第2話 揺れない馬車と、浮遊石の配置
翌朝、私たちは王都を出発した。
目的地は、西の国境付近にある迷宮都市。ディランの活動拠点であり、王宮の手が及びにくい場所だ。
空は厚い雲に覆われ、初冬の寒風が吹き荒れている。本来なら過酷な旅路になるはずだった。
……そう、「本来なら」だ。
「……舌を噛みそうです、ディラン様」
「すまん。だが急がないと追っ手が来る」
御者台に座るディランの背中越しに、私は文句を言った。
現在、私たちは彼が所有する幌馬車で街道を爆走している。Sランク冒険者だけあって馬車自体は立派なのだが、乗り心地は最悪だった。
ガタン、ゴトン、というレベルではない。ドカッ、バキッ、と車体が悲鳴を上げ、左右に激しくロールしている。
荷台に積まれた木箱が崩れ、私の頭をかすめて転がっていった。
「危なっ!」
とっさに身を縮めると、強い力で腕を引かれた。
ディランが手綱を片手で操りながら、長い腕を伸ばして私を支えてくれたのだ。
ゴツゴツとした籠手が、私の二の腕を包み込む。
「……軽すぎるだろ。ちゃんと食ってるのか」
「食欲も失せる揺れですから。……止めてください。このままじゃ馬が潰れます」
私の剣幕に、ディランは渋々馬車を路肩に寄せた。
馬はいななき、荒い息を吐いている。無理もない。ただ走っているだけでなく、見えない重りに引っ張られているような状態なのだから。
「荷物の積み方がデタラメすぎます」
私は荷台を見渡してため息をついた。
無造作に積まれた木箱、麻袋、予備の車輪。一見するとただの荷物だが、私には「魔力の偏り」が見える。
「右側に『浮遊石』の入った箱、左側に『重石』代わりの鉄鉱石。これじゃあ右は浮こうとして、左は沈もうとする。車軸がねじ切れる寸前ですよ」
「……バランスを取ったつもりだったんだが」
「相殺にはなりません。物理的な重心と、魔法的な重心が喧嘩しているんです」
私は道具帯からチョークを取り出し、荷台の床に線を引いた。
王宮時代、第2王子アレクによく言われたものだ。「魔法で浮かせれば重量など関係ない」と。その結果、彼の率いる輸送部隊は空中で荷崩れを起こし、補給物資の半分を谷底へ落とした。
魔法は万能ではない。物理法則の上に重ねる「スパイス」に過ぎないのだ。
「ディラン様、その鉄鉱石を中央へ。浮遊石は四隅に分散させて、結界のように配置します」
「こうか?」
「ええ。あと、その壊れた食器の束と、子供用のおもちゃ……これ、要ります?」
ボロボロの布に包まれたガラクタを見て、ディランが少し気まずそうに目を逸らす。
「……いつか使うかもしれない」
「……はぁ。まあ、今はいいです。それらは緩衝材の代わりに隙間に詰めてください」
十分後。再出発した馬車は、驚くべき変化を遂げていた。
車輪が砂利を踏む音だけが、規則正しいリズムを刻んでいる。
横揺れは消え、まるで氷の上を滑るような滑らかさだ。浮遊石の力が均等に分散され、車体重量を綺麗に軽減している。
「信じられん……魔法を使ってないのに、魔法をかけたみたいだ」
「配置を変えただけです。足し算ではなく、引き算と割り算の美学ですよ」
私は荷台の奥で、魔導コンロに火をつけた。
揺れないおかげで、煮炊きもできる。小鍋から、ベーコンと乾燥野菜を煮込むいい匂いが漂い始めた。
新品の麻のシーツを敷いた簡易ベッドに腰掛け、私はほっと息をつく。
王宮では今頃、王子たちが私の残した完璧な配置図を無視して、また荷崩れを起こしているかもしれない。そう思うと、この温かいスープの味がより一層美味しく感じられた。
「マリー」
御者台からディランが声をかけてくる。
「ん?」
「……さっきのガラクタだが、あれは昔の仲間が子供にやるはずだった土産だ」
ぽつりと落とされた言葉に、私はスプーンを止めた。
捨てられない理由。ただの怠慢ではなく、過去への未練。
荷台の隅、厳重に鎖で巻かれた黒い箱の隣に、そのおもちゃは押し込まれている。
あの黒い箱も、きっと何か重い事情があるのだろう。私にはまだ触れられない、彼の領域。
「……そうですか。じゃあ、大事にしないといけませんね」
「ああ」
「でも、緩衝材としての役目は果たしてもらいますよ。道具は使われてこそですから」
ふっ、と短く笑う気配がした。
車窓の外、灰色の景色が飛ぶように流れていく。
けれどこの狭い箱の中だけは、スープの湯気と、革の匂いと、確かな安らぎで満たされていた。
王都はもう、遠い。
けれど私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。荷物の奥に眠る「開かずの箱」が、カタリカタリと小さく揺れていた。




