関西弁のお姫さま、歴史が変わっても愛する人は同じ
オリビア・フェルナンデスは実家を嫌悪している。
彼女は南米で名の知れた資産家の家系で生まれ育つ。
とはいえ、家業は麻薬カルテルの元締めだ。
何不自由ない生活とはいえ、決して逃げることもできない。
父は優しく家族を大切にはするのだが、叔父が北米に逃げDEA (麻薬取締局) に駆け込んだときは、一年を待たず■■された■■■となり国へ送り返されてきた。
たとえ身内でも、父は容赦しない。
国にはびこる貧困、犯罪、その多くはフェルナンデス家の家業が原因である。
同時に慈善事業も行っているが、悪党が上っ面の善行を好むのは世界共通だ。
悍ましいのは、それを信じるバカな人々。
フェルナンデス家は任侠がある、話せばわかる、根はいい人、本気でそう思っている人たちがいる。
■■され■■■となった叔父を見て同じことが言えるのだろうか?
叔父の■■■を■■■する父を見て同じことが言えるのだろうか?
オリビアは見て見ぬふりをするしかなかった。
家業はもちろん、フェルナンデス家そのものを
救ってくれたのは、アーカシ・ウォンターナ。
武者修行の旅に出ていたアーカシ姫が、柔術を学ぶため南米に訪れた。
その際地元の組織と揉め大暴れとなり、偶然オリビアと出会う。
美しく逞しい、豪快で繊細な、姫君。
まるで前世から既に愛し合っていたような錯覚すら覚えた。
二人は愛し合う。
二人は求め合い、互いに没頭する。
そこに理由なんかない。
性別も意味を成さない。
純愛とはそういうもの。
恋は重力。
愛は引力。
それは互いが引き合う力。
最新の物理学でも説明がつかない不思議な力。
如何なる物質でもさえぎることが出来ない力。
何度生まれ変わっても二人は出会い、愛し合うと信じている。
アーカシ・ウォンターナとオリビア、互いの存在が「人生の意義」なのだ。
アーカシはオリビアを連れて逃げた。
南米を出て、北米を抜け、亜細亜へ潜んだ。
その道中で両手を赤く染めることもあった。
だが、後悔はない。
それが二人の、二人だけの「物語」なのだから。
人生は客観的に「物語」であり、
主観的に「神話」である。
神は死んでも、神話は残る、世に人ある限り永遠に。
ただ、その結末は、演者の知る所にあらず。
登場人物は、ただ生きる (演じる) のみ。
アーカシとオリビア、今は二人で姫の故郷・明石市で暮らしている。
◇◇◇
その日、明石市内を濃霧が包み込んだ。
交通はマヒし、数件の事故も発生したが、余りに酷い霧で家を出る人は少なく、大きな事件は起こらなかった。
琥珀 紗音 (こはく しゃのん) は自宅からリモートで情報管理課に指示を飛ばす。
市内全域に「蛾」を飛ばして警戒するも、式神は湿気に弱く、効果的な情報収集は得られない。
「霧の中 ヤバい何かが 起きている」
琥珀紗音に気配を察知できるような才能はない。
だが、彼の中にある「女」の警告は、絶対であると確信している。
この霧は、とてつもない何かを意味しているはずだ。
◇
琥珀紗音の予感は的中している。
だが、彼を含め明石市民で何が起きたかを気付けた者はいなかった。
妙に塩気の強い霧は市内に充満し、夜明けとともに散った。
◇◇◇
「バカね、せっかく休めるんだから家か病院にいればいいのに♡」
「で、でも……」
明石市役所の南、裏のベランダと呼ばれる場所で、千代丸は剣舞に興じていた。
包袋とギブスに巻かれ痛々しい姿の南木綾音が、それを眺めている。
ここは絶景が楽しめる穴場であり、釣り人の間でも知られた場所でもある。
「いまのアンタなんか居るだけ無駄よ、ただの役立たず♡」
「うるさいな、ほっとけよ」
ふてくされる綾音。
その目は千代丸の舞いに釘付けだった。
────美しい。
特に決まった演目を舞っているわけではない。
千代丸は気ままに剣を振り、時にくるりと身をひるがえす。
ただそれだけのことなのだが。
南木綾音は武人、修行を積み、日々鍛錬を怠らない。
だからこそ千代丸の舞がわかるのだ。
何も縛られず、自由で、無駄のない動き。
綾音がどんなに頑張っても届かない、武術の高み。
だから嫌なのだ。
千代丸とは関わりたくない。
剣士としての嫉妬が胸を締め付ける。
「……千代丸どの、言い過ぎでござるぞ」
「……綾音どのの心中、察して下され」
唐櫃衆の面々が南木綾音を擁護する。
今日は二名付き添っていた。
「お前ら帰れよ! もう用はないだろ!」
南木綾音、悪態をつく。
唐櫃衆は入院中から常に綾音のそばを離れない。
ローテーションで入れ替わり何名かが護衛と称し付きまとう。
「……いやいや、綾音どのが完治なさるまで24時間お守り致す」
「……我ら唐櫃衆、綾音どのへの恩義は決して忘れませぬぞ」
信濃守 千代丸、剣舞を中断。
ここで口をはさむ。
「あら、じゃあアタシも24時間護衛してもらおうかしら♡」
「……お断りいたす」
「……勘弁願いたい」
「どうしてよ! アタシも恩人じゃないのよ! 不公平よ♡」
「……その儀だけは」
「……平にご容赦を」
明石市役所の裏ベランダからは、明石海峡大橋が一望できる。
橋の下に広がる明石海峡を大きな船が航行していた。
千代丸と唐櫃衆が押し問答を続けている中、
遠くに見える淡路の街並みを、綾音はぼんやり眺めるのだった。




