関西弁の市長、疑われる
南木綾音が唐櫃衆の案内で屋敷についた頃には、すでに夜が更けていた。
彼らの隠れ家は市の中心部よりやや離れた郊外にあり、辺りは静まり返っている。
奥に通され障子が開くと、部屋には寝床で伏せる老人が一人。
おそらくは翁と呼ばれる、唐櫃衆の幹部か何かだろう。
市長と南木綾音を襲撃した人物でもある。
「ほほ、よくぞ参られた、ささ、此方 (こちら) に」
翁は寝床から上体を起こし、手招きをする。
南木綾音、大小二本を腰に差したまま近くに座る。
それは本来無礼な行為ではあるが、今までのことを考えるに致し方なし。
「聞いたぞ爺、千代丸に斬られたらしいな」
小生意気な口ぶりで綾音が話しかける。
だがそれは上機嫌な彼女なりの気遣いでもある。
それとなく左手が脇差の柄に触れてはいるものの……
「ほほ、年寄りをイジメなさるな、あれ程とは知らんかった故」
「奴は化け物、私でも勝てん」
「ほほ、然 (さ) もありなん、ありゃ腕も見た目も化け物じゃ」
(注釈:「然 (さ) もありなん」意訳すると「そうッスね」)
二人ここは気が合ったらしく笑い声をあげる。
南木綾音は少し気を許し
逆に翁は険しい表情を浮かべた。
「さて、お嬢に頼みがあってお呼びした」
「お嬢?」
黒装束が翁に近づき何やら耳打ちをする。
翁、頷き会話を続ける。
「うむ、誰がどう見てもお姉さんの、お前さんに頼みがあるのじゃ」
「ふむ、何でも申せ」
「海野アケミ市長を調べて欲しい、それとなくで良い」
「なんだと」
「市長どのにはの、ひとつ気がかりな嫌疑があるのじゃ」
部屋の照明に一匹の蛾。
それは鱗粉を撒いて、ゆらりゆらりと室内を舞う。
◇◇◇
明石市役所政策局、市長室それも秘書課となれば、当然市長の警護が主たる業務である。
とはいえ名のとおり秘書としての業務もあり、スケジュール管理や煩雑とした事務作業も行っている。
「綾音ちゃン、見て見て」
海野アケミ市長が声をかける。
二人きりの執務室。
事務作業中の南木綾音が振り向くと、たけのこの里を二本、前歯と唇の間に差した市長の顔があった。
「牙がはえましてン」
海野アケミ明石市長、48歳、いまだ独身である。
南木綾音、無言で視線をモニターに戻し事務作業を続ける。
◇
昨夜聞かされた市長の嫌疑、信じてはいない。
ただ、噂は以前から耳にしている。
どう考えても矛盾した、バカバカしい話ではあるが、
確かに気になる点はある。
それは噂の真偽ではなく、
誰が何の意図で、どのようにして広めているかである。
唐櫃衆もそこが見えない限り、疑念を捨てきれないのだろう。
◇◇◇
定刻が過ぎ、南木綾音は市役所を後にした。
混雑する魚の棚商店街を歩いていると、例の一団にまた出くわす。
どうやら最近、頻繁に活動しているようだ。
「……ウォンターナ家を復興し王政を明石市に!」
いつも通りの戯言を叫んでいる。
だが聴衆は少し増えていた、
そして彼らは、聞き捨てならない演説を始めた。
「諸君、昨今この町を騒がしている、化け物の正体をご存知か!」
綾音は一団に背を向けたまま足を止める。
まさか
まさか……
「そう、あれは海野アケミ市長が用意した生体兵器なのだ!」
南木綾音、全身の血液が沸騰する感覚を覚える。
こいつらだ
こいつらが、あの噂を……
「海野アケミ市長が反体制の人間を誘拐し、海に沈めているのだ!」
耐える。
綾音は、耐える。
憤りを沈め、耐える。
殺意を押さえ、憤りを沈め、南木綾音は……公務員だ!
武士とはいえ、公務員だ!
刃を向けた相手ならいざ知らず、
愚かとはいえ一般の市民をぶちのめすなど、許されない!
卑劣で幼稚な主張でも、自由に意見を述べる権利は侵せない!
南木綾音は、私は、公務員なのだ!
「海野市長を追放すれば化け物も消える、そして姫君を市長に!」
賛同する聴衆の歓声。
調子に乗ったバカの声が心を削る。
南木綾音は震えていた。
それは屈辱、それは無念、それは……
◇
一団の不快な歓声が突如消え、混乱と悲鳴が商店街を満たす。
何事かと振り返る綾音が見たのは、
壇上で演説していた男の胸倉を掴む、金髪の女だった。
「われぇ、ふざけた事ぬかしよってコラァァァァァァァァ!」
「なんですかアナタ! さては姫君を陥れる市長の……」
金髪の女は、驚異的な声量で怒鳴りつける。
その巻き舌は到底カタギの人間と思えない。
もし仮に彼女が市長になれば、明石市は明石組になりそうだ。
「アホんだらあ! うちがアーカシ・ウォンターナじゃあ!」
「え! ひ、姫さま?」
「昨日から聞いてりゃ嘘ばっかしぬかしやがって!」
「い、いや、事実に基づいた……」
「じゃかましい! おい、みんな! こいつの言うことは全部嘘やど!」
「そ、そんな……」
「嘘や嘘や! 全部嘘や! 信じたらアカン! コイツの言うことは全部嘘や!」
やけに嘘を連呼してアピールしているのは少し気になるが、
ともかく当の本人、アーカシ・ウォンターナ本人が直々に現れ
全ての事柄を否定しているのだ。
場はシラけ、聴衆は散っていく。
先ほどまで調子に乗って、そうだそうだと連呼していた連中は、
初めから知ってた、信じてなかった、などと口にしている。
まさに、調子のいいバカだ。
「あれが……アーカシ・ウォンターナ姫か……」
南木綾音は壇上を降りる金髪の女を見て呟いた。
これでもう、不快な噂は消えるだろう。
────なるほど、品はないが貴人ではあるな。
綾音は小さく笑った。




