貴族令嬢、惑わされる
貴族令嬢・黒い安息日はギョウ・スーの凍てついたダンジョンを進む。
マッピングしない彼女は、何度訪れても道がわからない。
「この先に何があるのかしら、怖いお化けがいたら嫌ですわ……」
震える体……
未知に立ち向かうとき臆病になる。
でも、それを笑う者を信じない。
彼らは勇者にあらず。
扇動しリスクを肩代わりさせようとする卑怯者だ。
無知と勇気をすりかえるペテン師だ。
「ていうか寒くて震えますわ……」
困難に立ち向かうとき
必要なのは勇気じゃない、準備だ。
「世に暗闇はなく、無知があるのみ」
(William Shakespeare)
黒い安息日は思う。
ダンジョンを嫌う人がいる、ギョウ・スーやラァ・ムーンを見下す人々。
ある人は農薬が気に入らないという。
でも農薬が無かったら人類の大多数が飢えてしまうよ?
ある人は生産国が気に入らないという。
でも国産品だけで生活できる人って現実存在する?
企業も、農薬も、添加物も、他国も、そして自国も
好きになる必要はない、信用しなくていい。
むしろ疑い厳しく監視、それが健全な姿だ。
その結果を好きになり、信用すればいい。
ダンジョンを攻略していこう。
冒険は未知を道に変える。
無知を捨て価値を得るために、進もう。
今日はどんな面白アイテムに出会うのかしら?
震える体……
◇◇◇
「そういえば唐辛子を切らしていたわね」
どうせなら大容量の唐辛子を、そう考えていた黒い安息日の前にモンスターがあらわれた。
ホール唐辛子 「ワイを探してるんか」
赤い袋に入ったホール唐辛子。そうそう、これが欲しかったのよと持ち帰ろうとする黒い安息日に、新たなモンスターが次々と襲い掛かる。
荒挽き唐辛子 「探してるんはワイとちゃうか」
一味唐辛子 「いや、ワイやろ」
糸切り唐辛子 「いやいや、ワイやて」
輪切り唐辛子 「ワイかもしれんで」
キムチ唐辛子 「ワイの可能性も」
全て似たような赤い包装の袋、そして過剰な大容量。小型ダンジョンでこの種類を常備しているとは恐るべしギョウ・スー。しかし、使いきれない可能性があるし、まちがって持ち帰った場合は目も当てられない結果に。……これは困った。
唐辛子は一時保留、黒い安息日は撤退し、執事に頼まれていた中華素材を先に探すことにした。たしか瓶づめの食材で、名前は忘れたけどなんとか「醤」って書いてあったような……
麻辣藤椒香醤 「你好」
姜葱醤 「你好」
塩葱醤 「你好」
花椒辣醤 「你好」
四川豆板醤 「你好」
次々と現れる瓶づめ中華モンスター。すべて形状は同じで、見分けがつかない。
ひとまず逃げる黒い安息日、せめて、唐揚げに使う粉を大容量で手に入れようとするも……
薄力粉 「ワイやで」
強力小麦粉 「ワイやで」
中力小麦粉 「ワイやで」
片栗粉 「ワイやで」
別にどれでも唐揚げは作れるし、片栗粉を混ぜればそれなりに美味しくなるのだが、もはや黒い安息日は正気を失いつつあった。どれを手にすればいいのかわからない、そんな彼女に悪魔のささやき……
から揚げ粉 「ワイやで、ワイで間違いないで」
名前が「から揚げ粉」だから間違いないだろう、そう信じて手を伸ばしたその時……
「天家璃々!」(てけり・り)
カカカッ!
飛んできたのは手裏剣、いや、これは今一つメリットを感じないギョウ・スーのカード、Gyomuca (ギョムカ) 。から揚げ粉と黒い安息日の間に突き刺さり、そこに女忍者が立ちふさがる。
「お下がりを、こやつは水で溶かし漬け込むタイプの唐揚げ粉、味も結構濃い目ですぞ」
いや別にそれで構わないけど……
そう思った黒い安息日だが、空気を読んで後ろに下がった。
「そういうあなたは翔子さん?」
「はい、翔子っす、有馬翔子っす!」
モンスターはそそくさと逃げていく。
危機 (?) は去り黒い安息日も冷静さを取り戻した。
「ありがとう、助かった気がするわ、ところで翔子さんはどうしてここに?」
「はい、南木の命で監視……あ、いや、お守りしたくて後ろから追っていたんです」
よくわからないが助けてくれたっぽいので深く考えないでおこう。
材料もないのに考察しても、どうせ間違ってるし、そもそも面倒だ。
翔子はGyomucaを拾い、黒い安息日に案内を申し出た。
「これより先はお任せを、ギョウ・スーはよく来るので詳しいんです」
「そういえば翔子さんお仕事は?」
「学生っす」
「あら、近くの学校かしら?」
「はい、明石市立エスカルゴ女学院っす」
「まあ、エスカルゴの生徒さんなのね」
かつて名門私立校だった聖エスカルゴ女学院も、いまは明石市立となっている。学長はお元気でいらっしゃるのかしら、OBの一人として黒い安息日は思いをはせるのだった。