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千草の花  作者: 小夜
12/37

12、邂逅

夕餉は豪華ではないが、手の込んだものだった。

外食に冷凍食品、和洋折衷な統一性のない料理を食べ慣れている春菜にとって、純粋な和食が逆に新鮮であった。

椀に盛られたご飯に、汁物、そして川魚の素焼きという質素な内容。

それに塩が添えられていた。

しかし、春菜を困惑させたのは、そのような質素な食事ではなかった。

どこを見ても、あるはずのものがない。

困惑して時彦を見るが、時彦は春菜の様子には気づかずに、当たり前のように目の前の食事を食べ始めた。

「どうした?食べないのか?」

ようやく春菜がまだ食事に何も手をつけていないことに気付いた時彦が、訝しげに春菜を見てきた。

それにますます困惑を深めて、春菜は時彦と、目の前の料理とを見比べた。

「…お箸、は?」

春菜の発した言葉の意味をうまく汲み取れなかったのか、時彦はただ首を傾げた。

「なんだ?」

「え?お箸…ないの?」

あって当然だと思っていたものが、うまく相手に伝わらず、春菜は自分の方が何か悪いことでもしたかのような気分になり、徐々に声を小さくしていった。

自分が我儘を言っているように感じられて、少し居心地が悪かった。

「これで食べるの…?」

ますます意味が分からないのか、時彦は返答に窮してまた一口木製の(さじ)で口に料理を運んだ。

「これ以外に何がある?」

全く疑いを持たない時彦の返答に、春菜はようやくそのようなものだ、と割り切った。

「何でもない。ちょっと習慣が違っただけ」

外に食べに行けば、ご飯をスプーンを食べることも多かったため、一度割り切ってしまえば、それほど気にするような事でもなかった。

なんとなく、箸がないのは不思議な気もしたが、それだけだった。

思ったより箸の歴史は浅いのだろうか。

「ご馳走様でした」

最後まで食べ終わり、匙を置く。

当たり前だが、無添加無着色の食料のみの食事だ。

それもおそらく、近郊の農村で収穫されたばかりの材料で作られたもの。

ほっと安心するような、質素ながら素朴な味わいだった。

日本食の良さを改めて実感した。

そんなようやくほっと一息つける、穏やかな時間だったからこそ、春菜は気付きたくなかった。

実際、森の中と街中の力の雰囲気の違いに戸惑ってもいたため、勘違いかとも思ったがどうしても無視出来ない違和感だった。

「…時彦、物の怪が」

一言告げると、途端に時彦は表情を引き締めた。

「どっちだ?」

黙って違和感を感じる方向を指差す。

「ここで待ってろ、すぐ戻る」

飛び出して行った時彦を見送ったすぐ後。

小さくざわめきながら、緊張し張り詰めるように、いわば嵐の前の静けさのようだった力が、掻き乱された。

物の怪が現れたな、と思いながら春菜はその方向を見る。

時彦が間に合えば良いが、と思いながら、春菜は無意識に小刀を握り締めた。






時彦が帰って来たのは、半刻ほど後の事だった。

「大丈夫だった?」

「たいした事なかった」

素っ気ない返事を返すと、時彦は床に寝転がる。

「明日にはここを発つぞ、寝て疲れとっておけよ」

「え、もう?」

それまでの言動から、二、三日は滞在するのだろうと思っていた春菜は、驚いて問い返すが、早く寝ろと一蹴されただけだった。

まだ詳しく話しを聞こうと思いながら春菜も横になったが、数日ぶりの温かな屋内に、自然と眠気を誘われ、次に目を開いた時にはいつの間にか夜も明けていた。

「おい、起きたか。準備が出来たらすぐに出るぞ。朝飯は後だ」

まだ寝ぼけてぼんやりとした耳に響いてきた声に、春菜は首だけもたげて声の主を探して視線を巡らせた。

「もう朝?」

口の中でもごもごと尋ねる。

「ああ、早く準備しろよ」

まだ心地良く纏わり付いてくる睡魔に身を委ねていたかったが、時彦に急かされるようにして春菜はゆっくりと体を起こした。

昨日教えられた井戸に行き、冷たい水で顔を洗うとようやく頭がすっきりして、春菜は一つ伸びをした。

そのすっきりとした気分のまま、戻った春菜を待ち構えていたのは渋面の時彦だった。

「遅いぞ、ほら、お前の分の荷物だ」

半ば放られるようにして荷物を受け取った春菜と入れ違いに時彦は外に出る。

「外で待ってるから、身支度済ませたら宿の前に来いよ」

背中越しにそうとだけ言うと、時彦は振り返りもせずに歩いて行ってしまった。

その背中をしかめっ面で見送る。

ようやく爽やかな気分になれたのに、台無しだ、と独り言ながら手早く身支度を済ませると、春菜もまた時彦の後を追うが、そもそも何故こうも急いで発ちたがるのかが、春菜には理解できてない。

「ねえ、何でそんなに急いでるの?」

尋ねてみても、適当にはぐらかされるばかりで、時彦はただただ歩を進める。

良い加減諦めて、春菜が口を閉ざした頃だった。

「春菜」

不意に立ち止まった時彦に驚いた春菜だったが、時彦の真剣な表情に黙って続く言葉を待った。

「お前、本当に俺についてくるのか?」

時彦の言葉に、時が止まったかのように、春菜の動きも思考も文字通り完全に停止した。

ついで、込み上げて来た怒りに顔を強張らせながら、春菜はゆっくりと口を開いた。

「何、それ。私と一緒にいたくないなら、そうはっきり言えば良いでしょ、なんでそんな言い方するの?」

怒りから涙が溢れそうになるのを必死でこらえて、春菜はようやくそれだけ言い切ると、下唇を噛み締めた。

かすかに血の味が口内に広がったが、構わずにそのまま時彦をにらみつけた。

「春菜、俺は」

驚いたような奇妙な表情を浮かべて何かを言いかけた時彦を睨みつける。

しかし、時彦がその続きを口にする事は出来なかった。

耳元で風を切る鋭い音がしたのと、強く腕をひかれたのと、どちらが先だったか。

動いた拍子に、溜まっていた涙が一筋流れ落ち、頬を濡らしたが、それに気付く余裕は春菜にはなかった。

先程まで数歩離れた位置にあった時彦の顔が、春菜の目線のすぐ上にあったのだ。

正確には、時彦に強く腕を引かれ、その勢いのまま時彦の胸に飛び込む形になったのだ。

真剣な、と言うよりは睨み付けるような視線で、春菜の後方を見据る時彦のすぐ脇には、たたき落とされたかのように真ん中で割れた矢が落ちていた。

「時彦?」

先程の怒りも忘れて、小さく名を呼ぶが、時彦は春菜を通り越した先にいる何かを見据えたまま視線を動かしもしなかった。

ゆっくりと首だけ巡らせて後方を確認する。

広がった景色は、早朝のまだ人気のない通りだった。

何もない、と思ったその刹那、再び時彦に強く身体を引かれた。

半ば抱きすくめられるようにして、横に跳躍する。

同時に、すぐ横を矢が掠めて飛んで行くのを目の端に捕らえ、春菜はようやく状況を理解した。

硬い表情をそのままに、春菜を背に庇うようにする時彦に再び矢が射かけられる。

それを、いつの間に抜刀したのか、手にした刀で薙ぎ払うようにして払う。

「さすが」

からかうような調子で投げ掛けられた声と共に男が一人、物陰から姿を現した。

緩く着物を着流した男は、この時代の服飾に疎い春菜から見ても質の良い着物を着ていた。

何より来ている布地の色彩が鮮やかだ。

「やあ、久しぶり」

にこやかに笑んで言う優男に、時彦は苦虫を噛み潰したような表情をする。

「何故お前がここにいる」

低く唸るような声で尋ねる時彦に対して、男は相変わらず笑みを湛えたまま返答する。

「私は神出鬼没だからね。それより、どうしたんだい?君が女子(おなご)を連れているなんて珍しいね」

目の前に立つ男が矢を射かけた事は手にした矢筒と弓から明らかなのだが、友好的な物腰と、まるで旧知の仲のようなやり取りに春菜は困惑を深めるばかりだった。

「それで、やっぱり考えは変わらないのかい?」

穏やかに尋ねる男は、ゆっくりと腰に帯びた太刀を抜く。

「返答が分かっているなら、わざわざ尋ねるな」

時彦の言葉に、男はどこか愁いを帯びた表情を浮かべる。

「相変わらず頑固だね、君達は。もっと器用に生きなければ、長生きできないよ?」

向けられた刃に対峙する時彦も、ゆっくりと刀を構える。

「余計なお世話だ。相変わらずよくしゃべる奴だ」

ゆるりと構えた男と、時彦が睨み合う。

それも僅かな時間であった。

どちらが先に動いたのか。

目を閉じる事すら忘れた春菜の目に映ったのは、鮮やかな紅。

一拍置いて頭が状況を理解する。

紅。

血の色。

斬られた。

誰が、時彦が。

目の前の光景の情報が、頭に入って来るまでの僅かな時間。

春菜に向かって射かけられた矢を、時彦が刀で払った瞬間、その僅かな隙を突いて男が時彦に刀を振るったのだ。

そして、春菜の目の前に紅い色が広がったと思った次の瞬間、時彦を切った男の刃は春菜に向いていた。

銀色に光る冷たい色が、喉元に突き付けられる。

斬られる、とどこか冷静に思ったが、刃が肌に届く直前ぴたりと止まった。

「君も退魔師かい?」

たった今人を斬ったとは思えない程穏やかな声で尋ねる男に、春菜は何も答える事が出来ずに立ちすくむ。

何も映っていないかのような感情の乏しい瞳が怖かった。

怯える春菜に向かって、ふわりと笑むと男は時彦に向き直る。

いつの間にか立ち上がっていた時彦は、左袖を真っ赤に染めていた。

「あんまり無理すると、寿命を縮めるよ。退魔師なんて、所詮人には無力なんだから。君は私に勝てない」

驕るでもなく、冷静に言うと、男は太刀を構える。

「そいつは関係ない。手を出すな」

肩で生きをしながら言うと、時彦もまた刀を構える。

「それは私が決める」

向かい合った二人の後ろで、ただ呆然としていた春菜は、わずかに男の腕が動いたのに、考えるより先に身体が飛び出していた。

時彦が斬られる、と思った時には、男の後ろから刀を押さえようと両手で手首を押さえていた。

「春菜!」

驚いたような時彦の声と、向かってくる時彦と春菜を見比べ、全く、と呟く男の声。

拾った声を理解する前に、どこからともなく吹いた風に全ての音が吹き飛ばされた。

突風などと言う生易しいものではない、春菜が今まで経験した事のない程凄まじい風だった。

春菜が最後に見たのは、突如吹いた風に吹き飛ばされる時彦と、吹き荒ぶ風の中、何事もないかのように一人立つ男の姿だった。

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