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さよなら、クラリス。

作者: 上遠野

この話には反道徳的な表現があります。あくまでフィクションであることをご理解の上、ご覧下さい。





「ここ?」

「そう、ここ。」


少女が案内してくれた場所は、町が一望出来る、小高い丘の上だった。

車で麓まで来たのだが、彼女の希望で途中からは丘の上に続く道をゆっくり歩いて登ることになった。

普段運動という運動をしない俺にとっては、少しばかり気怠い時間。

だが、丘を登り切った俺を迎えてくれた町の夜景は、存外に美しい。

思わず見蕩れた俺の横で、少女は誇らし気に胸を張った。


「ここ、良いでしょ?私のお気に入りの場所なの。」

「…うん。いいね。吃驚した。この町に、こんな場所があったんだ。」


素直に感嘆すれば、彼女は嬉しそうに笑い声を上げてくれる。


「そんな風に思ってくれる人が自分以外にいるって、気分が良いものね。」


丘を登るまで付けていた懐中電灯の灯りを切って、夜景と月明かりに照らされる少女。

月の精みたいに白くって、世界の全てを知ってる賢者みたいに穏やかだ。

俺が愛用のスポーツバックを野芝の上にどさっと置くと、それに気付いた彼女は目を細め、少し意地悪な顔になった。


「仕事道具、粗末に扱っていいの?」

「道具は道具だもの。それとも、そういうの嫌?」

「別に、私は気にしないけどね。でも、気にする人もいるんじゃないの?」

「まぁ、お客様の中には、嫌がる人もいたねぇ。」


バックを置いてフリーになった手で、胸ポケットから取り出したシガレットをくわえる。

ジッポの蓋を指で弾いて開け、風を避けるようにそっとシガレットの先に火をつけると、彼女の視線がそれを目で追っているのに気付いた。


「…吸う?」


箱ごと差し出してみたが、彼女は笑って首を振る。


「まさか。」


私、高校生よ。と自慢げに言う姿は、確かに花の女子高生そのもので。

俺は肺一杯に煙を取り込んで、町の夜景に吹きかけてやった。


「やったことないの?」

「タバコ?もちろん。」

「一度も?」

「一度も。」


ふぅん、と言いながら携帯を取り出す。電波は良好。ただ、充電がそろそろヤバ気だった。


「…時間知りたい?」


ぽつりと俺が問うと、彼女は一瞬きょとんとして、ふと顔を夜景に戻した。

その横顔は、綺麗に笑っていた。


「別に。今が何時だって気にしない。どうせ、この夜は明けないんだし。」


”夜”という響きに、隠し切れない憧憬がある。

きっと、彼女にとってこの場所での夜にこそ、意味があるのだろう。

ぼんやりとそんなことに想いを馳せていると、焦れた様に彼女が振り返った。


「聞かないのね?どうしてこの場所なんですか、とか。」

「聞いて欲しい?」

「というか、興味ないの?」


本当にビジネスなのね、と残念そうに呟く少女に、俺は笑った。


「ビジネスなのは否定しないけど、自分から”それ”を聞かないのは俺の信条。他人の心の聖域に土足で踏み入るべからず。これ、俺の父ちゃんも言ってたんだ。」

「お父さんもこの仕事だったの?」

「んなわけないじゃん。父ちゃんは立派な警察官だったよ。」


俺の言葉に、彼女は目を丸くして驚き、そして笑った。


「カエルの子はカエルっていうけど、アレ嘘なのね。」

「そうだよ。カエルの子はオタマジャクシだもの。」


その切り返し聞き飽きた。と彼女は肩を竦めて笑って、それからほんの数秒口を噤み、やがて再び穏やかに口を開いた。


「この場所ね、昔、私の家があったの。」

「…ここに?」

「そう、丁度この場所が、私の部屋だった。」


彼女は愛おしそうに、夜景を見つめる。


「夜眠れない日はね、カーテンを開けて、窓から夜景を眺めるの。赤、青、黄色、白…沢山の光が溢れて、宝石箱みたいだった。」

「…夜景、好きなんだね。」

「好きよ。空の星よりも、地上の灯りが好き。」


灯りを一つ一つ、指で数えた。

その灯りの下に、一つ一つの物語があるのだと考えながら眠りにつくのが好きだった。

そう語る彼女の口調が、緩やかになる。掠れて、囁く様に。自分だけに聴こえていれば、それで満足だと言わんばかりに。


俺はいつの間にか指先に迫っていたタバコの火に気付いて、湿った野芝の上にそれを落とし、足で踏みつぶした。

もう一本吸うかな、と胸ポケットに手を入れたところで、彼女は言葉をぶつりと止め、そしてゆっくりと、水飴の中を泳ぐ様な速度で、ゆっくりと俺を見る。

穏やかなのに、張りつめた表情。

強ばっているのに、どこか恍惚としたそれは、この仕事についてもう何度も見てきたもので。

だから、彼女が次にいう台詞も簡単に予測できた。


「…いいよ。」


もう、いいよ。


俺は一つ頷くと、野芝の上にどかりと置かれたスポーツバックを開き、目当てのものを取り出した。

———コルト・パイソン。

映画『羊たちの沈黙』でバッファロービルが使っていたやつと同じ、6インチのシルバーモデルだ。

もっと穏やかな道具は幾つもあるのに、彼女が選んだのは、この国では手に持つだけでも罪になる物騒な代物だった。


俺は少しだけ、恨みがましく聴こえるように低く呟いた。


「これ、手に入れるの大変だった。」

「だって好きなんだもん。『羊たちの沈黙』」

「あれが?グロいじゃん。」

「こんなことを仕事にしているあなたがそれを言うの?」


言うよ。言っちゃうよ。あんなの異常だ。欲求で人を殺すなんて、異常だ。

でもそれを口に出せずに黙った俺に、彼女は小さく笑うと「変なの」と言う。


「てっきり、人を殺すのが好きなんだと思ってた。」

「なわけないよ。人殺しは犯罪です。」

「でも、人を殺すんでしょ?”殺し屋さん”」

「違うよ。”自殺屋”だよ。」


全然違う。と憤っても、死を覚悟した彼女にはどんな言葉も効きはしない。

くすくすと笑うと、「じゃあ”自殺屋”さん」と俺の呼称を呼んだ。


「自殺幇助も立派な犯罪よ?」

「でも、感謝されるよ?」

「まぁ、一人で死ぬのって、結構勇気いるからね。」


そういう私も、そうなんだけど。彼女は照れたようにそう呟いた。


そうだ。世の中には、死にたくても一人で死ねない人間が山ほどいる。

彼らをこの世に引き止めるのは、小さな見栄だったり、恥だったり、家族への思いだったりと様々だけど、それでも彼らの頭から”自殺”の文字が消えることはない。

だから、この商売が成り立つ。


”あなたの望む時に、望んだやり方で、死をお届けします。”


通称”自殺屋”。殺し屋が依頼者の選んだターゲットをロックオンするのと同じ原理で、自殺屋は依頼者をロックオンする。それが彼らの望みだからだ。


彼女からの依頼を受けたのは、一週間前。

口利きでしか仕事を受けない俺のところに、仕事を斡旋する大元から連絡が入った。

ちなみに大元は、町にある小さな心療内科の医師だ。

そこで”死”の処方箋を貰えた人間だけが、俺に依頼出来る。

値段は、時価。だけど、自分でいうのもなんだけど、同じ商売の人に比べれば大分リーズナブルな料金設定だとは思う。これ、ちょっと自慢。


彼女が死を”処方”された経緯は、俺には知らされない。

もちろん依頼者が”知って欲しい”と思う場合は別だけど、大体は最期の瞬間まで言わずに死んじゃう人の方が多い。

きっと”死”っていうのは、セックスの話題の上をいく最大のプライバシーなんだと俺は解釈している。

とにかく彼女からの依頼は、『望む場所で、コルト・パイソンに射たれて死にたい』ってやつだったから、俺はそれを叶える為にこの一週間必死で準備をしてきた。

一番苦労したのは、やっぱり拳銃だ。

この国で拳銃をある程度自由に扱えるのって、ヤクザ屋か警察くらいなもんだと思う。ああ、ヤクザ屋は違うのかも。わかんないや。

でも、一般市民の俺よりも数百倍は入手ルートを持っているはずだ。

無いコネをかき集めて手に入れたコルト・パイソンは、ずっしり重くて、俺が普段使っているやつより引き金が固い。しかも、ちょっとタイミングが掴みにくいという難点もある。

でも、この見た目はゾクゾクするくらい好みだ。

男のロマンを形にしたら、最終的にはこの形に収まるんじゃないだろうか?

そんなことを考えながら銃の最後の点検をしていたら、彼女が「ねぇ」と声をかけてきた。


「聞いて良い?」

「コルト・パイソンのこと?」

「違う。あなたのこと。」


俺が顔を上げると、月明かりの下で彼女が真面目な顔をしていた。


「なんでこんな仕事してるの?というか、どうやってこの仕事についたの?」

「ハローワークだよ。」

「え、うそ」

「うん、嘘。」


依頼者に聞かれる度に同じように応えている俺のスムーズな冗談に引っかかってくれた彼女が嬉しくて、俺は銃を撫でながらニヤニヤ笑ってしまった。


「興味あるの?俺に惚れちゃった?」

「惚れてないけど興味あるの。」

「素直だね。」


まぁいいけど、といいながら少しは傷ついてる。俺も悪くないと思うんだけどなぁ…

俺は傷心の心臓にコルト・パイソンを押しつけながら、いつものように応えた。


「俺、人に感謝される仕事がしたかったんだ。」

「…それで殺し…”自殺屋”?…ちょっと突飛なアイディアね。」


本気で目を丸くする彼女に、俺は負けじと胸を張る。


「警官と同じだよ。人を助けて、感謝される。後から苦情が来た事もないし。」

「そりゃあ、死んじゃうから。」

「要は需要と供給だからね。まぁ何にしても、俺がこの仕事を選んだのは、天職だからだよ。」

「…人を殺すのが?」


彼女が伺う様に聞いて来たのは、きっと俺がその言葉を嫌っていると思っているからだ。

実際、好きじゃないし。


「俺は手伝ってるだけだよ。選ぶのは本人だ。今日の夕飯をスーパーの総菜コーナーから選ぶみたいにさ、死に方を選べてもいいと思うだけ。」

「止めたりはしないの?死んで欲しくないと思うことは?」

「なんで?」


彼女の質問の意図が分からない。

首を傾げて問い返せば、彼女も困った様に首を傾げた。


「…そこで”なんで”って返せちゃう人なんだ。だから、こんなことを仕事に出来るんだね。」

「こんなこと、と言いますがね。こんなこと、を望むのはいつも『君たち(そちら)』だよ。俺が強要したわけでも、懇願したわけでもない。」

「分ってる。…分ってるけど、ちょっと悲しかっただけ。」

「悲しい?」

「だって、あなたにとって、私の死には何の意味も無いんだなって、思うから。」


遥か上空を、飛行機が飛んでいる。赤い点滅が視界を横切り、海の方へと消えて行く。

俺は、銃口を彼女に向けた。


「…俺がこういう時、なんて答えるか、教えようか。」


何処を狙おう。やっぱり苦しまないように、眉間を狙うべきか。

じっと彼女の輪郭を撫でる様に銃を動かしながら、俺は言う。


「”君は特別だ。だから、君の死は、俺が覚えておく。”」

「…安っぽい台詞。」

「うん。何かの映画で、誰かが言ってた台詞。」


だけど、その言葉に安心する人がいるのも、本当なんだよ。

多分人には、自分が生きた痕跡を何処かに残したいっていう本能がある。

その形が子孫だったり、芸術だったりするんだろうけど、今まさに自分からこの世を去る人間にもその本能が働いてるなんて、ちょっと不思議だ。

でも、その気持ちが分らないわけじゃない。

誰にも知られずに死ぬなら一人の方が都合がいいのに、わざわざ他人に依頼してまで死にたいって人は、大抵その死を誰かに看取ってもらいたいと思っているんだ。

だから分かる。分かるよ。


「止めるなら、今だよ。当日のキャンセル料は100%だけどさ、その代わり、明日の朝いつも通り動き出す町が見れるよ。美味しい珈琲飲んで、ああかったるいなって思いながら、いつも通り学校行けるよ。寄り道だってし放題だし、もしかしたら明日、好きな人と同じ電車になるかも。」

「それ、本気で止めてるの?」


銃口が真っ直ぐ自分に向いているのに、彼女の顔は穏やかで、その濁りの無い目は既にここではない世界を見ている。

同じ様な目をする人達を、もう何人も見てきたから分かる。

真面目に真面目に生きて来て、死ぬ瞬間までも人に誠実であろうとする、基本的に善い人達。

そういう人に限って、自分から幕を引こうとするんだから不思議だ。本当に本当に、不思議だ。

彼女の目は、そんな彼らと全く一緒。

だから、分かる。彼女がとっくに、心の準備を済ませていることくらい。


「じゃ、いいんだね。」

「あ、待って。もう一つだけ、思ったんだけど。」


俺が引き金に置く指に力を込めたところで、彼女が急にぱっと顔を輝かせた。


「あなた、やっぱり”自殺屋”さんじゃないわ。」

「…殺し屋だって言いたいの?」

「いいえ。殺し屋って程、クールじゃないし。」


だから傷つくんですけど…と内心しくしく泣いている俺なんか気にも止めずに、彼女はまさに閃いた!と言わんばかりの表情で、何故だか楽しそうに言った。


「”他殺屋”よ。あなたは、他殺屋さん。」

「それ、殺し屋の言い方変えただけじゃん。」

「でも、”自殺屋”って表現、やっぱりおかしいと思うの。だって、あなたが引き金を引くんでしょ?なら、あなたが殺すんじゃない。」

「時と場合によるよ。死ぬ瞬間までの話し相手が欲しいとか、そういう依頼もあるし。」

「でも、私は”殺す”んでしょ?」

「君がそう望んだからね。」


なら、“他殺屋”よ。と胸をはる彼女に、俺は少し考えて「ならそれでも良いけど」と渋々認め、


「でもさ。じゃあ言わせてもらうけど。それなら君が持っているものだって、”自殺願望”じゃなくて、”他殺願望”じゃん。」


俺に殺されたいんでしょ?と言えば、彼女は驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと微笑んだ。


「…そう、……そうね。ああ。そう、そうなの。私、死にたいんじゃなかったの。誰かに…」


誰かに、殺して欲しかった。


自分で死ぬのは怖いから。面倒だから。責任がとれないから。

だから、誰かが私を殺してくれたらいいなって、ずっと思ってた。そう、思ってた。


彼女はこっちが見蕩れるくらいすっきりした笑顔で「ありがとう」と言った。

ほらね、やっぱり感謝される。だからこの仕事は、辞められないんだ。

ざわつく心を押さえ込んで、再び銃口を彼女に向けようとし…ふと、疑問が過った。


「最後に、俺からも聞いていい?———『羊たちの沈黙』の何がそんなに好きなの?」


俺、あれ怖くて途中見れなかったんだけど、と付け加えると、彼女はクスクス笑った。

そして、


「”天に神がいるのであれば、神はそれが大変好きなのだ。スターリング捜査官。チフスと白鳥——みな、同じ所から来るのだ”」

「…?」

「知らない?レクター博士がクラリスにそう言うの。私、その台詞に痺れちゃった。」


照れた様にはにかむ彼女が、夜景を背負ってキラキラ輝く。

素直に、綺麗だと思う。…今しがた彼女が口にした言葉の意味は、よく解らなくても。


銃を持ち上げ、その銃口を彼女の笑顔に合わせる。

その澄んだ黒い目には、どんな顔の俺が映り込んでいるんだろう。

笑ってるかな。笑っているといいな。


こちらを見つめる彼女に応える様に、俺は舞台俳優みたいに、銃を持たない方の手を広げて叫んだ。


「”さよなら、クラリス。子羊の悲鳴が止んだら、私に教えてくれるかね?”」


病院の地下を去ろうとするクラリスに、レクターが言う台詞。

他のシーンは気持ち悪くてあんまり見ていないけど、そのシーンだけはどういうワケかよく覚えている。

その台詞ををそのままなぞると、まさか俺からそんな台詞を聞くとは思わなかったらしい彼女は一瞬息を止め、


「…素敵。」


一言、そう呟いた。


それが最後。そして契機。


腕に走る衝撃を身体で受け止める。

銃口から叩き出された弾丸が闇を裂き、彼女に届くその瞬間。


俺は心の中で呟いた。


さよなら、クラリス。死にたがりの女の子。

もし向こうでもう一度会えたら、その時は俺の話も聞いてくれないかな。

死にたがりの小さな男の子が、どうして自殺屋に———他殺屋になったのか。

長い話じゃないんだ。ありきたりで、つまらないかもしれないけど。

でも、聞いてくれると嬉しいな。思いっきり、面白く脚色してあげるから。

だからさ、俺のこと忘れないでよ。俺も絶対、忘れないから。


ねぇ、クラリス。


…さよなら。


さよなら、クラリス。







<完>






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