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千草の花  作者: 小夜
17/37

17、既視感

何度目になるだろうか。

目の端に捕らえた人の姿に思わず逃げ出してから、春菜はため息をついた。

昨日の物の怪騒ぎの影響もあり、一日村に滞在してから出立する事になり、春菜はゆっくりと時間をすごしていた。

退屈な牛車に長時間揺られる事もなく、本来なら喜んでいたのだろうが、今日ばかりはそうも言ってられなかった。

「私何やってんだろ、ほんと馬鹿」

悪態をついてみても、どうしても落ち着かずに場所を移そうと、後ろを振り向いた時だった。

「やあ」

心臓が止まるのではないかと思うほどに驚いて、春菜は一歩後ろに下がった。

悲鳴を上げそうになったのを何とかこらえて、ぎこちなく笑顔を作った。

朝からずっと逃げ隠れしていた今一番会いたくない人物が背後に立っていたおかげで、動くことを忘れたかのように頬が強張りうまく笑えなかった。

「そんなに逃げる事ないだろう。いくら私でも少し傷つくな」

いつもの笑みを浮かべた有間に、春菜は思わず視線を逸らした。

「だって…」

言い訳をしようとしたが、何も思い浮かばず言葉を濁し、ただ視線をさまよわせた。

「春菜、顔、真っ赤だよ」

唐突に告げられた言葉に、春菜は思わず両手で頬を押さえた。

手のひらに熱い己の頬に更に恥ずかしくなって、後ろの壁に背中を預けて座り込んだ。

「有間の馬鹿!」

酷いな、と笑う有間の顔を見れずにそのまま膝に顔を埋める。

「私は、あんな事の後にすぐに平気な顔してられる程大人じゃないの!」

春菜の言い分に苦笑して、有間も春菜の隣に座り込んだ。

「あんな事って、別に何もしなかったのだけどね」

「有間にとってはそうだろうけど、私には違うの!」

思い出すだけで恥ずかしくなって、更に強く頭を膝に押し付けた。

今朝も、起きると目の前に有間の顔があって、朝から春菜は絶叫するのではないかという思いをしたのだ。

抱きしめられたまま寝た事を思い出して更に恥ずかしくなり、そのまま春菜は有間に近づかないよう、昼過ぎまでずっと有間の姿を見かける度逃げ出していたのだが、とうとう捕まってしまったのだった。

「あー、無理無理無理無理。恥ずかしくて死ねる!」

「昨日の夜は普通だったのにね」

「…もう、からかいに来たの?」

ようやく顔を上げると、有間は首を横に振った。

「いや。…昨日は悪かったと思って」

笑みを収めて言う有間に、春菜も自然に表情を引き締める。

「本当にすまなかった」

「やめてよ、私怒ってないのに」

今度は別の居心地の悪さを感じて、春菜は慌てて立ち上がった。

「私も普通にするから、有間もあんまり気にしないでよね」

半ば捨て台詞のようにして言うだけ言うと立ち去る春菜の姿を見送って、有間は目を伏せ、小さく息を吐いた。


当てもなく歩くうちに、いつの間にか村の外れまで来てしまい、春菜は立ち止まった。

何となく村の外に出てはいけない気がして、春菜は方向を変え、村の外をぐるりと回るようにして歩き出した。

一人になる瞬間は現実味のないこの世界から切り離されて、中学生の春菜を思い出させて好きではなかった。

それでも、あまりに一人になる時間が少ないと、今度は中学生の春菜がいなくなり、現実味のない世界がだんだんと現実味を帯びてくるようで怖かった。

一度考え出すと、際限なく春菜の世界を思い出して、どうしようもなく不安になる。

夢だ、といつか帰れる、と安易に納得するにはこの世界の事を知りすぎて、その度にどうしようもない孤独感に襲われた。

この世界は好きだったが、それでも元の世界が恋しくないと言えば嘘になる。

けれど、いくら恋しいと思った所で春菜にはどうしようもない事柄で、考えるだけ辛かった。

ただぼんやりと歩いていた。

その為、足元の注意が疎かになり、何かに躓いただけだ、と初めは思った。

転びそうになった所を、たたらを踏んで、立ち止まった。

躓いたにしては何かが絡み付くかのような違和感に、足元に視線を落とした。

同時に、何度目になるだろう、瞬時にそれと分かる感覚に包まれ、小さくうめき声を漏らした。

なぜ気付かなかったのか。

周囲に満ちるこれほどまでに禍々しい空気、息苦しさすら感じる程に重たい空気。

足に絡みつく淀んだ暗い色をした煙のような物。

痛いほど心臓が大きく脈打っている。

何か、わずかでも動けば、それが最後になるような、張り詰めた緊張感に、気取られぬように、そろそろと眼だけ動かし後ろの気配を伺った。

これ以上ないほど早く心臓の鼓動が、すぐ耳元で鳴っていた。

意を決し、振り返ろうとしたその時に、ぼとりと上から物の怪のどろりとした体の一部が落ちてきた。

悲鳴すら上げる余裕なく、春菜は横に飛んだ。

思考はいたずらに空転し、打開策を求めていたが、有効な策は何一つ思い付かず、ただ少しばかり距離の出来た物の怪を凝視する事しか出来なかった。

逃げ出そうにも、足を絡めとられていては動けない。

どうすれば良い、と答えの出ない自問自答を繰り返す。

有間は、物の怪の気配に気付いているのだろうか、そう思い、周囲に視線を向けるが人の気配は全くない。

有間が来るまで持ちこたえればあるいは、と物の怪から視線を外す事なくそろそろと立ち上がる。

が、立ち上がる事叶わず、そのままずるずると足を引かれた。

引きずられながら、手当たり次第に周囲に転がる石や、果てには砂を投げ付けるが物の怪は動じる気配すら見せない。

目前に迫った物の怪の、独特の臭いに春菜は息を詰まらせた。

のしかかられる圧迫感と息苦しさに、意識が遠退く。

物の怪の気配に有間が気付かないはずはない。

ならば、もう到着してもおかしくないはずだ、と遠退く意識の中で考えるが、とうとう全身を物の怪に包まれ、周囲を伺う事すら出来なくなっていた。

自分の体の範囲すら捕らえる事が出来ず、物の怪に侵食される不可思議な感覚。

これが、喰われると言う事か、とどこか麻痺し、恐怖すら感じなくなっていた頭でぼんやりと考えた。

周囲に満ちる力と隔絶した状況になって初めて、春菜は自らの内に宿る力を感じていた。

全ての元、生命の源、つまりは春菜が春菜であるための核。

その力を、物の怪が喰らおうとしているのが手に取るように分かった。

物の怪が、その力を喰らおうとした瞬間、それまで霧がかかったようだった意識が唐突に鮮明になり、同時に凄まじい恐怖が蘇ってきた。

恐い、死にたくない、消えたくない、生きたい、渡してはいけない、禁忌を犯してはいけない。

ただそれだけだった。

何かが弾けるような不思議な感覚がしたかと思うと、春菜の意識は今度こそ本当に闇にのまれていった。


何故。

どうして。

私だけ。

幾度も廻る。

どうして。

もう一度。

何故。

どうして。

願うのは、ただ普通の幸せ。

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