16、神の加護に呪われた血
「今宵の宿が変更されたようですね」
物の怪も出ましたし、と言う八菜女の声に、春菜は現実に引き戻された。
春菜は退魔師、大君、有間、力、玉依姫、手に入れた知識が多すぎて、ぼんやりと物思いに耽っていたのだ。
全ての人が間違っているとは言い切れない。
それなのに、退魔師と大君は戦い、時彦と有間は殺し合おうとした。
力、八百万の神々、許可、全てが不可思議だった。
春菜の力ではどうしようもない、けれどどうしても仕様がないとは思えない対立。
「玉依姫は、どうして地上に残されたの?」
考えていた事が声になって出てしまってから、はっとして口元を押さえた。
「まぁ、何を考えてらっしゃるのかと思ったら。女神は、物の怪の事もありますし、まだ安寧には程遠い葦原を思われて巫女姫を残されていかれたと言われていますよ」
「…そう、だね。葦原のため…物の怪が出る葦原の」
呟いて、春菜は思いを振り切るように首を振った。
「それで、宿だったっけ?もう着くの?」
「ええ、すぐに」
言葉通りに、僅かの後に牛車が止まり、春菜はようやく地に足を着ける事ができた。
「今日は、大変な一日でしたね。明日は無事に進めれば良いのですが」
八菜女の言葉に心から同意しながら、宿に指定された所へと春菜は足を向けた。
急に用意されたと思われる、村の長らしき人物の離れがその日の宿だった。
いつものように、一人でそこまで行き、襖を開けて、春菜は凍りついた。
有間は普段通りに布団の上にいたのだが、そのすぐ脇に白い夜着に身を包んだ見知らぬ娘がいたのだ。
「春菜」
入り口で立ち尽くしていた春菜に声をかけ、有間が側に来るように目線で促した。
どうしようか、と考える前に、体が動いていて、春菜は有間の隣にまで進んだ。
そこで、つと腕を取られ軽く下に引かれた。
突然の事に均衡を崩して、春菜は有間の腕の中に倒れ込むようにして膝の上に抱かれた。
「あ、あの」
動揺をそのまま表情と声に出した春菜を、有間は目線で黙らせた。
「私には相手がいるんだ。ありがたい申し出ではあるが、今回は断らせてもらう。せっかく器量も良いんだ、好いた相手と共に夜をすごしなさい」
諭すように告げる有間を見て、娘は視線を逸らした。
「あの、ですが」
傍目にも緊張しているのが分かるほど、表情も声も強張らせて、それでも娘は食い下がろうと、頭を下げた。
ようやく、有間の意図を理解して、春菜は大人しく有間の腕の中に納まっていたが、どうにも居心地が悪い。
どのような顔で娘を見てよいか分からずに、春菜は有間の方へと顔を向けた。
「わ、わたくしも、皇子様のお相手を、と。朝まで家には入れないと、追い出されてしまいまして…」
突き放される事など予想せずに、覚悟を決めて来たのであろう娘は本当にどうしたら良いのか分からないといった様子で、有間に視線を送る。
少しの間それを眺めてから、不意に有間はため息をついた。
「大丈夫だ。私は夜伽の相手を求めた事は一度もない。こちらも慣れている。随従が良く計らってくれるだろうから」
それでも困ったように動かない娘に痺れを切らしたのか、有間は春菜と娘を見比べた。
「君がそこに居て、見ていたいのなら、それはそれで私は構わないのだけど」
言って有間は、春菜を抱きすくめた。
「え、ちょっと、待って」
慌てて離れようとしたが、思いの外強い有間の力に負け、春菜はそのまま有間と共に布団に倒れ込んだ。
「し、失礼致しました!」
上擦った娘の声と、ばたばたと足早に遠ざかって行く足音を有間の胸板に視界を阻まれたまま聞こえ、すぐに部屋は静かになった。
「あ、有間」
至近距離に浮かぶ有間の顔に思わず顔を赤らめて名を呼ぶと、すぐに有間は春菜から離れた。
「急にすまなかった。ありがとう、助かった」
けろりとした様子で言う有間が恨めしく思えた。
「何も、ここまでしなくても。あの子もかわいそう」
ちらりと有間を見てから、何となく気恥ずかしく感じ、春菜はすぐに視線を逸らした。
「かわいそう?周囲に言われ、もてなしの一環として、拒否する事も出来ずに差し出されていく方がかわいそうだと私は思うが」
言われて、春菜は言葉につまった。
「それは、そうだけど。でも、もう少し優しいやり方が…」
「私が優しくした所で、彼女達には私と共に一夜を過ごす以外の選択肢がない。それならば、突き放す方が良い。優しくしたところで、彼女達には引き下がるという選択肢はないんだ。ちゃんと誰か対応しているだろう。こんな事にはなれているから。それとも、彼女達の立場を思って、抱けば良い、と春菜は言うのかい?」
直接的な表現に、顔に血が昇るのを感じながら、春菜はようやく有間の顔を見た。
「なんで、有間は恋人がいないの?皇子なら、子供を残さないといけないんじゃないの?こういうのだって、この時代なら、常識じゃないの?どうして、わざわざ一人きりの道を行くの?」
八菜女の言葉を思い出して、疑問に思っていた事がつい口を突いて出てしまった。
「…興味がないだけだ。私は一人で良い。子供が欲しいとは思わない。私は、この血を残したいとは思わない」
「本当に?」
重ねて尋ねると、有間はいつものように微笑むとうなずいた。
「…じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?」
虚を突かれたような表情で、有間は動きを止めた。
言おうか言うまいか、逡巡した後に、結局春菜は口を開いた。
「有間は、いっつもそうやって笑ってるけど、悲しそう。笑ってるのに、悲しそうで、寂しそう。特に大君の話しとか、家族の話しとか、そんな時、いっつも寂しそう」
ただまっすぐ有間の目を見つめた。
急に虚ろになったようで、何の感情の動きも映さない瞳が少し怖かった。
(初めて会った時にも、こんな目をしていた)
不意に思い出して、納得した。
初めだけではなかった。
いつもにこやかに穏やかな柔らかい笑みを浮かべながら、それでも有間の瞳は感情に乏しかった。
何の色も写さない瞳は寂しそうで、悲しそうで、ただ絶望の色だけを浮かべていた。
春菜はそんな瞳を良く知っていた。
春菜の世界では、多くの人がそのような瞳を持っていた。
楽しそうに笑いながら、友達としゃべりながら、それでもいつも寂しそうな、何かを諦めたようなそんな瞳を持ってる人はどこにでもいた。
「有間?」
突然顔を下げた有間に、小さく声をかけると、彼の肩が揺れた。
小刻みに肩が動く。
顔を上げると、有間は笑っていた。
くつくつと、どこか壊れたような笑いだった。
「私は狂っているんだ。私だけじゃない。私の一族は狂っている」
唐突に話し出した有間に戸惑いながら、春菜は黙って耳を傾けた。
「私は湯治に行く、と話さなかったかい?」
「うん。そう言ってた」
同意すると、有間はさもおかしそうに笑う。
「何を治しに?私は怪我も病も何も患ってはいない。そう見えないかい?」
尋ねられて、春菜は黙って頷いた。
実際有間は健康そのもののように見えた。
「では、何を治しに?」
言われて、春菜はようやく矛盾に気付いた。
「私はどこも悪くない。それでも湯治に行く。何故?湯治なんて、口実だ。私はただ逃げたんだ。逃げるために心を患い、気を狂わせた。そうして逃げ出した。ただ、それだけだ」
「…逃げ出すって、何から?」
要領を得ない有間の言葉を理解しようと、必死で頭を働かせながら、春菜は問いかけた。
「大君から。葛城皇子から。朝廷から。私は前大君の息子。現大君の息子は葛城皇子。大君は葛城皇子に位を譲りたい。つまり、私が邪魔なのだ。さらには、私は大君の家系に伝わる力を受け継いでいる。今の世でただ一人。邪険にするには脅威で、だからと言って邪魔には変わりない。あわよくば、退魔師に殺されればよい。それが彼らの本音だろう」
あくまで淡々と語る有間は、諦めたように事実を述べる。
「私の祖父は幼い頃になくなり、有力な後ろ盾をなくし、さらに父をも亡くした。父は、実の姉に、甥に、姪である妻に、朝廷の官僚に裏切られ、無念の中で死んだ。そして、私は父を裏切った朝廷の中でこうして生きている」
春菜に語ると言うよりは独白に近い声音で有間は続ける。
「叔母が大君になり、更に私は疎んじられるようになった。もう、長くはないだろう」
いつだったか聞いた、有間の声が蘇ってきて、春菜は目を伏せた。
(私は朝廷の無用の長物だからね)
ようやくその意味がわかった。
皇位継承権を巡る血みどろの親族間の争い。
「だから、私は子など為したくはない。私の子など生まれながらに危うい立場に違いない。濃くなりすぎた呪われた血は、いつか絶える」
「でも、有間は悪くない。有間、苦しそう。有間は何も悪くない」
強い色を瞳に浮かべて、春菜はそう言った。
「私は、なんにもこの世界の事知らない。有間の事も、朝廷の事も。でも、有間は良い人って分かる。有間が苦しむ必要ない」
言い切って有間を見ると、彼は口元を緩め笑った。
感情の伴わないおかしな壊れたような笑みだった。
「良い人?私が?本当に?春菜は私の何を知っている」
声を上げて笑うと、有間は春菜を見据えた。
そのまま、腕が伸び、春菜の肩に触れた。
「有間?」
問い掛ける春菜の声には答えずに、今度は本当に春菜を抱きしめた。
「何を知っている」
もう一度耳元で囁くように言われ、春菜の背中に回る腕の力が強くなる。
「生き抜くために身に付けた面。これ以上に波風を立てず生き延びるように。お前を拾ったのもただの気まぐれ。暇潰し。違うと言い切れるか?私は、ずっと壊してしまいたかった」
体重をかけられ、春菜は支える事が出来ずに、ゆっくりと後ろに倒れ込んだ。
「本当は、めちゃくちゃに全てを壊してしまいたかったんだ」
吐き出すように呟く。
全身に有間の重みが伝わってきた。
肩に埋めるようにしていた頭をゆっくりともたげ、有間は春菜と視線を合わせた。
今にも鼻先が付きそうな程の至近距離。
冷たい色を浮かべた有間の瞳は、やはり寂しそうで、迷い子のようだった。
思わず両手を有間の背に回し、わずかに力を込めた。
「有間、苦しいなら苦しいって言えば良い。全てが憎くても、それでも有間は壊さなかった。有間とはまだ会ってちょっとしか経ってないけど、良い人だってちゃんと分かる」
「…このまま、春菜を壊してやりたいと思っているのに?」
それに、春菜は黙って頷いた。
「だって、ほんとにそうしようと思ってたら、そんな事言わない。それに、そんなに苦しそうな顔しないよ。有間は恐いだけだよ、きっと」
「恐い?」
聞き返されて、春菜は微笑んだ。
「私はこの世界の人間じゃない。だから、大君とかそんなの関係ない。絶対、私は裏切らない」
自信を込めてそう言うと、ただ有間は黙って春菜を見た。
「…そんな顔しないでよ。私、有間の事好きだよ」
「え?」
面食らったようにわずかに、上体を春菜から離した有間に、春菜は慌てて言葉を続けた。
「あ、や、好きって、友達としてって言うか、他意はなくて」
春菜の様子に、ようやく有間が小さく笑った。
「この状況での好き、は普通違う好きになるけどね」
「だって、それは、有間が!」
むきになり、顔を赤くする春菜に、有間は更に笑みを深めた。
「ね、有間、ちょっと離れない?なんかちょっと」
未だに春菜の上にいる有間にそう告げると、有間はわずかに間を空けてから口を開いた。
「誓って何もしない。今日だけ、このまま寝ては駄目かな」
その口調に思わず黙り込む。
返事の代わりに、背中に回した腕にわずかに力を入れると、安心したように有間が笑う気配がした。
上に乗っていた有間の体が横に移動し、今度は包み込まれるように腕を回された。
何となく気恥ずかしく、顔を上げる事が出来ずに目を閉じた。
しばらくして、夢の中へ誘われる直前、夢と現の狭間で、ありがとう、ごめん、と小さく呟く声がしたような気がしたが、そのまま春菜は眠りに落ちていった。




