Go! Go! Go! Official Vehicle
車内はアンバー・ムスクの香水が漂っている
黒い安息日の宮殿から少し離れた場所に
市の公用車が隠れていた
偶然をよそい現れた信濃守千代丸だったが
市役所幹部職員の要請に応じて送迎されていたのだった
宮殿から出てきた千代丸が帰ってきた
公用車の運転手が一礼して後部座席のドアを開ける
千代丸は無言でシートに座り
運転手は笑顔で運転席に入る
公用車の運転手は公務員ではない
市職員が兼用する場合も無くは無いが
公募で直接雇用か外部委託が一般的である
「お疲れさまでした、ご自宅へお帰りになりますか?」
運転手は女性だった
彼女は川崎重工・明石工場から派遣されている
公用車はKawasaki H2Rのエンジンを二基搭載
外装はリムジンを模した特殊車両
千代丸専属と言うわけではなく、公用車を使用する場合
誰であれ必ず彼女が送迎するのだ
「今の秘書課に顔出してもねえ、家に送って頂戴♡」
「かしこまりました」
運転手が車両を静かに走らせる
完璧でスムーズな運転
常に笑顔で人当たりの良い彼女は市職員からも評判がいい
彼女は千代丸に話しかける
「今回は、急なお呼び出しだったのではありませんか?」
「まあね♡」
「公務とはいえ、大変ですね」
「ふふふ♡」
信濃守千代丸は自由に生きる
その気にならなければ、誰の命令にも従わない
なぜなら彼は強者であり、魔人なのだ
その気になれば市役所職員を■■することも出来るだろう
それが緊急の要請を受け、従うほどの事態
千代丸は後部座席で笑っている
何がそんなにおかしいのか
そりゃおかしいだろう
運転手?
このアーカシ市の?
主に幹部職員を送迎する公用車の?
それが特定企業からの外部委託となれば、ねえ?
「……聞きたいんでしょ♡」
「え?」
「……あの宮殿に、誰が住んでて、何者なのか♡」
「いえ、あの」
「……ふふふ♡」
千代丸は意地が悪い
特に女性に対しては
青ざめつつも平静をよそう運転手の
大人な対応を堪能した千代丸は大声で笑う
「なあんてね、別に深い事情なんてないわよ♡」
「は、はあ……」
「宮殿にいるのはアーカシ市長のご友人よ♡」
「はあ」
「ワガママ女でさ、暇だから来て欲しいって♡」
「そ、そうだったんですね」
「あんたのとこにも大したことないって報告しといて♡」
「いやそんな、ハハハ……」
運転手も自分がスパイだとバレていることは承知している
そもそも千代丸ならずとも多くの幹部職員は気付いている
だが川崎重工明石工場はアーカシ市の敵対組織でもないし
流されて困るような情報は随時コントロールしている
スパイなんてどの組織にも必ずいる
■■の上層部だって明らかに極左のシンパが入っているし
(某組織は無線の傍受を機関誌で自慢げに暴露している)
国内政治だって与党も野党も魑魅魍魎で
自民党が党内のスキャンダルを▲▲に流した例もある
(自民と▲▲は票田が被らないので実は政敵ではない)
国際政治なんて国家元首がスパイとか枚挙にいとまがない
これは陰謀論といった類の幼稚な話ではなく
組織とは常にそういったバランスの上で成り立っている
隠蔽体質に徹した集団は一瞬で崩壊したりするなど脆弱だ
情報は必ず漏洩する
重視すべきは、そのコントロールだ
「市長が貧乏時代にご友人が面倒見てたらしいの♡」
「へえ、そうなんですね」
「そう、だから今でも頭が上がらないんですって♡」
そんな事実はない
虚実織り交ぜるのが情報戦
だが千代丸はそこまで考えているわけではない
適当なことを言って、からかっているだけだった
◇◇◇
自宅に戻った千代丸
まずは大きなソファーにどかりと腰掛けた
テーブルに置きっぱなしのビターな板チョコレートを掴み
バキリと音立てかぶりつく
飲みかけだった、ぬるいコークハイを煽り
あの日を思い返す
筋肉女を沈め
筋肉女に沈められた、あの日
◇
気付けば不思議な部屋にいた
窓からは魚の泳ぐ姿が見えた
その向こうに朽ちた石柱
水中の館
部屋には教会の説教壇のようなものがあり
見れば聖書のようなものが置いてある
だが、明らかに違う
文字は読めないが禍々しさに満ちたその本は
世界を、時空を狂わせんとする悪意を感じさせた
千代丸が本を手に取る
表紙にはこう書かれていた
【 纳克特断章群 】
なぜ文面は読めないのに表紙はかろうじて読めたのか
……わからない
そもそも本に書かれているのは文字なのか
……何かの、ソースコードにも見える
千代丸は本を落とした
熱かったのだ
本から、いや、その周囲から
猛烈な熱気が発せられ
水蒸気のようなものが部屋を覆う
千代丸は部屋を出て廊下を走る
その行き止まりに扉があり
それを開くと海水がなだれ込んできた
そこから渦に巻き込まれ、ほどなく海面へ
沖は遠かったが、泳ぎ切れないほどではなかった
その翌日、明石市は深い霧に包まれる
◇
何が起こったかは分からない
ただその日から
確信めいた予感がするのだ
「きっとどこかにもう一人、私がいるわ♡」




