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千草の花  作者: 小夜
13/37

13、有間

心地良い静かな空間だった。

ゆっくりと目を開くと、まず目に映ったのは天井の木目だった。

「気がついたかい?」

低くもなく、高くもない、どこか中性的な響きのある穏やかな声に、春菜はゆっくりと上半身だけ起こした。

春菜のすぐ横に座る男は、やはり中性的な印象を見る人に与える男だった。

綺麗な造りをした顔に、やはり穏やかな笑みを浮かべている。

「あなたは…」

まだぼんやりとした表情で、春菜は首を傾げる。

「私、なんで…」

言いかけてさらに春菜は首を傾げる。

誰かと一緒にいなかっただろうか。

学校からの帰り道、何かとんでもない事が起きなかっただろうか。

思い出すにつれ、春菜は表情を険しくする。

「あなた!時彦は?どうしたの?」

半ば叫ぶように尋ねると、男は穏やかな笑みを浮かべたまま首を横に降る。

「彼は、置いてきた。死んではいないはずだよ。あの程度で退魔師が死ぬ訳もないだろうし」

とどめはささなかったから、と付け加え、男は春菜の顔を覗き込む。

「気を失った君を連れてあそこを離れた時には、彼も意識はあったから彼は大丈夫だろう。それより、気分は?」

気遣わしげな表情に、思わず春菜は黙り込む。

「…なんで私を助けたの?あなた、誰?」

春菜の問いに、薄く笑むと男は静かに口を開いた。

「なぜだろうね。君が退魔師でないなら、私には君を害す理由はないし、何となくね。私の事は有間(ありま)と呼んでくれれば良いよ」

「有間?」

言われた名を繰り返すと、有間はまたふわりと笑う。

これほど穏やかな笑顔を見せる人が、時彦を斬った事が信じられなかった。

そう思ってから、有間は時彦を斬った時にもやはり穏やかな笑みを浮かべていた事を思い出した。

「君の名は?」

「為末春菜」

春菜の返答に、有間は驚いたように動きを止める。

「聞かない氏だね、どこの家系だい?」

返答に窮し、目を逸らす春菜を有間は首を傾げて見つめる。

「あの、私そんなんじゃなくて、えっと」

しどろもどろになりながら、春菜は状況を説明する。

物の怪や退魔師などと言う存在が当たり前な世界だ。

未来から来たと言う話しも信じてもらえるかもしれない、そう思ったのだ。

しかし、その期待はすぐに裏切られる事になった。

「つまり君は、退魔師が式神を呼び出そうとして、誤って先の世から呼び出されてしまったって事かい?」

要領を得ない春菜の説明を、まとめた言葉に春菜は大きく頷く。

「なんだか、にわかには信じられないような話しだね」

言って、有間は困ったように春菜を見る。

「そんな、でも本当なんです」

「そもそも、退魔師が式神を使うなんて聞いた事がないんだよ。だが、君が未来から来たとすれば、風変わりな名前も納得できる。どんな字を書くんだい?」

「四季の春に菜の花の菜で春菜」

春菜の説明に、有間は頷く。

「良い名だ。暖かくて綺麗な名前だ」

照れもせずに、そう言ってのけると、有間は春菜に向き直る。

「さて、春菜。私は今少し湯治に出ていてね。一緒に来るかい?行く当てはないんだろう?」

突然の申し出に、春菜は返答に困る。

つい和やかに会話をしていたが、有間は時彦を切った張本人なのだ。

「ああ、そうか。春菜に聞いてはいけないね」

返答に詰まった春菜を見て、一人納得して有間は言葉を続ける。

「私と退魔師は敵同士、私について行くとなれば彼らに対する裏切りだからね。なら、選ぶ必要はない。嫌がっても連れて行くよ。少し君に興味もできたからね」

「違います、私そんなんじゃ…。連れて行ってください、私、帰る家も生きる術も何もないんです」

言い切って、春菜は真っ直ぐ有間を見た。

微かに胸の奥が痛んだが視線を反らす事はしなかった。

ふわりと笑うと、有間はわかった、と頷いた。

先に春菜を切り捨てたのは時彦だったはずだ。

そう割り切ってみても、春菜の脳裏にちらつくのは、春菜を庇って斬られた時彦の姿だった。







有間の話しによると、湯治に行く一行から抜け出して一人寄り道をしていたため、まずは仲間と合流しなければならないとの事だった。

春菜が目を覚ましたのは、昼前で、馬で半日ほどの距離にある町にいる有間の仲間の下へ向かうには十分余裕のある時間帯だった。

初めて間近で見る馬に、おっかなびっくりしながら、有間に手を貸してもらい、馬の背に収まると、その後ろに身軽に有間が飛び乗った。

規則的な振動に揺られる事にようやく慣れ、景色に目を向ける事ができるようになった頃、不意に春菜が口を開いた。

「ねえ、有間聞いても良い」

馬の背に揺られながら、すぐ近くにある有間の顔を見上げて問い掛けると、何、と返事が返ってきた。

「なんで、退魔師と有間は敵同士なの?」

有間は困ったような笑みで春菜を見る。

「朝廷と退魔師は昔から対立しているんだ。大君(おおきみ)に従わない勢力として、朝廷からは目の敵にされている。私は朝廷側の人間だからね、彼らに怨みはないが、仕方ない事なんだ」

ゆっくりと、けれど足で歩くよりは早く過ぎ去って行く景色を眺めながら春菜は有間の答えを反芻する。

時彦と違い、有間は街道らしき道を進んでいるため、見える景色も全く違う。

多くはないものの、道を行き交う人々や、周囲に広がる田畑、時折現れる農村も春菜には珍しい。

「退魔師って、物の怪を退治するんでしょ?それがどうしてダメなの?」

「退魔師は、八百万の神と玉依姫(たまよりひめ)を信じているからね。それが大君は気にくわないんだ」

分からない、と首を傾げる春菜に、有間は丁寧に順を追って説明する。

「大君の一族は、玉依姫を祖としている。玉依姫は、女神の忘れ形見、中ツ国を守護してくださる現人神だ。彼女の子孫が大君の一族なんだ」

それに春菜はさらに首を傾げる。

「でも、退魔師も玉依姫を崇めてるんでしょ?何がいけないの?」

春菜の問いに、じゃあ少し昔話をしようか、と有間は口を開いた。





昔々、女神が国生みをなさり、すべての物をあるべき形に整え、八百万の神々をそれぞれの土地に遣わしになった後、女神は中ツ国から高天原へとお帰りになられた。

その際、女神は中ツ国の行く末を思い煩われ、最後にご自分の代わりに中ツ国で国を守り、八百万の神々を統べる、ただ一柱、女神と同じ力を持つお方を産み落とされていった。

その方が、玉依姫であった。

姫は他の神々と違い、人の姿をされ、転生を繰り返され、生まれ変わる度、巫女姫として宮に入られ中ツ国を守り、人々を良く治められた。

しかし、それもいつまでも続くものではなかった。

それは何度目の転生か。

巫女姫は、一人の男に恋をした。

けれど、巫女姫の使命の重さ故、それは叶わぬ恋だった。

しかし、幸か不幸かその代の巫女姫の叶わぬはずのその恋は叶ってしまった。

やがて一人の子を儲け、巫女姫は次の転生で行方を眩ませた。

残された子には、僅かながらも巫女姫の奇跡の力が受け継がれ、巫女姫の行方が知れないうちに、その子孫が、政を取り仕切り朝廷を開くようになっていった。

その末裔が今の大君である。




「これが、一般に伝わる大君の一族に伝わる彼らの起こりさ」

語り終えて、有間はゆっくりと息を吐く。

「でも、それがどうして敵対関係に?」

「それは、長い歴史の中、理由はさまざまに変わったね。始めは退魔師が大君を殺そうとしたんだ」

え、と驚きの声を上げる春菜に有間は小さく笑む。

「巫女姫は、人であって人ではない、現人神。神聖不可侵な、崇めるべき存在であって、交わる事の許されるような存在ではない。ましてや、その男が退魔師の出であれば、尚更許すまじき暴挙だっただろうね」

「退魔師?じゃあ、大君と退魔師は、分裂しただけで、始めは一緒?」

元をたどればね、と有間はそれを肯定する。

「彼らは退魔師の恥として、巫女姫の子を殺そうとしたんだ。記憶の新しい数代の間は、常に大君は退魔師から身を守らなければならなかった。そして、退魔師が忘れた頃には、大君が彼らを恨む。そして、もう少し時がたち、大君の権威が上がるにつれ、今に続く大君と退魔師が敵対する最大の理由が生じた。行方知れずになった巫女姫の魂、彼女の生まれ変わりを探し続ける退魔師を、大君は危険分子と見なした。巫女姫が見つかれば、大君の立場が危ういからね。一応民には大君と退魔師の不和は表立ってはいないし、大君の祖先と退魔師の関係も知られてはいないから、表向きは平和ではあるけどね」

複雑、と呟いて、春菜は改めて有間の顔を見上げた。

「でも、そんな朝廷の敵を見逃して良かったの?」

「普段なら、見逃しはしないんだけどね。たまたま今日は気が変わったんだ」

「…なんだか悲しいね」

思わず口をついて出た言葉を、有間が問い返す。

「だって、悪い人には見えないもの、有間も……時彦だって」

斬られた時彦が、脳裏に過ぎり、一瞬口をつぐんでから、すぐにまた春菜は口を開いた。

「なのに、殺しあわなきゃいけないんでしょ?それって、すっごく悲しい」

虚を突かれたような表情で、目を見開くと有間はわずかの間春菜を見る。

「春菜は変わった考え方をする」

「有間は、朝廷の偉い人なの?」

そうだろうか、と首を傾げながら単純な好奇心から尋ねるが、有間は一瞬考えるように口をつぐんだ。

「私は、朝廷の無用の長物だからね、こうやって好き勝手もできる」

答えになっていないような微妙な言い方をして、有間は自嘲気味に微笑んだ。

何となくそれ以上踏み込んではいけないような気がして、春菜は曖昧に頷いた。

「それより、ほら」

有間に促されて視線を前に向けると、思いもしない光景が広がっていた。

いつの間に上りきったのか、そこは山の頂上だった。

あまり高くはないが、十分な視界は確保される。

「あそこで、多分まだ私の共が待っている。そして、あちらのずっと先に都がある」

有間は言いながら小さな盆地の、山のすぐ脇に広がる町を指差し、その後ちょうど反対側の山の更に先を指し示す。

「都?」

「ああ、少し前に遷都した」

どことなく、悲しげな響きを聞き取って、春菜が振り向くと、有間はいつも通り穏やかな笑みを浮かべていた。

「どこに遷都したの?」

「飛鳥」

「あ、飛鳥?」

思わず繰り返して、春菜は改めて周囲を見回した。

飛鳥時代、春菜が思っていたより大分昔だ。

「今の大君は誰?」

「今は斉明(さいめい)様が重祚(じゅうそ)して大君であらせられる」

「斉明天皇?」

記憶を手繰るが、聞き覚えのない名前だ。

「実際は大君ではなく葛城(かずらきの)皇子(みこ)が実権を握っているが」

更に聞き覚えのない名前に、春菜は溜め息をつく。

「飛鳥時代だもんね、あんまり詳しく歴史でもやらないし…」

呟いて、それでも飛鳥時代の歴史を記憶から手繰り寄せる。

葛城(かずらきの)皇子(みこ)が力を延ばすのは、蘇我を打ち倒した故仕方ない事ではあるが…」

有間もまた、独り言のようにそう呟く。

「蘇我?蘇我(そがの)入鹿(いるか)?」

「知っているのか?」

たまたま耳に飛び込んできた言葉に記憶を刺激され、春菜はわずかに声を大きくする。

(なかの)大兄(おおえの)皇子(おうじ)は?」

「ああ、葛城皇子の事だ」

有間の返答に、春菜は思わず笑みを浮かべる。

「蒸しご飯、作って祝おう大化の改新!」

言って笑い出した春菜に、有間はきょとんとした表情を向ける。

「なんでもない、こっちの話し」

まだ収まらない笑いの合間に春菜はそう告げ、すっきりした、と微笑む。

時代がわかったところでどうしようもないのだが、正体のわからない漠然とした世界が少しだけはっきりとしたような気がして、それだけでも春菜にはありがたかった。

「さあ、もう後少ししたら到着だ」

有間もまた柔らかに微笑み返すと、言って再び馬を進め、ゆっくりと山を下り始めた。

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