貴族令嬢、牛車に乗る
南木 景樹 (なんぎ かげき) は元明石市役所職員である。
市長選で現市長に変わり、明石市がアーカシ市と名称が変更された頃、市民課から政策局へ移動となった。実直な仕事ぶりが評価されての昇進らしい。
地味な男だった。
妹がいるらしいが、詳細は不明である。趣味と言えるのかわからないが、独りで山に登ることがあった。とはいえ本格的な登山というわけでもなく、六甲山を歩き山頂で写真を撮る程度のことだ。健脚と言えるが、近隣の山であり常に日帰りだった。
今はもう登らない。写真は全て、焼却している。
彼は唐突に市役所を辞した。住所も変え行方をくらましたが、なぜか市内に留まっている。元より明るい人間ではなかったが、退職後から陰鬱な表情は影を増し、何かに怯えるような、やがて覚悟を決めたような、重く悲壮な雰囲気を漂わせている。
彼は追われている、何かに。
彼は追っている、何かを。
南木景樹が最後に在籍していた部署は、アーカシ市政策局、市長室秘書課である。
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「六甲山 登ったことは ありまして?」
和風の貴族令嬢・白い定休日が、洋風の貴族令嬢・黒い安息日に聞いた。名前で混乱しそうだが、そこは頑張れ、筆者が間違ってたら誤字報告だ。
それはともかく、愛馬アードレスは一度戻って自宅宮殿の厩舎に預け、黒い安息日は雅な牛車に同乗した。貴族令嬢同士で、積もる話に花を咲かせたかったのだ。
「六甲山、もちろんございましてよ、ホーホホホ!」
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【六甲山】
六甲山 (ろっこうさん) は兵庫県南東部の山で、六甲山地として神戸市の中心部を北から覆うように東西30㎞にわたり広がっている。なお神戸市の南部は瀬戸内海であり、市民の多くは「北が山、南が海」という独特の方向感覚を持っている。ゆえに市街地の鉄道や主要な道路は東西に集中しており、北部へのアクセスは良いと言えない。
とはいえ神戸中心部 (三宮) から六甲山頂まで車だと60分程度、徒歩でも半日かからず下山できるほどで標高は高くない。ゆえに油断する人も多く意外にも遭難は多い。「山をなめるな」と警告する人を笑う風潮があるようだが、山で道に迷うと普通に死ぬよ?枯葉で埋まった数メートルの穴なんていくらでもあるんだから。
道路も整備されており、ワインディングを楽しめるが、数多のドライバーを沈めた曰く付きの山でもある。イキったDQNが知らずに山へ入り、ビビりながら山を下る姿は風物詩と言えよう。
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「鉢巻展望台でイノシシを見たときは驚きましてよ、ホーホホホ!」
昔、黒い安息日が当時の愛馬で六甲山を登っていたとき、鉢巻展望台で休んでいると、何者かが野良ネコ用のご飯を置いていた。その行為の是非はともかく、山に迷い込んだであろうネコたちが集まってくる様子は愛らしく、しばらく眺めていた。
すると草木の揺れるガサツな音、なんと数匹のイノシシ親子が、ネコ用ご飯のおこぼれに預かろうと集まってきたのだ。
ンゴ!ンゴゴ!
ドン引きして逃げるネコもいたが、みんな慣れているのか気にせずご飯を食べている。ていうかイノシシ、近くでよく見ると普通にブタだ。その目はおだやかで、あまり賢そうじゃないところが可愛い。しかし、でかい。推測だが非常に筋肉質だ。正直言うが、素手で戦ったら人間は勝てそうにない。
フン!ンゴ!ンゴ!
良くないことだが好奇心に勝てず、なんJ民のような鳴き声を上げ夢中でご飯を食べるイノシシに触れてみた。フワッフワの体毛……ではない。ガッチガチの剛毛、プラスチックのブラシと表現すれば適切か。この毛は風になびかない、もはや鎧と言って差し支えなし。角度によっては弓矢・銃弾を弾き返すだろう。
(注意:野生生物に触れるのは危険なのでマネしないでね)
そういえば篠山で食べた牡丹鍋、めちゃくちゃ美味しかったな、などと黒い安息日が考えていると、白い定休日が再び聞いた。
「そうですか 裏六甲は いかがどす?」
黒い安息日は黙り込んだ。
それは暗黙の了解だった。
ある程度は知っている、だから、口にできない。
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【裏六甲】
一般には知られていない唐櫃 (からと) から六甲山へ入るルート。一部車両の通行規制もあり、知らずに入ると違反点数の加算と反則金が課せられる。つまり検問が敷かれているのだ。
正確には山脈ではないが、六甲山地は識者の間で「狂気山脈」とも呼ばれ、怪異体験の報告が後を絶たない。特に裏六甲では多くの古文書が発掘されており、原本に近いとされる「六甲宮下文書写本」なども見つかったとされているが公開はされていない。
なお、裏六甲より吹く風が阪神のホーム (甲子園球場) 勝率に大きく関わっているとされ、風を呼び込む祝詞を球団歌としたものが「六甲おろし」である。
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牛車は魚の棚商店街の南、かつて「たこフェリー」乗り場と呼ばれていた場所の近くで止まった。牛車の扉が右大臣よって開けられ、白い定休日は降り際に言った。
「この先は 他言無用に 願います」