第3話 聖剣の研ぎ方と、リサイクルの定義
森の夜は早い。
しとしとと降る小雨が、焚き火の炎を小さく揺らしている。湿った土の匂いと、薪が爆ぜるパチパチという音だけが、静寂を満たしていた。
ディランが帰ってきたのは、スープが煮え立った頃だった。
彼の黒い鎧は泥と返り血で汚れ、手には巨大な鉄塊のような剣が握られている。
「……硬かった。刃が通らねぇ」
彼は疲れたように剣を放り出し、ドカッと丸太に腰を下ろした。
その剣は酷い有様だった。刃こぼれし、赤茶色の錆に覆われ、まるで廃材置き場から拾ってきた鉄屑のようだ。
「ディラン様、その剣。そろそろ限界では?」
「……ああ。次の街で買い換える。これはもう、寿命だ」
彼は寂しげに呟き、剣から目を逸らした。
まるで、見るのも辛いといった風情だ。
私はスープをよそいながら、その「鉄屑」をしげしげと観察した。
王宮時代、数多の国宝を見てきた私の目が、違和感を訴えている。
錆の浮き方が不自然だ。表面だけが脆く、芯には異様な硬度がある。
「……寿命かどうかは、私が判断します」
私はスープを彼に押し付けると、道具帯から特殊な小瓶を取り出した。
中身は透明な粘液。「アシッド・スライムの油」だ。強力な酸性だが、金属の不純物だけを溶かす性質がある。
「おい、何をする気だ。それは呪われた剣だぞ。触ると手が腐るかもしれん」
「呪い? いいえ、これはただの『酸化被膜』です」
私が油を垂らしたウエス(布)で刀身を拭うと、ジュッという音と共に茶色い汁が滴り落ちた。
ディランが息を呑む。
私は構わずに磨き続けた。力を入れず、円を描くように。油の独特な刺激臭が、雨の匂いに混ざる。
やがて、分厚い錆の下から現れたのは――月光を吸い込んだような、白銀の輝きだった。
「ミスリルと竜骨の合金……! これ、国宝級の聖剣じゃないですか」
「な……馬鹿な。あいつの血を吸って、黒く染まったんじゃ……」
「血糊が酸化して固着していただけです。手入れをサボった言い訳を、呪いのせいにしないでください」
私は仕上げに、鹿革で丁寧に乾拭きをした。
蘇った剣は、焚き火の光を鋭く反射し、周囲の闇を切り裂くような冷たさを放っている。
ディランは震える手で、その柄を握りしめた。
「……そうだ。あいつは、こんな綺麗な剣を持ってたんだ」
彼の目元が、炎の揺らぎで濡れているように見えた。
亡き友の形見。それを、彼は自分への戒めとして、汚れたまま使い続けていたのだろうか。
けれど道具は、使われてこそ、手入れされてこそ輝く。
「捨てないでくださいね。この剣はまだ、貴方を守りたがっています」
「……ああ。もう二度と、曇らせねぇ」
ディランは剣を鞘に納めると、不意に私の手を取った。
スライムの油と錆で汚れた、私の指先。
彼は懐からハンカチを取り出し――それは、出会った日に私が貸してあげた安物だったが、驚くほど綺麗に洗濯されていた――一本一本、丁寧に指を拭ってくれた。
ゴツゴツした戦士の手が、壊れ物を扱うように優しい。
「すまねぇな。綺麗な手を汚させちまって」
「これが仕事ですから。それに……」
私は彼の掌にある無数の古傷を見つめた。
「傷だらけの手の方が、私は信用できます」
ディランは少し照れたように鼻を鳴らし、視線を逸らした。
雨はいつの間にか止んでいる。
ふと、荷馬車の奥にある「鎖で巻かれた黒い箱」が目に入った。
剣が綺麗になった今、あの箱だけが異質な重さを放っている。
「……あの箱も、いつか磨かせてくれますか?」
私の問いに、ディランの手がぴくりと止まった。
長い沈黙の後、彼はポツリと答えた。
「中身が空っぽになったらな。……まだ、捨てられねぇもんが詰まってる」
それは拒絶ではなく、猶予を求める響きだった。
私は何も言わず、彼の手の温かさだけを感じながら、磨き終わった剣の輝きを見つめていた。




