貴族令嬢、出番がない
アーカシ市の侵攻に対し、内閣は自衛隊の出動を要請。ただし国会による承認 (事態対処法第9条第7項) は野党勢力の反発や革命主義者 (極左・極右などのテロリスト) の増長による政治的混乱を招くため、災害派遣の名目で行なわれた。
名目上の災害は「加古川の氾濫」。
陸上自衛隊姫路駐屯地より中部方面特科連隊が出動。加古川南部流域において戦闘が行われ、地域の奪還に成功。アーカシ市勢力は撤退を余儀なくされた。後述するがアーカシ市側の戦力は通常兵器に弱く、また戦術や戦略の概念を持たないため、戦闘は人的被害を出すことなく早期に終結した。
この戦いは後世に「第一次 加古川攻防戦」と呼ばれることとなる。
◇◇◇
加古川と明石の間には、播磨町という自治体がある。その歴史は古く弥生時代の遺跡も発掘されており、現在においても人口密度が高い。
アーカシ市はここに工場を建設、食品加工を行っていたらしいが、情報が表に出ないよう隠蔽されていた。
陰謀はなぜバレるのか、隠すからだ。アーカシ市が播磨町の食品工場で行なおうとしていた悍ましい計画は、綿密な隠蔽工作によって逆に怪しまれ露見することとなった。
「粘液まみれだ、転ばないよう注意したまえ」
工場長は長靴で工場内を案内する。
後から追いかける男は革靴で、スラックスの裾に粘液が飛び散らないか気にしていた。
「工場内でも激しい戦闘があったみたいですね」
革靴の男は工場内を撮影しながら見渡している。もちろん専門の調査員が先に工場内を撮影しデータを持ち帰っているのだが、彼は自身が所属する内閣調査室へ現場の生々しさを伝えるため、スマホの容量を撮影した動画で埋め尽くそうとしていた。
「ああ、おかげで従業員は無事に救出されたよ」
「なるほど、自衛隊に感謝しないとですね」
「そいつは俺じゃなく労働組合に言ってくれ」
アーカシ市が運営する工場に労働組合は存在しない。つまり工場長のブラックジョークなのだが、色々差し障りがあるので革靴の男は無言で返した。工場長が足を止める。
「ここだよ」
そこは何かが培養されていた跡で、砕けた透明の容器に粘液が絡み飛び散っていた。そして赤い肉片、それはまだ動いている。生きのよい鮮魚のように跳ね、切断したばかりの頭足類のように蠢 (うごめ) いている。
「これは……」
革靴の男は知っている……
それが何かを知っている……
しかし確認せずにはいられなかった。
そうしなければ信じることが出来なかった。
いや、信じたくはないのだが……
この「食品工場」で、何が培養されていたのか。
アーカシ市が独占販売する「名物」の実態。
……工場長は、吐き捨てるように答えた。
「ああそうだ、アーカシ市長の触手だよ」
◇◇◇
かつての神戸市西区、学園都市と呼ばれたこの地域もアーカシ市による侵攻を受けているが、自衛隊による奪還作戦は行われていない。
教育機関や研究所が多く、戦闘による被害が甚大なものになると予測されたからだ。
加えて、旧・聖エスカルゴ女学院 (現・市立) の保有戦力および人外の戦闘力を持つとされるラダビノッド学院長は健在であり、アーカシ市による支配は名目上に留まると考えた公安当局と自衛隊は、現状維持で推移を見守っている。
市立エスカルゴ女学院は現在、全校朝礼の最中である。
ラダビノッド学院長の訓示は長く、うるさい。
「諸君、聞くがいい
人は平等ではない
だからこそ競い、争い、進歩が生まれ
やがて完全体になるのだ
ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
支離滅裂だ。何を言ってるのかわからない。
しかしエスカルゴの生徒たちは大声で叫ぶ。
「オール・ハイル・エスカルゴ!
オール・ハイル・エスカルゴ!」
もしかしたらエスカルゴ女学院は、アーカシ市長より危険かもしれない。
学院を訪れ朝礼を眺めていたMH77A 学天則はそう考えた。
◇
学長室でMH77A 学天則はラダビノッド学院長と面談した。老執事と面識があるらしく、学院長は快く学天則を迎え入れた。独特の巻き舌が学長室に響き渡る。
「話は聞いてるよ、君が噂のフグタくんだね」
「違います」
「冗談だ、笑えよベジータ」
「違います」
「こいつは失礼した、では、話を進めようか」
「アーカシ市長についてお聞きします」
「暴力を振るって良い相手ですな、ゲハハハハハ!」
「はい、アーカシ市長の能力、およびアーカシ市が保有する戦力についてお伺いしたいのです」
ラダビノッド学院長の顔から笑いが消えた。
彼は立ち上がり、学長室を出た。
「ついて来たまえ」
学院長は長い廊下を無言で歩き、やがて鉄の扉の前に立つ。
華麗な学院には似合わない、武骨な扉。
彼は扉を開けた。
「入りたまえ」
学天則は視覚情報の他に、赤外線による体温や湿度計測による発汗を常に観測し、心拍数の変動も合わせ有機生命体の精神状態を総合判断している。
ラダビノッド学院長は今……怯えている?
学院長は扉の先にある研究室に入り、振り返る。
部屋は暗く、学院長の表情は見えない。
彼にしては珍しく、油断したのか心情を漏らしてしまう。
「学天則くん、私はね……怖いのだよ」
研究室の中央に、水槽が置かれている。
腐敗防止に液体で満たされた水槽に沈められているのは……なんだこれは?
「私はね……為政者が誰であれ、学院の生徒たちに害が及ばないのなら構わないのだよ」
学院長の独白は続くが、学天則の目は水槽に釘付けだ。
生体反応なし。
有機物。
体長2.13m (推定)
体積225146cm^3 (推定)
体重204kg (推定)
深海魚と頭足類を融合したような形状……
近似する生物は検索の結果該当無し。
「学天則くん、私はね……本当に、本当に怖いのだよ」
学院長は震えている。
心拍数は跳ね上がり、正気を失いつつある。
「こんなね……こんな……アーカシ市長の体がね……」
学院長の限界は超えた。
もはや耐えることはできない。
「分裂して……奇妙な生物となって……襲い掛かり……私に挑むなど……くは、くはははは……私はね……我慢しているんだよ……だからね……神にね、縋 (すが) っているんだよ……くははははははは」
学院長の体温が急激に上昇
53.6度を計測。
深刻なエラーの可能性があります
学院長の血圧が急激に上昇
430/289
深刻なエラーの可能性があります
「バババケモノなら……いいんだよ、な、許されるよ、な、何しても……アレしても……コレしても……許されるよ、な、神も、生徒も、許してくれるよ、な、な、な!」
学院長の重量が大幅に上昇
重力と時空間の異常を検知
学院長の瞳孔が膨張
学院長の……
学院長の……
学院長の……
「ぎぎ……ぎは、ぎははははははははははははははは!」
「……さて、学天則くん」
急に素に戻るラダビノッド学院長。
「アーカシ市長は身体を分散、その破片は個別に増量、一定数を超えると群れを成し、知性を持たぬ生体兵器として侵攻する」
学院長は水槽を指さす。
「これは捕獲した、生体兵器だよ」
学天則は学院長に問う。
「分析済の詳細な資料の閲覧許可を頂けますか」
「もちろんだとも、研究室も自由に使いたまえ、あとでエスカルゴ臨時職員としての身分証をお渡ししよう」
「感謝します、学院長どの」
これ以降、MH77A 学天則は臨時職員としてエスカルゴ女学院の研究室に通うこととなる。まずはアーカシ市長の生体兵器を分析し、そして密かにラダビノッド学院長も解析しよう、学天則はそう考えた。




