関西弁のお姫さま、キレそうになる
黒いスーツ、
黒いスカート、
黒い髪の南木綾音。
いかにも公務員であり、腰の二本差しが無ければ就職活動中の学生にも見える。
しかし見る者が見れば一目瞭然。
人を知りたくば靴を見よ。
ヒールのないパンプスに見えて、非常にしなやかで柔らかい。
功夫シューズにも似たその靴は、激しい動きに適した柔軟性と、軽量でありながら防刃性にも優れている。
だが、背が低く童顔の南木綾音にとって、ヒールがないということは致命的であった。
綾音が抱く理想の自分、つまりスーツを着こなすお姉さん像からは大きくかけ離れており、周囲からは「ちびっこ侍」だの「五月人形」だのと呼ばれているのだ。
そんな彼女は今、ガラケーの指示に従い駆除対象の討伐に向かっている。
◇◇◇
つけられている。
それは気付いていた。
だが今は海洋性特殊外来生物の駆除を優先する。
南木綾音は市役所で勤務中だったため、スカートのままである。
着替える間を惜しんで駆けつけたのだ。
目標は三体。
夕闇迫る人丸山公園、既に抜き身の剣を手に、
南木綾音、南下する駆除対象を北から襲う。
「ひとつ」
梵字が刻まれた日本刀で袈裟斬り。
飛び散る粘液が血のように赤いのは、映える夕日の錯覚か。
「ふたつ」
続けざまに下段より刀を斬り上げる。
役所より支給された刀には、既に術式が込められていた。
「みっつ」
はね上げた刀身を頭上で切り返し、上段より斬りつける。
だがまだだ。
彼奴等 (きゃつら) 、この程度では消えぬ。
南木綾音、印を結び真言を唱える。
「唵 (おん) ……娑婆訶 (ソワカ) 」
三体の海洋性特殊外来生物、海水となり四散する。
お役目終了。
……残るは、あとひとつ。
日落ち闇迫る人丸山公園の草むら。
南木綾音は地摺りの正眼、つまりは下段に構えて進む。
先ほどとは違い足音を殺し、軽く楕円を描くような足さばき。
頭を上下に動かさないことで距離感を狂わせる。
それは、対人の技法、
つまりは、殺人の技。
下段に構えているのは、草むらに潜む相手をまずは突き、その後仕留めるつもりなのだ。
南木綾音とて、いたずらに人を殺めたいとは思わない。
だが剣を手にし、すでに抜いてあるならば、致し方なし。
危険とわかっていながら近づき、身を隠すなど覚悟の上であろう。
ならば当方も武士として、覚悟を決めるまでのこと、致し方なし。
初の人殺しなれど、致し方なし。
些細な理由なれど、致し方なし。
殺されるなら殺す、致し方なし。
武士の精神修業はつまるところ、この一瞬の為、致し方なし!
「……ま、待たれよ!暫 (しばら) く、暫く!」
草むらより顔を出したのは黒装束。
先日斬りかかってきた翁ではない、が。
「……某 (それがし) 、唐櫃 (からと) 衆がひとりにござる!」
「名乗れ」
「……名もなき草にして、お許し願いたい!」
「よかろう、して何用だ」
「……御姉様 (おあねさま) にお願いの儀あって参りました!」
唐櫃衆の名もなき忍び、
実は南木綾音を何と呼ぶべきか、迷った。
願い事がある以上、「お前」や「貴様」とは呼べない。
「お嬢さま」はどうか、いや、ちょい舐めてる感あるな……
やや無理あるが「御姉様」 (おあねさま) でいこう。
咄嗟の判断、大金星となる。
「今、何て言った」
「……御姉様と、失礼でしたか?」
「私がお姉さまっぽく見えると?」
「……は、はい」
「ふむふむ、お願いとやら申してみよ」
「……あ、はい、翁と会って頂きたいのです」
「なに?」
察するに翁とは、先日斬りかかってきたクソ爺のことだろう。
そんな奴と会え、だと。
正気か?
だが私を、スーツを着こなす美人で大人のお姉さんであると正しく認識できる連中だ、会って話を聞く価値はあるやもしれん。
南木綾音、刀を鞘に納める。
「よかろう、案内しろ」
「……か、かたじけない!」
◇◇◇
リハビリ、というわけでもないが、アーカシ姫は魚の棚商店街を歩いていた。
本人は今すぐ陸上漁師として復帰できると言い張るが、
後ろを付いて歩くオリビアがそれを許さない。
「心配したんだからね、バカ」
オリビアはアーカシ姫に肩を貸すと言いながら、腕を組んで離さない。
嬉しくも恥かしいアーカシ姫、二人は愛し合っていた。
往来する人々の流れを阻害する一団がいる。
ビラを配り、大声で叫んでいた。
お店かイベントの宣伝かと目を向けたオリビアだったが、即座に顔をそらす。
「姫さま、あちらに行きましょう」
「なんや、どないしてん」
真剣な表情のオリビアに不安を抱くアーカシ姫。
その理由は一団の大声を耳にし理解した。
「……ウォンターナ家を復興し王政を明石市に!」
アーカシ・ウォンターナの顔色が消える。
アーカシ姫は実家であるウォンターナ家とは疎遠である。
とはいえ、名を出されて愉快なわけがない。
だが、不快な演説は続く。
「諸君、王位継承者であるアーカシ姫君の現状をご存知か!」
オリビアが移動を促すも、アーカシ姫の足が止まる。
顔は引きつり、こぶしを握る。
「姫君は陸上漁師として化け物駆除をさせられているのだ!」
嘘ではない、が、事実でもない。
「させられ」ているわけではない、ふざけんな。
「果たして姫君が望んだことか、否、これは強制なのだ!」
「そうだ!」と誰かが叫ぶ。
連中の仲間かもしれない。
我慢しきれず振り返るアーカシ姫の腕に、
オリビアがしがみつき必死でかぶりを振る。
「しかも、貧困に喘ぐ姫君は連日立ち飲み屋で酒を飲み……」
これは二人とも小さくうなずいた。
貧困かどうかは置いても、概ね事実である。
「某駅構内の立ち食いうどん屋で、毎回天かすを特別に大盛りにして欲しいと執拗にお願いしておられるのだ!」
オリビアが両目をガン開きでアーカシ姫を見る。
アーカシ姫は目をそらし、無言でかぶりを振る。
「あげく川崎重工明石工場近くにある24時間営業の某ラーメン屋さんを早朝にコソコソと訪れ、安い朝ラーメンに常軌を逸した量のニンニクをぶちこんで食べていらっしゃるのだ!」
腕を掴むオリビアの指が、アーカシ姫の腕に喰い込んでくる。
それ、知らなかったんだけど?
外で買い食いは止めてって何度も言ってるよね?
もしかして巡回と称して時々出かけてるのって……
「オリビア、帰ろ、な?」
そこに留まろうとするオリビアを引き摺り、アーカシ姫は魚の棚商店街を後にした。
本人が目の前にいても気付かない一団の愚かさも大概だが
欲望のまま買い食いしていたのを暴露される姫も大概だった。




