関西弁のお姫さま、親父に会う
魚之棚 播磨守 直宗 (うおのたな はりまのかみ なおむね) は、明石城18代目藩主である。
明治維新後、帝国制となり藩体制は継続されたが、直宗の代で版籍奉還した。
時勢を鑑みての判断であるが、奥方であるジョセフィン王妃による説得も影響したとされている。
バッキンガム宮殿を模して建造された天守閣は維持費の関係で解体され、現在では跡地が明石公園として一般公開されている。
◇◇◇
アーカシ・ウォンターナは自宅療養中である。
以前負ったケガも完治せぬまま魔人と交戦、更なる負傷を重ねるも入院までは至らなかった。
同じ屋根の下で暮らすオリビアに、酒をねだるも禁じられ、暇を持て余している。
来客があった。
父、魚之棚 直宗。
元、明石王。
通称、ナオムネ・ウォンターナである。
「おう、元気かワレ?」
「見てわからんか? 帰れアホ!」
関西の貴人に相応しい親子の挨拶である。
オリビアはお茶を入れに台所へ。
父は娘に問う。
「魔人とやりおうたらしいの、どないやった?」
「無理、死んでまうわ」
「つぎ会うたらどないすんねん?」
「死ぬやろな」
父は娘の不器用で直情的な性格を愛してはいる。
だが、死ぬとわかって放置することはできない。
再度、父は娘に問う。
「王権神授説ってわかるか?」
「はあ」
「権力者は神から命じられ、人の上に立っとるちゅう説や」
「戯言やんけ」
「せや、せやけど古今東西の権力者が欲して止まん戯言や」
「せやろな」
「うちのご先祖様も同じでのう、必死で根拠を探したんや」
「アホやん」
「ほいたらな、こんなもん見つけてきよったんや」
彼は懐から一冊の本を取り出し、娘の前に置いた。
それは明石藩主に代々伝わる秘伝書、稀覯 (きこう) 本である。
【 玄君七章秘経 写本 】
表紙にはそう書かれていた。
父は娘に告げる。
「かつて魔人が現れたとき、ご先祖はこれを元に退治したんや」
「マジで?」
「書かれてんのは外道の秘法、学べば必ずや魔を断ち世を救う」
「ええやん! くれ!」
「ただ心せえよ、道を誤れば世は乱れ、歴史が狂うらしいで」
躊躇なく本をひったくり、読み始めるアーカシ姫。
世が乱れるのはともかく
歴史が狂ったところで主観的に分かるはずもない。
観測者でもいれば別だが。
父はオリビアの茶を飲み、
読書に没頭する娘の自宅を後にした。
オリビアは彼を見送ろうと玄関に出る。
扉を開けると、強い湿気と白い靄 (もや) が視界をさえぎった。
「すごい霧 (きり) が出ているわ……」
◇◇◇
アーカシ・ウォンターナは没頭する。
「玄君七章秘経 写本」の冒頭はこう書かれていた。
【第一章】月亮之所以不落下
(月はなぜ落ちてこないのか)
そういえばお月様って、どうして地球に落ちてこないんだろう。
アーカシ姫が読み進める。
この本ではニュートンの万有引力を用いない、独自解釈による解説が書かれていた。
【第二章】克蘇魯神話
(世界と宇宙の歴史)
【第三章】H·P·洛夫克拉夫特
【第四章】拉莱耶
【第五章】印斯茅斯
【第六章】拉萊耶文本
【第七章】奈亚拉托提普
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「姫さま、ずいぶんと熱心に読んでますね?」
オリビアは、アーカシ姫が微動だにせず読み続ける本を覗き込んだ。
読めない。
そこに文字などない。
黒塗りの、ただ真っ黒な、何も書いていない、虚ろな中身。
アーカシ・ウォンターナはそれを、真剣に眺め、ページをめくり続けている。
「……姫さま?」
オリビアの声も届かない。
ウォンターナ家に伝わる秘法か何かで、王族にしか読めない術でもかかっているのだろうか?
わからない。
とはいえ父であるナオムネさまがお持ちになって下さったものだ、娘である姫にとって害なすものではないだろう。
オリビアはそう自分に言い聞かせ、不安を胸に納めた。
◇◇◇
「あなた、アーカシが魔人と争ったそうよ」
ジョセフィン・ウォンターナが夫に声をかけた。
夫であるナオムネは邸宅の窓から外の霧を眺めている。
「聞いとる、だが、どうしようもない」
ナオムネは振り向かず、その表情を見せようとしない。
娘を案じるジョセフィン、危険な策を夫に提案する。
「ですが、あの本があれば……」
「ばかもんッ!」
一喝するナオムネ。
「あのような悍ましい本など……先々代が如何なる災厄を起こしたか、知らんわけやないやろ!」
「ですが……」
「くどい、下がれ!」
一礼し、部屋を出るジョセフィン。
元・明石王ナオムネ、魚之棚 直宗は濃厚な霧を眺め、ひとり呟いた。
「歴史が狂うなど、絶対にあったらアカンのや……」
◇◇◇
……なんだ、この矛盾は?




