を間に入れない世界での人間関係の近さと遠さ。
簡単に連絡を取れる機械は便利だったが、その分関係を薄くしていたように思えた。
すぐに連絡を取れ、もう一度会う為には、少しメールを打って送信すれば良いだけだ。
それは便利だが、同時に出会いの貴重さや、何か大切なものを見えなくしていくように春菜には思えた。
「…良くわからん」
沈黙の末に吐かれた言葉に、春菜はもう一度声を上げて笑った。
「私は、こっちの方が好き。大切な物を見失わないと思うから。無駄をなくす為の便利さは、純粋な大切なものを覆ってしまう。いつの間にか、大切なものはたくさんの無駄なものに囲まれて見えなくなっちゃうの」
もう一度良く分らん、と言う時彦に、わからない方が良いよ、と返して春菜は今度は一歩後ろを歩く梓彦を振り返った。
「ねえ、梓彦さん」
「さん付けは止めろ、気持ちが悪い」
憮然とした表情を崩す事なく、梓彦は唸るような低い声を出した。
「じゃあ、梓彦。梓彦って幾つ?」
「…なんだ、それは」
途端に奇妙な表情をして梓彦は聞き返した。
憮然とした表情から一変して、呆れたような顔の表情に春菜は首を傾げた。
「だって、名前と年と住んでる場所って自己紹介の基本じゃない?そう言えば、時彦も幾つなの?」
横に視線を向けると、時彦は肩を竦めた。
「俺は十八だ。梓彦も同い年だぞ」
「え!」
思わず梓彦を振り返ると、渋面を作った梓彦の視線に行き合った。
「十八?二人とも高三くらいって事?」
信じられないと言った面持ちで、まじまじと二人の顔を見比べる春菜に時彦も顔を顰めた。
「そういうお前は幾つなんだよ」
「私?私は十五」
答えてすぐに春菜一人首を傾げた。
有間は幾つなのだろうと考えて、時彦と同い年位だろうか、と見当をつける。
春菜にとって、十八とはまだ大人と呼ぶには低い年齢だった。
けれど、時彦達は姿かたちの話しではなく、大人と表現するしかない何かをもっていた。
一人、自らの足で立って生きる為の何か。
「退魔師って、ずっと一人で旅をするの?」
「まあな。十三から一年毎に、村での暮らしと退魔師としての旅とを繰り返す」
答えたのは時彦だった。
「一人で?」
それに時彦は一つうなずく。
「退魔師は基本的に一人だ。二年たっても帰ってこなければ死んだものとされ、弔われる。村にいるのは、子供とその母親、老人、そして村で一年を過ごす退魔師、そんなものだ」
そう言ったきり黙り込んだ時彦はそれ以上春菜に語ろうとはしなかった。
時彦や梓彦に聞いた村の話しはその程度で、どういった訳か時彦は春菜にあまり村や退魔師の話しをしたがらなかった。
春菜はそれを部外者に多くを語るべきではないからだろう、と捉えていたため、深く聞きはしなかった。
梓彦は相変わらず春菜と打ち解けようとはしなかったが、それでも態度は軟化していた。
三人で歩き始めて六日目の事だった。
人里を避けるようにして進み、山脈のようなものを越え、しばらく平らな土地を歩いた後、明日村に着く、と春菜は時彦から告げられた。その言葉通り、翌日の昼には三人は村のすぐ境界に立っていた。
村とは言っても、田畑を含め春菜が想像していたよりも広い。
盆地のような少しばかり平らな場所に、緩くまとまるようにしてその村は在った。
おそらく村外れから反対側まで徒歩で半日以上かかる距離はあるだろう。
時彦は、そんな村の様子を横目に縁を沿うようにして歩く。
そのまま、少しばかりして背後を山と崖に守られ、それに寄り添うようにして立つ、寂れたたたずまいの家が一軒現れた。
緩くまとまる村は、家同士の距離は離れているものが多かったが、それに比べてもこの家はさらに一際村から離れた所にぽつねんと建っていた。
人の住む気配のないそれに向かい時彦は歩く。
「荒れてるな」
間近に迫った家を見て、梓彦はそう呟いた。
「無人なんだから仕方ないだろ。俺も帰るのは五年振りだ」
言いながら時彦が手をかけた引き戸が軋んだ音を立てて開いた。
「まあ、一晩寝る場所位はある」
わずかに光の差し込んだ室内を見渡して誰にともなく呟くと、時彦は中に足を踏み入れた。
荷物を下ろすと、休む間もなく時彦は家の裏手に向かった。
春菜もそれに慌ててついて行く。
家に覆いかぶさるようにして迫る山は、半ば崖のようだった。
急なこうばいは、今にも家に崩れかかってくるのではないかとすら錯覚を覚える。
「ねえ、これ危なくない?」
思わず後ろを歩く梓彦に崖を指さして尋ねた。
「…危ないだろうな。ありがたい事に今まで崩れてきた事はないが」
梓彦は、春菜にはよく分からない表情を浮かべて時彦の後ろ姿を見つめて呟いた。
悲しみや、怒りを読み取って、春菜もまた時彦に視線を向けた。
触れてはいけないような気がして、春菜はそれ以上その話題を続けようとはしなかった。
「おい、どこに横穴なんかあるんだ?」
崖の真下で立ち止まった時彦に、梓彦がそう声をかけた。
「隠れてんだ」
言って、時彦はちょうど目の前にある人の背丈よりわずかに大きい岩に手をかけた。
「これの裏」
「…どうやって動かしたんだ」
見るからに一人で移動出来るはずの大きさではない岩を見て、梓彦はそう尋ねた。
「力の修行の時に、間違えて動かしただけだ」
怪訝な顔をした梓彦に、時彦は笑った。
「ここも、そうなんだよ」
明らかに驚愕の表情を浮かべる梓彦を見遣って、時彦はもう一度笑った。
「誰にも言うなよ」
意味の分からない会話に春菜は首を傾げ、時彦を見た。
その視線に気付いているのかいないのか、時彦はぼそぼそと何かを呟くと、改めて岩の前に立つ。
「……あ」
思わず声を上げ、春菜は時彦を見つめた。
時彦の周囲に力が集まっているのが分かった。
漂っていた力が吸い寄せられるように時彦に集まって行く。
有間が力を使った時を思い出し、春菜は一人納得した。
これが、力を使うと言う事なんだ、と。
時彦に集まっていた力は、やがてうねるようにして岩に向かった。
実際に見える訳ではないが、まるで見えるかのように力がはっきりと春菜には感じられた。
「…信じられん」
呆然と呟き、梓彦は現れた横穴を見つめた。
梓彦の呟きに、春菜は先程から胸に巣くう違和感の正体に気付いた。
今まで有間のそばに居た為、見慣れていたが、退魔師は物の怪が現れなければ力が使えないのではなかっただろうか。
「…どう言う事?」
隣で唖然とする梓彦に問い掛けるが、春菜以上に混乱しているのか、梓彦は口を開けて立ち尽くしていた。
「早く来い、この中だ」
立ち尽くす二人を促して、時彦は一人先に横穴へと足を踏み入れた。
人一人がやっと入れるほどのそれは、外から見るより長いのか、時彦の姿を完全に飲み込み、真っ黒な口をぽっかりと開けていた。
梓彦が先に中に入り、それに春菜も続く。
大柄な梓彦は腰を屈めるようにして幾分窮屈そうな様子で数歩中に入る。
突然被さって来た暗闇に目がついて行かず、何も見えないままに足を何度か動かす。
同時に幾度か瞬きをすると、徐々に朧な横穴の様子が見えてきた。
狭かったのは入口のみで、春菜達三人は、五、六人は入れる程の広さを持った円形の空間にいた。
「おい、どう言う事だ」
何かを押さえたような低い唸り声。
同時に、何か鈍い音が響いた。
それに驚いて春菜が前を見ると、梓彦が時彦の胸倉を掴み壁に押し付けていた。
「え、ちょっと、梓彦」
駆け寄ろうと、足を一歩踏み出してから、春菜は二人の真剣さに思わず進む速度を鈍らせた。
「見ての通りだ。ここでは自由に力が使える」
梓彦に詰め寄られながら、時彦は静かな声音でそう返した。
「…なぜ、話した。なぜ、隠し通さなかった」
半ば怒鳴るようにして言うと、梓彦は時彦を睨み付ける。
春菜には梓彦の怒りの原因が分からず、ただ混乱して二人を見た。
何がそれほど梓彦を激昂させたのか、春菜には全く原因が思い浮かばなかったのだ。
「お前は話さんだろう」
平然とした口調のままに時彦は言葉を紡ぐ。
「…人の心に絶対などあるか。下手をすれば命に関わる事をっ…!」
「俺はお前を信用している」
言い切った時彦に、梓彦は言葉を詰まらせた。
「…簡単に人を信用するな。馬鹿を見るぞ」
「なら、お前は話すのか?」
あくまで冷静に時彦は話す。
「話さんが…しかし…」
「なら良いだろう。春菜も話さんさ」
な、と視線を向けられ、春菜は困惑したまま頷いた。
「話すな、って言うなら話さないけど…」
「こんな小娘、信用出来るか!」
一喝して、梓彦は時彦の襟元を放した。
「なら、さっさと術を調べ直して春菜を元の居場所に戻せば問題ないだろう」
その言葉に、梓彦は睨むように時彦を見ると、すぐに視線を反らした。
「……さっさと調べるぞ」
吐き捨てるように言う梓彦に、時彦は無言で頷いた。
時彦が中央に、力で出した炎の側に座り込んで、春菜はぼんやりと二人を見ていた。
初めこそ、二人の近くにいた春菜だったが、洞窟一面に刻み込まれた、日本語とは思えないような文やよく意味の分からない絵に、すぐに解読を諦めた。
先程の言い合いは気になってはいたが、すぐに聞ける雰囲気でもなく、ぼんやりと二人を眺めているしかなかった。
「帰る、か」
つまり、出会った人々との別れ。
それも一生の。
二度と出会う事はないだろう。
中学生の春菜に戻る、という事。
「春菜」
呼ばれて我に返る。
かなりの時間が過ぎていたようだった。
疲れたように春菜の隣に腰を下ろし、時彦は小さく息を吐いた。
「すまん、すぐにはお前を返す方法が分かりそうにない」
「…そう。…何が書いてあったの?」
未だ壁の側に座り込んでいる梓彦を見ながら尋ねる。
時彦の言葉に思っていた以上に動揺していた。
期待すれば、それが叶わなかった時の落胆が酷くなる、と言い聞かせていたはずなのに、と春菜は唇を噛んだ。
「呼び出し方だけだ」
「おい、時彦」
壁を睨み付けるようにしていた梓彦が不意に振り返った。
「これは、人を呼び出す術じゃないのか?」
言って梓彦はすぐに壁に視線を戻した。
「お前、なんで式とやらを呼び出す術だと思ったんだ?式なんてどこにも書いてないぞ」
「式は、家に伝わる話しだ。呼び出せば、なんでも主人の言う事を聞く便利な使い魔、半ばお伽話話だったが…」
梓彦はそれに呆れたような溜め息をついた。
「それで、式を呼び出す術だと思ったんだな」
「ああ、ほら、『彼の者呼び出せば、必ずや汝、我らの子孫の助けにならん』。まさに式じゃないか?」
時彦は、壁の一箇所を指差し読み上げる。
「良いから式から離れろ。やり方を見てみろ、どう考えても人を呼び出す術だろ。呼び寄せのやり方にそっくりだ」
「そうなのか?」
「そうだろ!常識だ!」
大きくなった梓彦の声に、時彦は肩を竦めた。
「いや、俺使わないからな、呼び寄せは」
「あ、ああ、そうだったな、悪い。忘れていた」
罰が悪そうに、梓彦はすぐに壁に向き直る。
「呼び寄せって?」
「一人ではどうしようもない物の怪に出会ってしまった時に、近くにいる退魔師を呼ぶんだ。運が良ければ誰かが助太刀に来てくれる」
答えたのは時彦だった。
「良いか、呼び寄せは、不特定多数の人間に対して有効な術式だ」
後を引き継ぎ、梓彦が話し出した。
「仕組みは簡単だ。周囲にある力を出来る限り自分に引き寄せれば良い。近くに周囲の力の動きに気付いた退魔師がいれば助けに来てくれる、それだけだ。力を引き寄せる力が強ければ、遠くにいる人まで呼べる。後は、呼ばれる側の力を感じる強さによっても呼び寄せがきく距離は前後するが」
「それが、似てるか?だいたいの流れは俺も知ってはいるが」
時彦の声に、梓彦は頷く。
「見ろ、これのだいたいの術だが、簡単に言えば、相手の力の端を掴んで引っ張る、そういうものだろう?」
「…そうか?」
時彦は首を傾げる。
「俺は、力を具現するのかと思ってたが」
「それは神の領域だ。禁忌だろう。玉依姫の子孫ですらそれはなしえないと言う話しだ。ありえるなら、魂を呼び寄せて依り代を与えるくらいだ。冷静に考えろ」
それに時彦は考え込む。
「言われてみればそうだな…」
「媒介は何だ?はっきりと書かれてはいないが、何を使ったんだ?何か代わりの効かない特別なもののようだが」
「ああ、刀だ。それも一緒にここにあった」
「それは?」
「荷物と一緒に家に置いてる」
時彦の言葉に頷いて、梓彦は春菜に視線を向けた。
「なら、春菜は人間だな。魂を呼び寄せたなら、刀は核となるだろうからな」
理解不能な会話に春菜は混乱しながらも、耳を傾ける。
「そもそも退魔師にとっても、術は専門外だ。呼び寄せ以外で使う事まずないからな…」
困ったように呟き、梓彦は首を捻る。
「それで、何が呼び寄せと似てるんだ?」
「お前、話しを聞いてたか?相手の力をこちらに引っ張るんだ。不特定多数に向ける呼び寄せの力を、特定の一人に絞る。そんな事した事ないが、原理は一緒だろう」
「じゃあ、刀は何で必要だったんだ?ああ、その対象一人の特定のため、か」
時彦が言うと、途端に二人して眉を寄せる。
「な、何?」
二人から同時に視線を送られ、たじろぐと、時彦が首を横に振った。
「だが、なぜこいつなんだ?呼んでも何の助けにもならんだろうに」
心底不思議そうに言われ、春菜は思わず梓彦を睨んだ。
事実、春菜はこの世界に疎く、足を引っ張る事はあっても誰かの助けになれる自信は全くなかったので、言い返せなかったが、何となく情けなかった。
「今生の人ではなく魂での呼び寄せか?魂で捜して呼び寄せる」
言ったのは時彦だった。
「それは可能か?」
尋ねられた梓彦もまた、難しい表情を作る。
「…不可能ではないかもしれんが」
歯切れの悪い返答に、時彦もまた思案を巡らせるように黙り込む。
「とにかく、一度その刀を見せてくれ。これでは埒が明かない」
それに時彦も頷き、春菜も立ち上がった。
「夕飯でも食べるながら話すか。梓彦、悪いが食料を調達に村まで行ってきてくれ。春菜は、寝る場所の準備でも手伝ってくれ。汚くて寝れんだろうから」
それに頷いて、横穴から出ると、薄暗い場所に慣れた目には痛い夕日が目に入った。
ちょうど向かいの山に掛かった太陽に、春菜は少しばかり驚いた。
いつの間にかそれほど時間が経っていたらしい。




