11、気
「すごい」
先程から幾度となく聞こえてくる言葉に相槌を打つ事すらせずに、時彦は呆れたように春菜を見た。
春菜の体力を気遣って、里に出ようと言ったのが昨夜。
物の怪に襲われ一睡もしないまま夜を明かすと、すぐに山を下り始め、ようやく町に出たのがつい先程の事だ。
最初こそ、初めて出会う時彦以外のこの時代の住人に幾分怖じ気付いたように萎縮していた春菜だったが、それも僅かの間で、先程からはしきりに周囲に視線をやっては感嘆の声を上げていたのだ。
「時代劇みたい…さすが本物」
きょろきょろとせわしなく動く目線は、牛や馬、果てには俵や行き交う人々にまで移る。
春菜の思い描く時代劇よりは華やかさがなく、素朴だ。
人々はみな、薄い茶の織り目の荒い布を仕立てた着物に身を包み、その着物がまた『着物』とは少しばかり違う。
平安時代の十二単の雰囲気よりは、聖徳太子の雰囲気に近い、と思いながら春菜はそれらを眺めていた。
華やかな綺麗さはないものの、素朴さが、親しみやすい。
質素ながら、どことなく味のある色合いに着こなしだ、と春菜には受け取れた。
その表情には、昨夜の物の怪に出会った後の恐怖は全く残っていなかった。
時彦には何がそこまで興味をひくのか理解出来ないものばかりに、春菜はすごい、と言う。
「…何がそんなにすごいんだ」
半ば独り言のように呟いた言葉に、春菜がすごいよ、と口をはさんできた。
「時彦は私のいたとこを知らないからそんな事が言えるんだよ」
口を動かしながらも、春菜の目は休む事なく周囲を見ている。
「時彦が私のいたとこに来たら、今の私よりもっと絶対驚くよ?一人でいたら、下手したら車や電車にひかれて大怪我しそう」
「…大怪我なんて、そうするものじゃないだろ」
「そんな事言ってるから、私のいたとこ来たらびっくりするんだって言ってるの。馬より早い乗り物がいっぱい走ってるんだよ?ぼんやり歩いてたら、死んじゃうから」
少し大袈裟かな、と思いながらも一応事実として春菜は時彦にそう言った。
「どんな世界だ…ますますわからん」
困ったようななんとも言えない表情で考え込む時彦をよそに、春菜は物珍しい世界にただただ感動していた。
やがて町並みは露店の立ち並ぶ大通りへと変化していった。
そこいら中から呼び込みの声が上がる。
市が立っている、というよりは商品を交換したい人々が自然と集まっているような様相だった。
道の端で大量の野菜を並べているものもいれば、布を手にしている者もいる。
どうやら物々交換らしい。
何がある、何が欲しいと周囲からかけられる声を半ば聞き流しながら、春菜は時彦について歩く。
それでも並べられた手作り感溢れる品々を観察する事は忘れない。
「ちょいとおねぃさん」
だから、春菜が声のした方に首を巡らしたのは、声に釣られたからではなかった。
「質の良いものばかりだよ、どうだい?これは都の娘さん達に流行りの簪だ。おねぃさん位の年頃にぴったりの華やかな造りさね。綺麗な石も埋め込んでる。魔除けにもなるよ」
その後思わず足を止めてしまったのも、並べられた装飾品の類に目を奪われたからではなかった。
正確には簪や鮮やかな色紐、可愛らしい紅入れ、櫛などに埋もれるようにして置かれた守り刀に気をとられたからだ。
華奢な様相をしたそれは、細身の刀身で、肘から先より少し長いか程度の長ささかない。
柄も含めてちょうど腕より少し短い程度の大きさだ。
装飾のためであろうひだが数本と、乳白色の玉と白く煙ったような桃色の玉を数珠のように綴った物がそれぞれ一本づつ柄の先につけられている。
束と鞘にも、本物かどうか春菜には判別はつかなかったが、それぞれ黒の地に、繊細な金細工が施されている。
見た目も美しいのだが、春菜がその小刀に惹かれたのはそれだけの理由ではなかった。
春菜自身にも、何が特別なのだ、とはうまく言い表す事はできなかったが、それでも確実に感じる違和がその小刀にはあった。
雑踏の騒がしさが消え、水を打ったような静けさの中、春菜と小刀だけが世界に取り残されたような不思議な感覚。
「春菜!」
不意に肩を強く掴まれる感覚に、止まっていた時間が再び流れ始めた。
消えていた音も戻り、驚いて振り返ると、時彦が厳しい顔をしていた。
「はぐれたらどうするんだ、何やってんだ」
呆れたように言う時彦に、ごめんと呟いて、春菜はもう一度小刀に視線をやった。
「なんだい、これが気になるのかい?」
春菜の視線に気付いた店主が言い、時彦もまた小刀に目を向ける。
「これは、見た目は信じられないほど綺麗なんだけどねぇ、あんまりお勧めは出来ないね。あたしも持っていて良い気はしないしね」
「何か問題でも?」
春菜の問い掛けに、女は声を落とす。
「いわくつきなんだよ。何でもこれを持ってた連中全員、良い死に方してないってんでね。たまたまかもしれないけど、あたしにこれを売った知り合いも死んじまったし、どうにも気味が悪くてねぇ」
「…ゆずってくれないか?代わりに、これで足りないか?」
それまで黙って話しを聞いていた時彦が突然口を挟んだ言葉に、女は一瞬目を見開いた。
同時に時彦が懐から取り出した翡翠の勾玉にさらに女は目を見開く。
「あんた、これと交換する気かい?あたしの話し聞いてたのかい?あたしもどこか神社にでも預けようかと思っていたんだよ?それを、そんな勾玉と…どう見ても釣り合わない」
「いや、大丈夫だ。無理か?」
「いけないよ、今日だって、見栄えがするからつい出しちまった位で、何を差し出されても交換する気はなかったんだ」
女の困ったような表情に、時彦は少しだけ表情を緩めた。
「大丈夫。俺はこれでも一応退魔師のはしくれだ。扱いは心得ている。ちゃんと害のないようにする。あんたがこれを持っているよりは、安全だ」
「退魔師?」
驚いたのか、女は時彦の言葉を繰り返し、まじまじと時彦を見る。
「あぁ、そうか。なら、あんたに預けるのが安全だね、お代は良いよ、あたしも助かるし」
今度は時彦が困ったように頭をかく。
「じゃあ、代わりと言っちゃなんだが、手を出してくれ」
「こうかい?」
差し出された手に、時彦が手をかざすと軽く笑む。
「あまりこれには触らなかったようだな。賢明だ」
独り言のように呟くと、今度は低く歌うように何事か呟く。
春菜には、何か温かい光りのようなものが、時彦の手から、女の手に渡ったようにも見えたが、それもすぐに終わった。
「これで多分物の怪に襲われる事もないだろうが、心配ならあまり一人にならない方が良い」
呆けたような表情で女が頷くのを確認すると、時彦はすぐに歩き出した。
慌てて春菜も時彦を追って歩く。
「さっさと寝床を決めるぞ」
振り返りもせずに時彦は、一言そう告げる。
うん、と春菜も一言だけ返して黙って歩く。
傾き始めた太陽の、昼間とは違う温かい色を帯始めた町は、わずかに表情を変えて春菜の目に映る。
何とはなしに、釈然としない思いを抱えながら、春菜はただ足を運んだ。
二人がその日、一夜を過ごすことになったのは、町の外れにあった打ち捨てられたような小さな建物だった。
近くに住む家の所有者らしき人が、一夜泊まるだけなら、と貸してくれたのだった。
一応、掃除はしていたらしく、とても過ごせないというほどではなかった。
中に入るとすぐに、時彦は小刀を取り出した。
「それ、どうかしたの?」
夕方、小刀を目にしてから厳しい表情を崩さない時彦に、春菜は恐る恐る尋ねた。
「物の怪の気に当てられている」
春菜には理解出来ない返答に首を傾げつつも、時彦が低くぶつぶつと呟き出したので、諦めて近くに腰を下ろした。
時彦がしている事の流れは先程、小刀を持っていた女性にしたものと同じだが、力の大きさが違う事は春菜にも分かった。
やがて、ぴんと弦を弾いたような高い音が響き、一瞬だけ物の怪の微かな気配がしたかと思うと瞬く間にそれも掻き消えた。
「お前、これに気付いてたのか?」
唐突な問い掛けに、春菜はただ首を傾げる。
「これに付いた物の怪の気に気付いてたのか?」
ようやく合点が行き、春菜は首を横に振る。
「ううん、ただなんか違和感があって…周囲のものと違うような」
「…それは気付いてたって言うんじゃないのか?」
「違う。私は物の怪の気配がするって思った訳じゃないもん」
春菜の言葉に首を傾げて時彦は小刀を見る。
「まだその違和感はあるのか?」
春菜もまた小刀に視線を落とすと、小さく一つ頷いた。
「うん。なんだろ、物の怪の気がなくなったからかな?さっきより強くてはっきりして、澄んでる…ああ、力の感覚に似てるかも。ただ、周囲に漂う力よりもっと澄んでて、はっきりとした感じ」
「悪い感じはしないんだな?」
それに春菜が頷くのを確認して、ようやく時彦は安心したようにため息をついた。
「物の怪の気を払う時に、力を通わせたから気付いたが、この小刀、昔退魔師に使われた事があったかもしれない。だから違う感じがするのかもな」
俺にはよくわからんが、と付け足して、時彦は小刀に手を伸ばす。
「なんで分かるの?」
値踏みするように小刀を見る時彦にそう問い掛ける。
「退魔師の武器として使われてた道具は、力を通わせやすいんだ。俺達は、神々に力を借り受け、武器にその力を通わせて物の怪を払う。本来帯びている以上の力を物に注ぐんだ、いくらか抵抗があるのが普通だ。それが使っていくうちに馴染んで抵抗なく力を通わせられるようになっていく。その抵抗がこれにはなかった。だから、退魔師に使い込まれていたんだろう、位は想像がつく」
ふーん、と呟く春菜に時彦は小刀を差し出した。
反射的に受け取ってから、春菜は困って時彦に視線を向けた。
「やるよ。俺いらないし、何かの時用にでも持っとけ。物の怪の気も払ったし、もう大丈夫だろ」
思ったよりもひんやりとした手触りと、手に心地良い重さが伝わる。
「物の怪の気って何?」
手にした小刀を眺めながら、尋ねると、時彦は小さくうなった。
「何て言うか、物の怪が纏っている力とは正反対のものだ。おそらく物の怪を切ったりした時に刀に移ったんだろう。本来なら通わせている力で浄化されるんだが、持ち主だっ退魔師が死ぬか、物の怪を倒す前に落とすかして、気が移ったまま残った物を後から通りかかった誰かが拾ったんだろ。物の怪の気はそれだけで害になる。人に宿る力を汚して、病にかかりやすくなるし、物の怪にも狙われやすい。だからいわくつきだなんだって言われてたんだろう」
時彦の説明を聞きながら、改めて小刀を見る。
本当に見惚れるような造りだった。
実用に耐えうるのか、と疑いたくなるほど、華奢で繊細な造りであるが、退魔師に使われていたというのだから、それなりに丈夫なのだろう。
「お二人さん、余り物で悪いけど、少しばかり食べ物を持ってきたよ。どうせないんだろう?」
閉じられた戸口の向こうから聞こえた女の声を合図にしたように自然とそれまでの会話を止めて、時彦は立ちあがった。
入口で、時彦と、宿を貸してくれた家の女性と話している声だけがぼそぼそと春菜のもとにまで響いてきた。




