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千草の花  作者: 小夜
18/37

18、子孫

空気を伝わってきた感覚に、有間は顔を上げた。

幼い頃から幾度となく感じ、あまりに身近になりすぎた感覚だった。

初めて宮の外に出されたのは、九つの時だった。

今考えれば、有力な後ろ盾であった母方の祖父である左大臣が死んだ事がきっかけだったのだろう。

有力な後ろ盾のない、何の実権も待たない名ばかりの大君の一人息子。

どれ程危うい立場か。

稀有な力を理由に、物の怪を退けよ、退魔師を倒せ、と命じては宮から追い出し、その実あわよくば、死ねば良い、と。

物の怪に、退魔師に殺されれば良い、不慮の事故で死ねば良い、と。

いっそ自分を殺せる程強い存在が現れれば、と思った時期もあった。

けれど、彼を殺せるほどの物の怪も退魔師も刺客も現れず、ただ行き場のない悲しみと怒りと絶望をぶつける為だけに力を使った事もあった。

有間は生を諦める程には弱くなく、自らを殺める程には強くなかった。

思い出した昔に、小さく笑って有間は物の怪へと歩みを進めた。

時が経つにつれ器用になり、心を殺す方法も知った。

上手く生き抜ける術も知った。

けれど、その殺したはずの心の奥底は何も変わっていない事も知っていた。

結局有間は、余計な半端者、邪魔者でしかない自分に別の居場所が欲しかったのだ。

誰に憚る事なく生きていける場所、在るだけで疎まれる自分の存在から逃れたかったのだ。

「逃れる事など、出来はしないと言うのにね」

呟いて、ようやく見えた物の怪の姿に気を引き締めた。

村の外れ、ちょうど森と村との境界線の当たりに、その物の怪の姿はあった。

民家からも少し距離がある。

あの場所ならばまだ誰も犠牲は出ていないだろう、と思った時だった。

物の怪の下にわずかに白い色が見えた。

はっとして目を凝らすと、白い腕が救いを求めるかのように有間の方へと伸びていた。

『あれでは、もう助からない』

助かるかもしれない、助けられるかもしれない。

そのような考えは微塵も有間には思い浮かばなかった。

死を傍観する事にあまりに馴れすぎていた。

幾人もの刺客、退魔師を自らの手で殺し、何人もの人々が物の怪に喰われる姿も見てきた。

今更人一人の命を助けようと必死になるには、有間はあまりに多くの死を見つめすぎていた。

それは、例え犠牲者が随従の一人であっても、顔見知りであっても変わらないはずだった。

今までもそうしてきたはずだった。

あがいた所で、人は呆気なく死んでいくのだ。

けれど、今回だけは腕に纏わり付く着物の柄に有間は動揺していた。

確かにあれは今日春菜が身に付けていた物と同じだった。

もう腕は見えなくなり、完全に物の怪の内に取り込まれていた。

『どうする』

早く倒せと急かすかのように、有間の周囲で力がざわめいた。

ふわりと風が自分を取り巻くのが分かる。

『まだ、生きているかもしれない』

取り込まれたばかりだ。

おそらくまだ生きている。

物の怪が喰らうのは基本的に力だ。

この手の物の怪は力を宿す器まで喰らいはしない。

今風で物の怪を切り裂けば、中の人まで死にかねない。

けれど、取り込まれた人を無事に助け出す方法など有間は知らなかった。

今までやろうとした事もなければ、考えた事すらなかったのだ。

無理だと思えば切り捨て、助かると思えば助けた。

そこに有間の心情が介入する余地も必要もなく、ただ単純な客観的な事象の判断でしかなかったはずなのだ。

結局考えた所で、何の解決策も思い付かない。

いつもと同じように傍観しようと、自分に言い聞かせるのはとうに諦めていた。

どうしてもこの命だけは見過ごせず、諦められなかった。

狂おしい感情を、有間は持て余してただ何かしたいと言う思いだけで動いた。

完全に力を喰らい尽くされる前に、有間が物の怪の内に飛び込み、春菜を無理矢理引きずりだす。

無謀ではあったが、他に有間には何も思いつかなかったのだ。

そのまま、物の怪の内に飛び込もうとした、まさにその瞬間だった。

何の前触れもなく、突然物の怪が霧散したのだ。

何が起こったのか、と呆然と立ち尽くすうちに、黒い霞が徐々に薄くなり、中心に横たわる人の姿が浮かび上がり、慌て有間は駆け寄った。

「春菜!」

珍しく血相を変え、叫ぶようにして名を呼ぶ有間に、春菜はぼんやりとした視線を送った。

「有間?私、物の怪に……有間が助けてくれたの?」

意識がある事にほっとして、有間は春菜の体を抱き起こした。

「良かった」

安堵のあまり、思わず春菜を抱きしめて小さく有間は呟いた。

細く頼りなげな華奢な肩の線に、このまま存在が消えてしまうのではないか、と不安になり、有間は両腕に更に力を込めた。

「有間?心配、してくれたの?」

「本当に良かった」

有間の腕の中が心地良く、春菜はゆっくりと目を閉じた。

「ちょっと、疲れちゃった。少し、寝て、良いかな…」

掠れた、一言一言を区切るように話す声を耳元で聞いて、有間は小さく頷いた。

「有間、ありがとう」

眠りに落ちる直前、呟くように伝えられた言葉に有間はわずかに冷静さを取り戻した。

「ありがとう?」

口に出してさらに冷静になり、首を傾げた。

投げ込まれた疑問によって出来た小さな波は、けれど消える事なく有間の心にしっかりと居着いた。



死んだように眠り続け、ようやく春菜が目覚めたのは、翌日の明け方の事だった。

枕元で、難しい表情で考え込んでいた有間は、春菜が起きた事に気がつくと、すぐに笑顔になった。

「もしかして、ずっと起きてたの?私どれくらい寝てた?」

周囲を見回し、すでに日付は代わっているだろう事に気付き、春菜は申し訳なさげに有間に視線を送った。

「もうすぐ夜が明ける。どうせだから、朝まで寝ていてよかったのに。もう体は平気かい?」

「うん。ただちょっと疲れただけだったから」

春菜の返答に、よかった、と笑みを浮かべて有間は、すぐにまた口を開いた。

「春菜、物の怪の中で何があった?」

有間のいつにない真剣な表情に気圧されて、春菜は言葉を詰まらせた。

「何でも良い。感じた事を話して欲しい」

こちらに来てすぐに、時彦にも同じような質問をされた事をぼんやりと思い出し、軽く既視感に襲われながら、春菜は口を開いた。

「あの時は、ぼんやりしていて、物の怪が出て来るまで気付かなくて。気付いた時には、もう間近に物の怪が迫っていて、すぐに物の怪の中に取り込まれてしまって。物の怪の中では、なんだか自分と物の怪の境界線がなくなっていくみたいだった。体の感覚がなくなって、自分の範囲がどこまでかわからなくなった頃、周囲にあって当たり前だった力がなくなって初めて、自分の中に力がある事に気付いたんだよね。そしたら、物の怪が力を取り込もうとしてるのを感じて、…そして、気が付いたら有間がいた」

「本当にそれだけかい?」

顔を覗き込まれるようにして尋ねられ、春菜はもう一度その瞬間の事を振り返った。

物の怪に足を絡めとられた恐怖。

物の怪の中の、何もない真っ暗な闇。

まるで侵食されるようにして、喰われかけた己に宿る力。

今も目を閉じると、春菜の内に宿る力を感じる事が出来た。

一度気付いてしまえば、気付かないでいた事が不思議な程確かに力は存在していた。

「そうだ、物の怪が消える直前に、何か、弾けるような不思議な音を聞いたような気がする」

「弾けるような音…」

有間はその言葉に考え込み首を傾げた。

布団のすぐ脇に座る有間の心臓当たりに、春菜はつと指を添わせた。

「有間にもあるね」

小さく確かめるように呟く。

視線で何があるのかと尋ねる有間に、春菜は軽く笑んだ。

「力」

ただ一言、答えてから春菜は視線を有間から外した。

「不思議だよね。ここは力に満ちてる。木々には木々の、人には人の、独特の力」

黙って春菜の言葉に耳を傾け、有間は小さく頷いた。

「木々の力は、泰然と、静かにけれど力強く存在し、風に宿る力は、時に優しく、包み込むように、時に激しく、荒々しく全てを威圧するように、人に宿る力は、生き生きと躍動し、街は集まった人の力で活気に溢れている」

後を引き継いだ有間に、春菜は同意した。

「私はね、春菜。この力の感覚を共有する人に初めて会った。自らの裁量で、神々の許可を得る事なく力を扱える人以外には、力の感覚を捉える事はできない。私は物の怪を倒してはいない。あれは春菜の力のはず。おそらく春菜は遠くどこかで大君の血を引いているのだろう。たまたまその血が色濃く出た稀有な存在なのだと思うよ」

有間の穏やかな声は、すんなりと春菜の胸の奥に落ちていくようだったが、春菜ははたと首を傾げた。

「え?それって、私が大君の子孫?」

事もなげに頷く有間に、春菜は横に首を降る。

「いや、ない、それは。そんな高貴な家系じゃないもん」

さも可笑し気に笑って有間は春菜の言葉を否定した。

「私の家系は、民草にも十分種を撒いているからね。時の隔たりもあれば、どこかで血が混ざっている事は有り得ない事ではないよ」

そう言われれば、春菜には反論する事も出来ずに黙り込んだ。

「でも、春菜は力を扱えないのだよね?」

それに頷くと、有間は困惑したように春菜を見た。

「けれど、力を持つ者は、誰に教えられる事なく力の扱い方を覚えるものだ。幼い頃から、風と戯れ、自然の中でいつの間にか力を扱う術を学ぶものだ。力は、私のような力を扱う者には優しい。意思を持つかのように、周囲に集まってくれるものなんだ。そして、幼子が何でも遊び相手にするようにして、力と戯れやがて様々な事が出来るようになる」

例えば、と有間は腕を上げる。

「風を創る事も」

同時に締め切ったはずの薄暗い室内で、突如空気が動いた。

春菜の周囲を巡り、髪に絡むようにして遊ぶように吹くと、すぐにまた風は止んだ。

「炎も、水も」

有間が口にする度に、それらのものが現れては消えていく。

一度見た光景ではあっても、やはりまだ慣れず、不思議な出来事を前に、春菜は戸惑っていた。

「私、こっちに来るまで、力なんて全然感じなくて。多分、私が居た所は、すごく力が薄らいでるんだと思う。神様の存在だって、こんなに近くないもん」

感じた事をそのまま口にする。

「では、春菜は力の使い方を知るべき時に知る事が出来ないままきてしまった事になるのかな。それは…困った」

何が困るのか、と尋ねると、有間は真剣な表情で春菜を見た。

ちょうど、外が明るくなり始め、有間の真剣な目の色がはっきりと見て取れた。

「力を扱える者は得てして、物の怪に狙われる。なぜかは知らないが、おそらく、中に宿る力に惹かれるのだろうね。だからこそ、自分の力で物の怪に対抗出来ないのは危険だ。力を扱う事の出来る幼子は、対抗出来ずに命を落とす事も多い」

それに、と一呼吸置いてから、有間は続ける。

「本来知るべき時に力を扱う術を学ぶ事が出来なかったのは痛い。私とて、物心ついた頃には力を扱えた。人が己が歩き始めた瞬間を知らないように、私も力を使い始めた瞬間を知らない。歩き方を、それまで歩く事をしなかった人に教える事が難しいように、力を扱う事もまた人が教える類のものではない。だから、正直に言って、春菜がこれから力を扱えるようになるかどうかは、春菜次第だ」

言って、有間は真っ直ぐに春菜を見つめた。

春菜次第、つまりはどうなるかは分からない。言いようのない不安に襲われながら、春菜は自分の手の平を眺めた。

力を扱うと言う事には、全く実感が湧かなかった。

周囲に在る力は、春菜には親しみやすく、包み込まれるような安心感を覚えはしたが、それを扱うとなると、全く話しは違ってくる。

「しばらくは、私の側にいると良い、少しは助言も出来るだろう。違う危険もない訳ではないが」

有間の申し出に、先行きの見えない不安感も手伝って、春菜は黙って頷いた。

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