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千草の花  作者: 小夜
14/37

14、八菜女

有間と春菜が、町に辿り着くのと同時だった。

有間皇子(ありまのみこ)!」

方々から、悲鳴にも似た叫び声があがり、四方から人々が駆け寄ってきた。

「一体どちらに行ってらしゃったのですか、お探し申し上げました」

男が一人駆け寄りながら有間にそう声をかける。

「少しね」

柔らかいがそれ以上尋ねる事を許さない響きを含んだ声音で有間は答える。

「とにかく、ご無事で安心致しました」

言って男はようやく有間と共に馬上にいる春菜に視線を向けた。

「この娘は、どうされたのですか?」

馬の手綱を取り、通りを引いて歩きながら男はもう一度春菜に視線を向ける。

「湯治に共に行く事にした。身の回りの世話をするよう采女(うねめ)(わらわ)を手配しておいてくれ」

慣れた様子で、指示を出す有間の前で春菜は表情を強張らせたまま周囲を窺った。

馬上の有間を取り囲むようにして、十人ほどの男が歩いていた。

何より、有間が皇子と呼ばれたのは春菜の聞き間違いだったのだろうか、と有間を振り返る。

有間は春菜を安心させるように微笑むと、前を向くよう目で促した。


町に入った時の騒ぎはまだ序の口だったのだ、と春菜が悟ったのは宿についたすぐ後の事だった。

一行が泊っているらしい屋敷についた途端にまた同じような騒ぎになったのだ。

周囲を取り囲まれ、どたばたと受け入れの準備をする人々の中、有間だけは一人ゆったりと構え、落ち着き払っている。

「どうぞ、こちらへ」

後ろから声をかけられ振り向くと、春菜と同じ位の年頃の少女が立っていた。

「わたくし、身の回りのお世話を任されました、八菜女(やなめ)と申します。何かございましたら、わたくしにお申し付けくださいませ。御召し物を代えていただきたいので、こちらへどうぞ」

長い()を優雅になびかせて、八菜女は春菜を導く。

改めて周囲を見て、春菜は彼女達の服装が村や町で見るものとも着物ともさらに少し異なっている事に気がついた。

どちらかと言うと、中国的な服装だった。

町の女物の服装をさらに豪奢にしたようなものだ。

上は着物のようだが、腰から下は、長いスカートのようなふわりとした薄い裳を纏い、それを腰の当たりで帯のような紐のような物で止めている。

八菜女と他二人に導かれ連れて行かれた先は、湯屋だった。

あっと言う間に脱がされ、身体を洗われる。

慣れない事に驚いた春菜だったが、あまりの手際の良さに押され、されるがままに身を任せた。

湯殿を出ると、新しい服が用意されていて、また周囲に着せかけられながら春菜は、肌に柔らかい布に腕を通した。

着物の着方に疎い春菜にはありがたい事だったので、今度もまた黙ってされるがままに身支度を整えてもらう。

長い裳は裾捌きが難しく、ぎこちなく一歩一歩踏み締めるように歩く。

ようやく全てが終わり夕餉の席に案内された時には、春菜は完全に疲れきっていた。

「春菜、見違えたね」

先に夕餉の席についていた有間は、一瞬まじまじと春菜を見つめてから、感心したようにそう言った。

「あ、有間ぁ」

もちろん春菜には、誉め言葉に喜ぶ余裕もなく、わずかな間離れていただけだと言うのに、久しぶりに会えたような奇妙な感覚を覚えながら有間を見た。

「なんで皇子って教えてくれなかったの?もう、びっくりして疲れちゃって」

ため息とともに心底疲れ切ったように言う春菜に有間は苦笑する。

「すぐ慣れるさ」

言って食べ始める有間に倣い、春菜も匙を持ち膳に並ぶ料理を口に運ぶ。

しかし、ゆっくり味わうには半日に渡る乗馬と、宿での騒ぎに疲れすぎていた。

よく味も分からないままに咀嚼し、飲み下す。

「皇子って事は、有間は大君の息子なの?」

「いや、私は、先代の大君の子だ。今の大君の子は葛城皇子だ」

言った有間の表情に、春菜はわずかに動きを止める。

春菜には何とも良く分からない表情が、有間の顔に浮かんだからだ。

(寂しいの…?)

そう口を突いて言葉が出そうになり、慌ててもう一口料理を口に運んだ。



襖を開けた有間と、部屋で迎える形になった春菜が思わず、ぽかんと相手の顔を見たのは、夕餉後少したった頃だった。

疲れただろうから、早く休みなさい、と有間に気遣われ、八菜女に寝具の準備をしてもらい、寝屋に案内されたのが、つい先程。

二つ並べられた布団に座り、はたと首を傾げた所で背後の襖が開いたのだ。

「春菜?」

春菜だけでなく、有間も幾分驚いたようにして寝間に入ると、後ろ手に襖を閉めた。

枕元に置かれた蝋燭の火の不規則な温かい光が、周囲をぼんやりと浮かび上がらせる。

「これは…困った」

有間の言葉に、はっと我に返り、春菜は慌てて布団から立ち上がった。

「あの、私」

「どうやら、夜伽(よとぎ)をさせるために春菜を連れてきたと、勘違いされてしまったようだね」

有間の言葉に、春菜の頬にわずかに赤みがさす。

「部屋を別に用意させ…」

言いかけて、ふと有間は春菜に視線を向けた。

「いや、それでは春菜の立場がないね。春菜さえ良いのなら、同室で良いかい?もちろん、私は何もするつもりはない」

春菜が小さく頷くのを確認すると、すぐに有間は横になった。

おずおずと、幾分気後れしながら、春菜も隣の布団に入る。

昼間の疲れからだろうか、横になった途端に睡魔に襲われ、何を考える暇もなく春菜は眠りに落ちて行った。


「珍しいのですよ?」

翌日の移動中、話し相手にと八菜女と共に車に乗っている時の事だった。

「有間皇子は夜はお一人で過ごされる事が多いのです。こうやって、都の外にお出になられる度宿泊先の豪族や有力者から夜伽に、と娘が送られてくるのですが、有間皇子はそれを一度たりともお受けになられた事はないのです」

(さすが飛鳥時代、男女の考え方がまるで違う)

八菜女の言葉に、赤くなりながら春菜は内心独り言ちる。

「でも、都には誰かいらっしゃるのでしょう?」

確認のつもりで発した言葉は、八菜女が大きく(かぶり)を横に振った事で否定された。

「それが、そのようなお噂も特にわ。高貴なお生まれで、あれほどにお美しいのですから、お相手はごまんといらっしゃるでしょうに」

心底不思議そうな表情で、八菜女は言う。

「変わった方」

春菜の言葉に、八菜女は本当に、と小さく笑う。

「あげく、山でこんなにお綺麗な姫君まで拾われて」

有間が随従に山で記憶を失った女を拾った、と話したのを伝え聞いたのだろう。

八菜女は、優雅に微笑んで言うと、春菜を見る。

「姫君なんて…どこかの村娘かもしれないのに」

春菜は八菜女の言葉に、何とも言えない気持ちで苦笑いを浮かべる。

「まあ、村娘なんてとんでもない」

真剣な表情で向き直った八菜女に、春菜は思わずわずかに身を引く。

それを引き止めるかのように、八菜女は春菜の手を取る。

「ご覧なさいまし、この御手を。村娘はこのような美しい手はしておりません。農作業で、豆が出来て固くなりますもの。御髪(おぐし)も、これ程お美しいですのに。少し短いのは残念ですが」

言って、八菜女は今度は春菜の肩より少し下まで伸ばした髪を一房手に取る。

染めていなくて良かった、とどこか場違いな事を思いながら、春菜は居心地の悪い思いを抱きつつ八菜女を見る。

何しろ、春菜を褒める八菜女こそ美しい少女だったのだ。

可愛いらしい顔立ちをして、健康的な美しさのある少女だ。

始めこそ畏まっていたが、年が近い事もあり、すぐに打ち解けてからは良くしゃべる明るい子だった。

「それに、肌もくすみもなく日に焼けてもいません。このような村娘がいるはずもありませんわ。どういういきさつで倒れておられたのかは存じませんが、春菜様は、どこかの姫君に間違いありません」

あまりに自信に溢れた物言いに、春菜は笑い出す。

「何もそんなにむきにならなくても」

それにはっとしたように身を引いて八菜女は微かに頬を赤らめて俯いた。

「申し訳ありません。つい、熱くなってしまいまして…とんでもない失礼を」

八菜女の反応に慌てて、春菜は首を振る。

「違うの、そんなつもりじゃ。八菜女と仲良く出来て私は嬉しいの。突然良く分からない所に来てしまって、女の子の友達が欲しかったの」

満更嘘でもない気持ちを述べて、春菜は八菜女の手を取る。

「そんな、友達だなんて、身分が全然違いますわ」

慌てる八菜女に、春菜は笑いかける。

「私の身分なんて分からないじゃない」

零れ落ちそうな程に目を見開いて、八菜女はそんな訳には、と小さく呟いた

「それに、春菜様は有間皇子がお連れになった方です。私のような采女がそのような」

困ったように言う八菜女に、春菜はもう一度笑いかけた。

「そんなの関係ない。ダメ?」

呆けたように春菜を見つめ、しばらくたって八菜女はゆっくりと頷いた。

「春菜様は変わった方ですね」

「変わってちゃいや?」

八菜女の言葉に不安になって、尋ねると八菜女は笑って首を横に振った。

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