第8話 消える命令書と、白紙の返事
革筒から取り出した手紙は、最高級の羊皮紙だった。
王家の紋章が入った封蝋を割ると、そこには見慣れた、そして二度と見たくなかった筆跡が踊っていた。
『罪人マリー・ローエンへ告ぐ。
直ちに帰還し、倉庫の整理を行え。これは慈悲である。
なお、同行している野蛮な冒険者は囮として使い捨てろ。どうせ魔力汚染で長くない命だ。奴の収納にある宝だけを持って戻れば、罪を減刑してやる――』
そこまで読んで、私は手紙をパタンと閉じた。
胸の奥で、冷たい怒りがふつふつと湧き上がる。
私への侮辱はいい。けれど、ディランへの暴言は許せない。
隣でディランが覗き込もうとする。
「……何て書いてある? 俺の首でも要求してきたか?」
「いいえ。何も」
「は?」
「何も書いてありませんよ、これ」
私は手紙を広げ、太陽にかざした。
草原には遮るものがない。強烈な正午の日差しが、羊皮紙を直撃する。
特有のツンとした揮発臭が鼻をついた。
――やっぱり。
このインクの色、独特の青み。先日、鉱山都市の市場で「訳あり品」として投げ売りされていた『感光性魔導インク』だ。
本来は暗号通信や一時的なメモに使われるもので、強い紫外線に当たると数分で色素が分解され、透明になる。
王子は予算を横領しすぎて、正規の公文書用インクすら買えなくなったのか、あるいは管理不足で紛失したのか。
「見ていてください」
私の言葉通り、文字はみるみるうちに薄くなっていく。
『罪人』の文字が消え、『帰還』が消え、ディランへの『野蛮』という言葉も、風に溶けるように消滅した。
三分後。そこにあるのは、ただの真っ白な羊皮紙だけになった。
「……消えた」
ディランが目を丸くしている。
「ええ。安物の感光インクです。直射日光厳禁の注意書きを読んでいなかったんでしょうね」
私は白紙になった手紙を、ひらひらと振って見せた。
「白紙の手紙が届いたということは、王子は何も伝えたくないということです。あるいは、書き忘れたか」
「……ぷっ」
ディランが吹き出した。
こらえきれないように肩を震わせ、やがて腹を抱えて大笑いし始めた。
「くくっ……ははは! 傑作だ! あの王子が血眼になって書いた脅迫状が、お前の手にかかればただのゴミか!」
彼の屈託のない笑顔を見るのは、初めてかもしれない。
笑い涙を拭いながら、彼は私を見た。
「……ありがとな、マリー」
「何がですか?」
「俺に見せたくないことが、書いてあったんだろ?」
ドキリとした。
彼は気づいていたのだ。私が文字を消した本当の理由に。
私は澄ました顔で、白紙の手紙を丸めた。
「さあ? もう読めませんから、永遠の謎ですね」
私はそれを魔導コンロの火口に放り込んだ。
高級な羊皮紙はよく燃える。一瞬で灰になり、風にさらわれていった。
「行こう、ディラン様。これで私たちは、何の命令も受けていない自由な身です」
「ああ。地獄の果てまで付き合うぜ、共犯者殿」
私たちは軽やかな足取りで馬車に戻った。
王子の怒り狂う顔が目に浮かぶようだ。白紙の手紙を送ってしまった自分の無能さを、彼はどう言い訳するのだろう。
けれど、馬車に乗り込んだ瞬間、空気が変わった。
荷台の奥。
あの、鎖で巻かれた「黒い箱」が、ガタガタと震えていたのだ。
今まで沈黙していた箱から、赤黒い魔力の光が漏れ出している。
「……おい、まさか」
ディランの顔から笑みが消えた。
それは、ただの荷物の振動ではない。
箱の中身が、外からの呼びかけに応えようとしている。
王都での「魔導具監査」が始まった合図だ。




