貴族令嬢、登場しない
南木景樹は悪意を持たない。
冷徹で厳格、禁欲的で他者への気遣いなど無さそうに見える彼だが、その実人はおろか生きとし生けるもの全てを愛し、敬意を払っている。
特に人に対し平等かつ誠実に対応し、聞かれたことは正直に即答するよう心掛けている。これは市役所職員時代も同じで、誠意ある人物として評されてきた。
しかし同時に空気を読めない奇人としても扱われ、正直すぎて人を不快にさせることもあった。南木は自己の主張より円滑な人間関係を優先しているつもりだが、それが万人に伝わるとは限らない。
要は、致命的に不器用なのだ。
南木景樹は悪意を持たない。
ただし、それは生きとし生けるものに対してであって、生と死の狭間に立ち世の理を蹂躙する邪悪な存在に対しては一切の慈悲を持たない。
────アーカシ市長を必ず、斬る。
◇◇◇
白い定休日こと白音 (しろね) の君、有馬翔子、南木景樹の三人は、とある隠れ家に集まった。
有馬翔子が入手した「あかし城」の地下施設、通称・明石地下城 (ミンシェヂィシャーヂョン) の地図を広げ、侵入経路を探る。
「なるほどね かなり強固な 結界え」
白音 (しろね) の君は扇で口元を隠しつぶやいた。この扇、もちろんただの小道具ではない。使い捨てではあるが多種多様な陰陽の術が仕込まれており、扇骨 (せんこつ:扇子の骨格、フレーム) も竹ではなく強化セラミック、近接戦闘にも耐える強度を持っている。
「爆破しようにも、この壁の厚さじゃ無理っすね」
有馬翔子が眉をしかめる。彼女の足元には忍者刀。礼儀として右側に置いているが、本来武士でもない有馬翔子が作法にならう必要はない。そもそも忍者刀は隠しておくものだ。
それでも、あえて礼儀にしたがっているのは、白音 (しろね) の君に対し敵意の無さを示すためである。
しかし、それは表向きの話だ。
内心、有馬翔子は白音 (しろね) の君が気に入らない。
密談と称し南木景樹と頻繁に会うのも気に気に食わない。
さらに南木が白音 (しろね) の君を信頼しているのも気に障る。
南木……景樹は、私だけを信頼しておればいいのだ!
白音 (しろね) の君は気付いている。
正直、南木景樹など人としては興味がない。
しかし、焼きもちを焼いて嫉妬に狂う有馬翔子が面白い。
人も動物も、夢中になって行動する姿は愛らしく滑稽だ。
折角だから少し、からかってやるとするか……
明石地下城の図面を凝視する南木景樹。
白音 (しろね) の君が声をかける。
「景樹はん 聞きたいことが ありますえ」
「はい、何なりと」
南木景樹、図面より目を離し、背筋を伸ばして白音 (しろね) の君を正面から見据える。彼女の質問に誠心誠意を持って返答する気構えらしい。有馬翔子は無言で図面に視線を注いでいる。
「うちのこと 動物で例えたら 何どすえ?」
媚びた声、しかも語尾に♡マークが付きそうな言い回し。もちろん白音 (しろね) の君に南木景樹を誘惑する意図はない、有馬翔子をからかっているのだ。
有馬翔子は微動だにしない、ただ黙って図面を凝視する。しかし忍者刀と翔子の距離が、時空間をねじ曲げ縮まっていく。
南木景樹も微動だにせず、返答した。
「ブルドッグです」
「……」
「……」
密談の場が氷結した。
三人は無言、時間が停止した。
その結界を破ったのは南木景樹だった。
「貴女の知的で凛とした佇まい、それでいて勇敢で温和な人柄、動物で例えるならブルドッグが相応しいかと存じます」
南木景樹は真剣だった。
一切の悪意もなかった。
むしろ彼なりに精一杯褒め称えたつもりだった。
ただ致命的に、不器用なのだ。
そして本質的に、変な人なのだ。
「……」
「……」
白音 (しろね) の君、有馬翔子、ともに微動だにしない。
いや、詳細に観察すれば二人とも、小刻みに震えている。
白音 (しろね) の君は理解していた。
南木景樹に悪意はない。
本人は誠意をもって正直に思う所を口にしただけだ。
私は貴族令嬢、絶対に感情を表にしない。
どさ。
有馬翔子が倒れ、ひれ伏した。
もはや小刻みとは表現できないほど大きく震えている。
腹筋を押さえ悶える翔子は、耐えきれず声を出す。
「……ブ……ブル……ブルド……ッグ……」
バキ。
白音 (しろね) の君が手にする扇子の砕ける音がした。
頑丈な強化セラミック製だが、強度を超える握力が加えられたらしい。
白音 (しろね) の君は表情を変えず、拳とこめかみに血管を浮かせていた。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前
九字を切る白音 (しろね) の君、まずは湧き上がる憤怒を押さえ平安を取り戻すことから始めよう。その上で悶絶して笑いをこらえている小娘に制裁を加えよう。見とれよクソガキ……
白音 (しろね) の君、再び南木景樹に問う。
「翔子はんわ 動物で言うと 何どすえ?」
「イグアナです」
即答だった。
もちろん南木に悪意はない。
むしろ彼は爬虫類を好み、いつか飼育したいとすら考えていた。
しかしうら若き乙女を例えるには適しておらず、某国家指導者をディズニーキャラクターで例えるに近い危険性があると気付ける器用さが、彼には足りなかった。
ここぞとばかり爆笑する白音 (しろね) の君。
「イグアナ?あははははは!イグアナ?あははははは!」
忍者は厳しい修業を積んでいる。
長い年月をかけ精神肉体ともに鍛えている。
ゆえに常軌を逸した忍耐力を備えている。
だが、キレた。
「この陰険腹黒三流貴族がああああああああ!」
有馬翔子、忍者刀を抜き鞘を投げ捨て斬りかかる。
「上等じゃああああああああああああああああ!」
白音 (しろね) の君、五七五を忘れ式神総出の陰陽術式展開。
◇◇◇
以後、密談の場では武器の持ち込みと、動物で例えることが禁止された。




