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千草の花  作者: 小夜
15/37

15、血筋

山間(やまあい)の細い道を列になって進む一行の、ちょうど真ん中あたりを進む牛車から、春菜は小さく顔を覗かせた。

はしたないと注意されたのも始めのうちだけで、行動を共にして三日目にもなると、呆れたように笑われ声をかけられるのみだった。

有間とは、夜と食事時以外はほとんど顔を合わす事もなく、一日の大半を春菜は八菜女と過ごしていた。

「そんなに外が気になりますか?」

「うん。面白い」

呟くように返して、ようやく春菜は牛車の中の八菜女に顔を向けた。

「春菜」

不意にかけられた声に、もう一度春菜は外に顔を覗かせた。

「少し列から離れないかい?」

相変わらずの穏やかな笑みでそう尋ねる有間に春菜は笑って頷いた。



「どうしたの?急に」

有間の前に収まってから、春菜はそう言って背後にいる有間を振り仰ぐ。

「いや、あんまり大人しく車に乗ってばかりだと、春菜が退屈するのではないかと思って」

ゆっくりと馬を進め、徐々に列から離れて行く。

「ありがとう。外の様子も見れないし、ほんとに退屈してたんだ」

春菜が礼を言うと、有間は小さく頷いた。

「それに、私もあまりあの場所は好きじゃない」

笑みを潜めて、付け足した有間に春菜は首を傾げた。

普段の有間の雰囲気とは違う、どこか人を寄せ付けない表情だった。

「…あの場所?」

聞き返しても、有間は笑って首を振るばかりで返答は得られなかった。

諦めて春菜は前を向くと、有間は道ではないような木々の中を分け進んでいた。

人気は更になくなり、力が周囲に満ちているのが、肌に感じられた。

力に包み込まれるような感覚に、春菜は目を閉じた。

「良い、とこだね」

目を閉じたまま、呟くように言う。

「力が、体に染み入ってくるみたい。すごく、安心する」

「春菜、分かるのかい?」

驚いたような、怪訝そうな、不思議な声音で尋ねられて、閉じていた目を開く。

「分かるって?」

「力が満ちているのが、分かるのかい?」

もう一度言われて、春菜はゆっくりと頷いた。

「うん。すごく安心する。それが?」

春菜、と呼ばれ振り向くと、思いの外真剣な有間の視線に行き当たった。

「力は、普通人は感じる事が出来ない」

「え?でも、時彦は…」

「感じる事が出来るのは、退魔師など、限られた者だけ。それも、退魔の術を使用した時のように、普段より多くの力が集まった時だけだ。自然にある力は、人の感覚に触れるには少な過ぎる」

硬い表情のまま告げられ、春菜は、でもと呟いた。

「私は、分かる。感じる。ダメな事なの?」

不安になって尋ねると、有間はゆっくりと首を横に振った。

「駄目、ではないね。有り得ないだけだ」

有間の言葉に困って首を傾げる。

「力を感じられるのは、大君の一族だけだ。時が経ち血が薄れた今は、大君の一族でも、一部の者にしか現れない力だ」

何の表情も浮かべずに、有間はただ春菜を見る。

「大君の一族だけ?」

「そう。言っただろう?大君の一族は玉依姫(たまよりひめ)から力を受け継いでいるんだ。天地創造の力を」

「有間も?」

春菜の問いに、一瞬口を噤むと、有間は頷いた。

「今、力を受け継いでいるのは、私だけだ」

僅かの間静寂がその場を支配したが、不意に有間が微かに微笑んだ。

「すまなかった。変な話しをして。考えすぎだろう、きっと。春菜は遠い世の人間。どこかで大君の血が混ざってたまたま力を得たのかもしれない」

有間の言葉に春菜は曖昧に頷く。

実際の所、春菜は有間の言う事をよく理解してはいなかった。

正確には頭では分かっていたが、それがどういう事かを理解していなかった。

何事においても、例外はあるもので、たまたまその例外に春菜が当たってしまっただけであり、春菜には何の問題もないように思えた。

それ以前に、神話の世界と今が繋がっている事に戸惑い、この世界に来るまでは感じるどころか信じてすらいなかった、所謂第六感のような話しに、実際に体験していながら現実味が湧かなかったのだ。

「力って、何が出来るの?」

どことなく気まずい雰囲気を拭い去ろうと、春菜は口を開くと、有間もいつものように答えを返した。

「力とは、無から有を創り出すもの。この世にある全ての物を創り出せる力」

「全てを?」

頷くと、有間は手の平を上に向け、春菜の前に差し出した。

何の前触れもなく、小さく音を立てて炎が上がり、有間の手の少し上の空中で小さく燃える。

突然の事に驚き身を引くと、有間は笑ってすぐに炎を消した。

「力は、この世の源。生命の本質。女神は力を持って国生みをなさった。すなわち、万物全て力が形作った物。自然にあるもので、力で創れない物は何もない」

「それって」

言いかけて、春菜口にするか迷ってからもう一度口を開いた。

「生き物も…人も生み出せる、って事?」

空恐ろしさを感じながら、ゆっくり尋ねる。

春菜が出そうとした声より、少し小さく、僅かに掠れた声が喉から出た。

有間は、一瞬春菜に視線を向ける。

「可能だ」

言い切ってから、有間はふと微笑む。

「けれど、それは人の分に余る。私程度の力では、命なき物しか創れはしない。八百万の神々ですら、出来はしない。女神ただお一人だけしか、出来ない事だ」

「良かった」

思わず口を突いて出た言葉に有間が首を傾げた。

「どうして?」

「だって、命を生み出せるなんて、恐い。人ではなくなるみたいで…どうかした?」

呆気にとられたように、春菜を見る有間に、何かおかしな事でも言ったかと首を傾げる。

「変わった考え方をする」

心底驚いたと言った風に有間は、春菜を見る。

「命を生み出せる事は、つまり力が強いと言う事で、神に近い。玉依姫の神聖な血筋に連なる者として、誉れ高い事であるとしか、今まで教えられては来なかったし、そのように考えた事もなかった。俗人と交じらず、神聖な血を守り、力を限りなく純粋なものにする。それだけが、全てだった」

「でも、それは孤独って事だよね?」

春菜の言葉に、有間は表情を固くする。

「…そうだね。神聖であれ、孤高の存在であれ、と言う事は、孤独と隣り合わせの事だ」

「寂しいね」

有間はそれに微笑むにとどめ、それ以上言葉を返そうとはしなかった。

「春菜?」

突然表情を強張らせた春菜に、怪訝そうに有間が問いかけた。

「有間、物の怪が。みんなが危ない」

何度目になるだろうか、無意識に感覚の端を捉える感覚に、春菜は眉をひそめた。

一向にこの背筋が粟立つような感覚に慣れる兆しは見えない。

「物の怪?」

一度問い返すと、すぐに有間は、手綱を取った。

「私、わかるの。物の怪が現れる直前に。力がおかしくなるの。有間も感じる?」

うわ言のように呟くと、いや、と短い返答が返ってきた。

「そのような力は、私にはない」

馬を駆けさせて、少したった頃だった。

「ああ、間に合わなかった」

有間が搾り出すように言うと同時に、春菜にもそれが伝わった。

力の揺らぎが大きくなり、染み付いて忘れる事の出来ない物の怪の気配が現れたのだ。

怖気が走り、体が強張るのを感じ、春菜は着物の端を強く握った。

物の怪に近づくにつれ、叫び声と悲鳴が耳に届くようになった。

同時に木々の間から、物の怪の、煙のような姿と、人々の列が垣間見えるようになる。

車と、歩きの随従を後ろに回し、武装した男たちが物の怪に対峙しているようであったが、追い詰められているのは誰の目にも明らかだった。

男たちが射掛ける弓矢は、物の怪に傷をつけるどころか、当たる事すら出来ずに、背後の地面へと落ちていく。

剣も空を切るばかりで、物の怪はずるずると、そのはっきりとしない濃い黒い煙のような身体をずるずると地に引きずるようにして男たちに迫っていく。

「下がれ!手を出すな!」

それらを目にすると同時に、背後から有間が大声を上げた。

「皇子様!」

「有間皇子!」

随従の間から、声が上がり、それに気づいた男たちがすぐに物の怪の前から退いた。

同時に物の怪が春菜を見た。

今回は文字通り見たのだ。

前回見た物の怪とは違い、そのどろりとした身体のちょうど真ん中より少し上に、ぎょろりとした、異様に大きな血走った目があったのだ。

煙のような身体に浮かぶ眼に、春菜は思わず息を呑んだ。

(目が、離せない…)

目があった、と思うとまるで目に見えない力が働いているかのように、物の怪の目から視線を外す事が出来なくなったのだ。

(目を逸らせば…喰われる)

確信だった。

隙を見せれば殺される。

呼吸すら忘れ、物の怪の目を見つめていた春菜の後ろで、有間が馬から飛び降りた。

ごく自然に有間は何の気負いもないかのように、物の怪に歩み寄った。

春菜に向けられていた物の怪の視線が、有間に向くと同時に、有間を取り巻くように煙がずるりと動いた。

それにちらりと視線を送り、有間はつと手を物の怪に向けた。

その腕に絡みつく煙が、這い登っていく。

喰われる、と思った次の瞬間だった。

突然、馬上で見せたのと同じ炎が物の怪を包んだ。

一度大きく燃え上がったかと思うと、すぐに収まり、ぼろぼろと燃えかすのような砂のようなものと、薄い灰色の煙に変わって、物の怪の姿は掻き消えていた。

「怪我人は?」

有間の声に、春菜ははっと我に返り周囲を見回した。

大きな怪我を負った人はいないようで、ほとんどの者は無傷だった。

「列が整い次第出発だ。それまでに怪我人は手当てを受けておいてくれ」

慣れたように指示を出し、有間は春菜にも牛車に戻るようにと言って、すぐに離れて行った。

大人しくその言葉に従い、牛車の中を覗き込む。

「春菜様」

春菜の姿を目にし、ほっとしたように表情を和らげて八菜女は微笑んだ。

「良かった。有間皇子とご一緒でしたから、滅多な事はないと思いましたが、安心致しました」

心底ほっとしたように言う八菜女に、春菜も表情を緩める。

「八菜女こそ、無事でよかった。列が進みだすまで、牛車で大人しくしてろ、って言われて」

言いながら、春菜は八菜女の隣に座る。

「最近は本当に物の怪が多いですね。わたくし達は、有間皇子がいらっしゃるので、安心ですが」

八菜女の言葉に、物の怪を払う事が出来るのは、力だけだ、と言っていた時彦の言葉を思い出し、うなずいた。

「これも巫女姫の加護のお陰ですね」

聞きなれない単語に聞き返すと、八菜女は不思議そうな表情をして春菜を見た。

「これも忘れてしまわれたのですか?大君のご一族は巫女姫の血に名を連ねる高貴な方々ばかりですわ。女神に愛され加護と力を与えられたのです。有間皇子は特に神に愛されたお方ですから、力もすばらしいですわ。都で有間皇子以上の力の使い手はおられませんもの」

「退魔師もかなわないの?」

「それは勿論。退魔師は、力を八百万の神々から許可を得て借り受ける事によって物の怪と対抗するので、全然違います」

八菜女の言葉に春菜は首をかしげる。

「何が違うの?」

「有間皇子は、ご自身の体に力を宿されているのです。ご自身の力ですから、退魔師のような借り物ではなく、もっと自由自在に使えますし、神々に伺いを立てて許可を得る必要もございません」

詳しい事はわかりませんが、と付け加えそう説明すると、八菜女はああ、と思い出したように声を上げた。

「そう言えば、だから退魔師は有間皇子と違って、人には無力なのだそうですよ?神々は物の怪が現れなければ、力の使用の許可を出しませんから。ですから、人と人の戦いになれば、ただ人の退魔師と力を扱える有間皇子とでは戦いにもならないそうですよ」

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