病弱な妹を優先する婚約者を捨てたら、私が破滅した
ナーシャ・エヴァレットにはユリウス・ウェストフォードという婚約者がいた。
ナーシャは伯爵家の次期当主。ユリウスは公爵家の次男であり、だからこそナーシャが継ぐ伯爵家に婿入りする予定となっていた。
婚約が結ばれたのは2年前。ストロベリーブロンドの髪に、淡い琥珀色の瞳。整った顔立ちに、誰に対しても礼儀正しい好青年。それが世間一般が持つ、ユリウス・ウェストフォードという青年の印象だ。そして実際に彼の婚約者となったナーシャもその印象が覆ることはなかった。
さらにユリウスの母親は現国王の妹であり、ストロベリーブロンドの髪は王族に稀に現れる色として知られている。実際にその髪色を持って生まれたユリウスの母は、数代ぶりのストロベリーブロンドの髪を持つ王女として、国外には出さずに国内での婚姻を望まれ、赤子のうちから婚約が決められたほどだった。そして降嫁した先の家とはいえ、その髪色を持って生まれたウェストフォード公爵家の子供たちは、貴族社会では一目置かれる存在となっていた。
そんな王族の色を持ち、尚且つ格好いいユリウスが自分の婚約者となった。そのことは、ナーシャの自慢でもあったのだ。
しかし、数ヶ月ほど前から彼の様子が変わった。
ユリウスには10歳年下の妹がいる。名前はリゼット・ウェストフォード。
リゼットを紹介されたことはある。けれど、彼女は人見知りが激しく内向的な性格で、ナーシャとは性格が合わなかったのだ。そのためか、リゼットが自分に懐いてくれることはなかった。
けれどユリウスは自分の家に婿入りする予定なこともあり、人見知りされたままでも大丈夫だろう。合わないものを無理に仲良くすることもない。ナーシャはそう考え、リゼットとの関係はそのままでいることにした。仲が良いわけではないが、悪いわけでもない。そんな関係だと思っていた。
そして、そのリゼットが病に罹ったらしい。
妹の側にいたいからという理由で、ユリウスが予定をキャンセルするようになったのだ。
リゼットの看病をしたいから。妹がそばにいて欲しいと言っているから。そのような理由でここ数ヶ月ほど、約束を破られ続けている。
『ナーシャ嬢。大変申し訳ないのですが、本日の予定をキャンセルさせてください。埋め合わせは、出来るようになったその時に、いつか必ずさせて頂きます』
その手紙が届いたのは、出掛ける当日の朝になってからだった。救いはまだ出掛ける準備をしていなかったことだろうか。けれど、だからと言って何だというのだろう。当日なんてドタキャンも良いところではないか。
埋め合わせは必ずするから、今は妹の側にいさせて欲しい。そういってユリウスは妹の側にいくけれど、その埋め合わせがされたことは一度もなかった。
「またですの?」
手紙を読んで、ナーシャは不快気に眉を寄せる。
本当なら、今日はユリウスと観劇に行く予定だった。しかし、どうせその予定が潰れるだろうことは分かっていた。予想通りに潰れて嬉しいかと言われれば、嬉しくないに決まっている。
手紙には観劇のチケットが2枚同封されており、自分はいけなくなってしまったが、もし誰か行く人がいるなら行って来て欲しい。本当に申し訳ないとも書かれていた。そして手紙だけではなく、花束も添えられている。
気遣いは感じるのだ、気遣いは。ナーシャとてこれが初めてのことなら許しただろう。実際に初めてキャンセルされたときは残念に思いつつ、そうなのねと思うだけだった。
しかし、もはやユリウスがナーシャとの約束を破るのは毎回の事となっている。今では約束する意味があるのだろうかと思うまでになっていた。
それほど、ナーシャは約束を反故されてきたのである。
始めのうちは、ユリウスが自分でナーシャの元を訪れ、謝罪に来てくれた。けれど、それも日が経つにつれ、使いの者が手紙と花束を抱えてナーシャを訪ねてくるだけになった。
ナーシャも最初のころはユリウスからの手紙を読み、返事をしていた。けれど、それが2ヶ月を過ぎる辺りには、使いの者が申し訳なさそうに本日もまた……、と告げた時点で、手紙を読むのも馬鹿らしくなり、読まずに引き出しにしまうようになった。
ナーシャとしては、きちんと改善してくれるのならこのまま婚約を継続してもいいと思っている。けれど、こうもナーシャを、ひいてはエヴァレット伯爵家を馬鹿にするのなら、それ相応の措置を取らなければならない。
だからこそ、ユリウスからの手紙はナーシャを蔑ろにしている証拠であり、捨ててやりたいと思いつつ目の届かないところにしまうだけに留めるしかなかったのだ。
翌日、学園では。
「ユリウス様、昨日は綺麗な花束をありがとうございました。リゼット様の調子は良くなりまして?」
「……ナーシャ嬢。それは、……」
ナーシャの問いかけに、顔色を悪くしてユリウスが俯く。その様子を見て、何を被害者ぶっているのだろうとナーシャとしては怒りが湧いて来るだけだった。
「ユリウス様。リゼット様が大事なのは分かりますが、きちんと我がエヴァレット家も立てて頂かないと困りますわ」
「……申し訳ない、ナーシャ嬢」
「この前も、そう仰っていましたわね」
「……すまない」
何を言っても視線を伏せて謝ることしかしないユリウスに、ナーシャは溜め息を吐く。結局謝るだけで、彼の態度が改善することはない。一体その謝罪に何の意味があるのだろうかと、白けた目をユリウスに向けてしまう。
初めのころはユリウスが婚約者となったことを喜んでいたが、これでは外れだったかもしれない。そのことを友人たちに愚痴り始めたのも、この頃のことだった。
ナーシャが風邪を引いたと連絡をしたら、見舞いには来てくれた。花束とゼリーを手土産に来てくれたので、ナーシャとしては嬉しかった。しかし、ナーシャの顔を見て、一言二言話したらユリウスはさっさと帰ってしまったのだ。随分と薄情な婚約者だと、ナーシャはこの件も友人たちに愚痴りまくっていた。
友人たちもナーシャに同情してくれて、「そんな男捨ててしまえばよろしいのではなくて?」とか、「ナーシャ様でしたら、もっといい条件の殿方が見つかりまわすよ」などと慰めの言葉をくれた。その言葉に内心で頷きながら、ナーシャとしては「家同士の契約でもありますので」と困ったように微笑むだけだった。
しかし、友人たちの言う通り、これは婚約の見直しをした方が良いのかもしれない。そんなことを考えた。
そして、伯爵である父に今の状況を告げ、公爵家に抗議してもらうこととなった。
けれど、返って来た書状には、今は妹の大事な時だから見守っていて欲しい。そう、不義理することへの謝罪はあったが、改善すると書かれてはいなかった。さらに、『ナーシャ嬢に事情を説明しているとユリウスは告げている。申し訳ないけれど、ナーシャ嬢に聞いて頂きたい』と、そんなことまで書かれていた。
「ナーシャ、お前は説明を聞いているか?」
「聞いていませんわ。聞いていましたら、お父様に説明していますわ」
「だろうな。……まったく。うちが伯爵家だからと言って、ここまで虚仮にされる覚えはないぞ。あっちは婿入りだろうに」
呆れた表情で怒る父に、ナーシャも同意しかない。
そして父との話し合いで、もうユリウスには見切りをつけよう。そう結論を出す。もちろん彼有責での婚約解消だ。何せこちらには、ユリウスが不義理をしていた証拠の手紙がたくさんある。だからさっさと彼に見切りをつけ、次の婚約者を探した方がいい。そういうことになった。
そして、学園の食堂でナーシャはユリウスに告げた。
「ユリウス様、こんな場所で失礼しますわ。けれど、こうでもしなければユリウス様とお話しすることも出来ませんので、お許しくださいましね」
「ナーシャ嬢?」
顔色の悪いユリウスがナーシャを見上げる。以前よりもやつれたように見えた。しかし、今はそんなことは関係ないと内心で首を振り、ユリウスの顔を見る。
「昨夜、父と話し合いましたの。ウェストフォード公爵家にお手紙を差し上げましても、色よいお返事が頂けませんでしたから。ユリウス様の口から聞かせてくださいまし。今後、どうなさるおつもり?」
「どう、とは……?」
「ユリウス様は婿入りでございましょう? けれど、もう半年以上、妹君を優先なさっていますわよね。今後もそれを続けるおつもりで?」
「――……」
ナーシャの言葉に、なぜかユリウスは唖然とした表情をする。何を驚いているのだろう。ナーシャを蔑ろにしたのはユリウスで、ナーシャは前々からエヴァレット伯爵家を軽んじられては困ると再三告げていたのに。
「父も、そろそろユリウス様にはエヴァレット伯爵家の勉強をして頂きたいと仰っていますわ。今までのように、リゼット様を優先されるのは我が伯爵家としても困りますわ」
「それは……」
「ユリウス様。はっきり申し上げますわよ。リゼット様と私、どちらを取られるのですか。あなたは婿入りなのですよ」
ナーシャはユリウスを睨みつけるようにして告げた。
視線を伏せていたユリウスだったが、やがて顔を上げる。その顔は、どこか諦めたような表情をしていた。
「……今は、妹のことが一番大事です」
「……そうですの。では、ユリウス様。婚約を解消致しましょう。もちろん、ユリウス様有責です」
最後まで妹を優先するユリウスには、もはや愛想が尽きた。
ナーシャの言葉にユリウスは傷付いた表情をする。しかし、その表情をしたいのはナーシャの方だった。ごねるようなら法的手段も辞さない構えだったが、ユリウスは一つ息を吐いた後に、同意を示した。
「分かりました。私有責で構いません。慰謝料の件についても、きちんとお支払いするよう手続きを取りましょう」
「そうですの。では、これから私とユリウス様は他人同士ということになりますわ」
「……ええ。今まで、申し訳ありませんでした、ナーシャ嬢」
そう言って、ユリウスは座っていた椅子から立ち上がり、頭を下げる。公爵令息が自分に頭を下げている。しかも自分の非を認めて。そのことに、少し胸がすく思いがした。散々約束を反故にされたのだ。ナーシャとしては、これくらいは当たり前だろうと思っていた。
こうして、ナーシャとユリウスの婚約は、ユリウス有責で解消されることとなった。ウェストフォード公爵家もごねることなく、手続きを済ませ、慰謝料も払ってきた。これでもはやユリウスとは何の関係もなくなった。
あとは自分の婚約者を再び探すだけである。それが一番面倒でもあるのだが、仕方がないと、ナーシャは溜め息を吐く。
伯爵家への婿入りだ。そこまで高望みをしなければ、相手はそこそこ選べるだろう。それくらいの感覚でいた。
それから。
気が付けば、学園でユリウスの姿を見なくなった。あのストロベリーブロンドは目立つのだ。もう関係ないとは思いつつ、その目立つ存在が見当たらない。目にしなくなったということは、学園自体に来ていないのだろう。そうまでして妹と一緒にいたいのかと思うと、呆れる他なかった。
「まあ、もう私には関係ありませんけれど」
そう呟いて、友人たちのもとへ歩いて行く。友人たちはユリウスと晴れて婚約解消となって、お祝いをしてくれた。次の婚約者探しについても、いろいろ情報を集めてくれるという。ナーシャとしてはとてもありがたい。良い友人たちを持ったと、笑顔でお礼を告げておいた。
その後。
色々伝手を使って新しい婚約者を探しているが、中々いい人が見つからない。最初のうちは釣書がエヴァレット伯爵家に届けられていたが、次第にそれも来なくなった。では、その釣書の中から見合いをしようと声をかければ、その件はなかったことにと言われてしまう。しかもそれが格下の子爵家からも言われるので、父の機嫌は悪くなる一方だった。
ならば友人たちに紹介してもらおうとしても、友人が声を掛けた時点で断られるらしい。「なぜかしら?」と皆で首を傾げていたが、そもそも、最近この友人たち以外の人から遠巻きに見られているような気がした。
夜会に行って声をかけても、自分の名前を告げるとそそくさとナーシャの前から立ち去ってしまうのだ。
自分は何もしていないのに、本当になぜだろう。
そう思っていたナーシャだったけれど。
一ヶ月後。
元婚約者だった彼の妹が亡くなった。
その噂を、耳にした。
ユリウスの年の離れた妹、――リゼットのことだった。
なんでも大病を患ってしまい、余命宣告までされていたらしい。そのことを知り、ナーシャは顔を真っ青にした。
近頃学園で姿を見かけなかったのは。婚約解消を告げた時、やつれた様子だったのは。そもそも、ナーシャとの約束を反故にしていたのは。
「まさか……」
それを想像すると、血の気が引く思いがした。
ナーシャの嫌な予想は当たっており、ここ最近、避けられていたのはそれが原因だったのだ。社交界では、余命僅かしかない、まだ7歳の妹に寄り添うことさえ許さなかった伯爵家。そう影で非難されるようになってしまったのだ。
そのことを知り、ナーシャとしては申し訳ないと思う気持ちよりも、怒りの気持ちの方が大きかった。
そもそもの話。
「きちんと説明すれば良かったではありませんの!」
ナーシャとしては、きちんと説明してくれれば、さすがに「またですの?」なんて言わなかったし、婚約解消だってしなかった。説明されなかったのに、分かれという方が酷いではないか。
そう学園で友人に愚痴っていたところ、ナーシャに声をかける人物がいた。
それは、まさかの人物だった。
「ユリウスはきちんと君に説明していたよ。エヴァレット伯爵令嬢」
ナーシャを冷たい視線で見ながら言葉を発したのは、アルベルト・レグナード第一王子。この国の王太子殿下だった。
「殿下……っ」
慌てて友人共々席を立ち、礼を取る。それに手で応えて、楽にしていい、とアルベルトは告げる。
しかし、ナーシャとしてはアルベルトから告げられた言葉に、反論したい気持ちでいっぱいだった。
「殿下、発言をお許しいただけますか」
「構わない」
「先ほど殿下はユリウス様が私に説明したと仰っていましたが、私は説明された記憶はございません」
これだけは、はっきりと告げておかなければならない。ここは学園のカフェラウンジで、それなりに人がたくさんいる。さらに王太子殿下に告げておけば、ナーシャには非がないことは広まってくれるだろう。
そう思っていたのだが。
「エヴァレット伯爵令嬢。その前に一つ。ユリウスはもう、君の婚約者ではない。彼を名前呼びする権利は君にはもうないのだから、ウェストフォード公爵令息と呼ぶべきだろう。聞いていて私も不愉快だ」
「なっ……」
アルベルトの発言に思わず拳を握り締める。確かにユリウスを名前呼びする権利は、ナーシャにはもうない。しかし、それを今指摘しなくてもいいではないか。本題はそこではないのだから。
そう思うけれど、目の前にいる人物は王太子だ。王族の言葉に逆らう訳にはいかない。
「それは、申し訳ございません。以後気を付けますわ。ですが、私としてはウェストフォード公爵令息から説明を受けていません。これは事実ですわ」
「そうか。ならば、君はよほどユリウスに興味がなかったのだな。それともユリウスとの婚約を解消して、慰謝料を貰うのが君の狙いだったのか?」
「そんなわけございませんでしょう!」
なぜ、こうもアルベルトに敵視されているのだろう。もしかしたらユリウスがアルベルトに何か吹き込んだのだろうか。可能性としてはそれが高い気がする。何せ彼らは従弟なのだから。
思わず声を荒げて反論したナーシャに、アルベルトは不快そうに眉を寄せる。
そして、ナーシャが思いもよらなかったことをアルベルトは告げた。
「そうか? 私はユリウスが、君に事情を説明するための手紙を書いている、その現場にいたのだが」
「……え」
「リゼットの余命が、あと数ヶ月だと医師に宣告された日だ。その日のうちに、早い方が良いからとユリウスは君に手紙を書いていた。……時折、涙を流しながら。それでも、これからリゼットを優先させて欲しいと、事前に説明しておく。そう、ユリウスは言っていたよ」
「……まさか」
「冷静でいる自信がないから、おかしなことは書いていないだろうかと、手紙を添削して欲しいと頼まれて中身を読んだ。……きちんと病名も書いてあり、余命が少ないことも書いてあった。君の方から伯爵にも伝えて欲しいことも書かれていた。字が震えていて多少読み辛くはあったが、読めない程ではない手紙だったよ」
「………………」
――心当たりは、あった。
ありすぎた。
ユリウスが手紙で予定を断るようになり、2ケ月を過ぎたころから手紙は読まずにしまっていた。もしかしたら、その中の一つに事情が書いてあったのではないか。そう思ってしまえば、それが正解な気がした。
「……心当たりがあるという顔だな? だろうな。私はその手紙を侍従に預けるところまで見ていたのだから。君に届いていないはずがない」
「あ……。で、……ですが」
駄目だ、ここで自分の非を認めてしまえば、エヴァレット伯爵家が悪く言われ続けてしまう。それは避けたい。どうすれば、と考えて、ナーシャは口を開いた。
それが、アルベルトを激昂させるとは知らずに。
「て、手紙で知らせるなんて、不誠実ではないですか! 大事なことは口頭で仰っていただくのが普通ですわ! そ、それに、エヴァレット伯爵家からウェストフォード公爵家に抗議をしたときにでも、説明してくだされば――」
バンっ、とテーブルを叩く音がした。
アルベルトが、テーブルを叩いたのだ。普段温厚で、皆に平等で優しいと評判の、王太子が。女性がいるテーブルを叩いて、黙らせた。
その事実に、カフェラウンジは静まり返った。
「エヴァレット伯爵令嬢。君は、幼い妹があと数ケ月後に死ぬと、ユリウスに口で直接説明しろと言うのかな?」
「――あ……」
「顔を合わせ、君の目を見て、もうすぐ妹が死ぬと。だから、妹にかかりきりになるのを許して欲しいと、頭を垂れろとでも言うつもりだったのか? いつぞやの、君がユリウスに婚約の解消を迫った時のように」
「ち、ちが……っ」
「そして私の叔母上に、娘が数ケ月後に死ぬから、兄であるユリウスの時間をリゼットのために使わせて欲しいと、そう告げれば、君は満足だったのかい?」
「あ、あ……っ」
「……ユリウスにも確かに非はたくさんあった。出来ない約束をするべきではなかったし、自分の口から説明できないのであれば、侍従なりを説明に向かわせるという手段もあった。だが、それでもユリウスは自分から伝えた方がいいと考え、動いたことは確かだった」
「…………っ」
アルベルトが深く、息を一つ吐く。
今までの威圧感が消えている。そのことにほっとしかけたナーシャだったけれど。
「……私はね、エヴァレット伯爵令嬢。君がもう少し、ユリウスに寄り添っても良かったと思っているよ。リゼットの見舞いを申し出たら、ユリウスは喜んだだろう。そして君も、リゼットを見舞っていれば、ハートフォード公爵家の事情も分かっただろう。けれど、君は一度としてリゼットの見舞いには行かなかった。……婚約者のことを薄情だと愚痴を言う割には、体調が悪いと言っている婚約者の妹を見舞いにはいかないのだな。私に言わせれば、君も薄情な人間に見えるけれどね」
アルベルトは、冷めた目でナーシャに告げた。
そして、「邪魔をしてしまって、すまなかったね」とナーシャや友人たちに告げて、カフェラウンジを出て行った。
その場には、気まずそうな友人たちの姿と。
――自分を冷たい目で見る、大勢の生徒たちがいた。
そして。
ユリウスからの手紙を捨ててしまおうと思い、慌てて帰宅する。そうしたら、すでに報告を受けていたらしい両親が自分の部屋にいた。ユリウスからの手紙の束を見つけ、そのどれもが未開封なことを知られてしまった。
「お前は、何ということを!!」
この時、ナーシャは初めて父にぶたれた。激怒する父を母が何とか宥めていたが、父の怒りは収まらなかった。手紙を確認しろと強い声で言われ、一つ一つ、ユリウスの手紙を読んでいく。その中の一つに、アルベルトが言っていた手紙が確かにあった。
『ナーシャ嬢。妹のリゼットが、白蝕病に罹ってしまいました。以前からその兆候はあったのですが、まだ確定ではなかった為、伝えられることが出来ずにいました。しかし、先ほど医師から宣告があり、余命も数ヶ月ということを聞かされました。申し訳ありませんが、しばらくの間は妹のことを優先させて頂きたく思います。お父上のエヴァレット伯爵にも、貴女からご説明頂けると助かります』
「白蝕病……」
ぽつりと呟いた自分に、両親が息を呑む。自分でも聞いたことのある難病で、身体の至る所から血を流したり、皮膚が何かに食われたかのように欠けることがある。身体の中にも何かが這いずるような不快感と痛みが常につき纏い、やがて身体の中の血液が足りなくなり、死に至るという恐ろしい病気だった。
それを、7歳のリゼットが発症した。……ユリウスが妹の側に居たがった理由も、今になってようやく理解する。
エヴァレット伯爵家は、父は、ハートフォード公爵家に正式に謝罪しにいった。
けれど、返って来た答えは。
――不義理をしたのは自分たちハートフォード家なので、エヴァレット伯爵家が謝る必要はありません。どうぞ、お気になさらないでください。
そのような返事が返って来るだけだった。
エヴァレット伯爵家が謝っても、非はハートフォード公爵家にあると返され、学園に再び登校してきたユリウスにナーシャが謝罪をしても。
「顔を上げてください、エヴァレット伯爵令嬢。私が不義理をしたことは確かです。そこにどんな理由があろうと、悪いのは私です。それよりも、私のことでご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
そう言って、ユリウスは申し訳なさそうに、困ったように眉を下げて微笑む。どこか疲れたような、悲しそうな笑みだった。
ユリウスは決してナーシャを責めることはなかった。自分が悪いと、一貫して告げている。けれど、彼がそう告げれば告げる程、ナーシャの側から人が離れて行く。
……今ではもう、友人たちも、離れてしまっていた。
そして。
「ナーシャ、お前は修道院に入れ。数年したら出してどこか嫁入り先を探してやる」
「お父様。私は、次期当主ではなかったのですか」
父に言われた言葉が信じられなかった。次期当主として、今まで頑張って来たのに。それなのに、なぜ、と思ってしまう。
「王太子殿下はリゼット嬢を可愛がられておられたそうだ。そして国王陛下もまた、姪であるリゼット嬢を大層可愛がられていたらしい。……お忍びで、よくハートフォード公爵家に見舞いにいくほどだったそうだ」
「……そんな」
「分かるか? 国王陛下と、そして次期国王となられる王太子殿下の不興を、エヴァレット伯爵家は買ってしまったのだ。そしてお前自身のことも、婚約者の手紙を読まず、婚約者の家族が臥せっているのに見舞いにもいかない薄情な令嬢であり、まして婚約の解消を公衆の面前で行う非常識な令嬢だと社交界に思われている。そんなお前を、このまま当主に据える訳にはいかん。速やかに修道院に入れ。これはもう、決定事項だ」
「……分かり、ました」
父の言葉に、そう告げるしかなかった。項垂れるナーシャを慰めることなく、父は踵を返して部屋を出て行った。
何を間違えてしまったのだろう。どこから間違えてしまったのだろう。明るかったはずの未来が、閉ざされてしまった。
窓辺にある椅子に、ふらふらと近寄って腰かける。
……もう、何もする気力が湧いてこない。ただ、虚ろな目でぼんやりと窓の外を眺めるナーシャがいるだけだった。
――窓の外は、憎いくらいの青空が広がっていた。
もしもナーシャが「きちんと説明すれば良かったではありませんの!」なんてことを言わずに、「知らなかった、けれど悪いことをしてしまった」的なことを言っていたら、王太子も胸中複雑ではあるが、何も言わなかったです。
しかし、さも「自分は悪くない!」的な態度をとるナーシャに、仲の良い従弟や、亡くなってしまった可愛がっていた幼い従妹の顔が浮かんで、キレてしまった王太子でした。
お城に帰ったら王太子は怒られます。王太子らしくない振る舞いをするな、と。
なお、王太子はその後しばらく謹慎処分となり、エヴァレット伯爵家には王家から詫びの品が届きます。王家としての対応はそれで貴族社会にも納得されましたが、ナーシャが廃嫡されたのは、手紙を読まず、婚約者の妹を見舞うこともせず、婚約の解消を公衆の面前で行うという非常識な一面が知られてしまったからでした。




