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第0章:「誰も知らない街」

夜明け前の街は、まるで時間が止まったかのように、静まり返っていた。

吐く息さえも音を立てそうな冷たさが、骨の奥まで染み込む。この地域の冬は、とりわけ厳しいことで知られている。


(早く大人になって、箒に乗って、ちゃちゃっと配達を終わらせたいな……)


貧しい家柄に生まれた新聞配達の少年は、そんなことを思いながら新聞配りに勤しむ。

この辺りはとても静かで、ぼんやりしていて、すべてが少しだけ、足りていない。そんな気がする。

街灯がひとつ、点滅を繰り返し、今にも消えそうになっている。新聞配達の少年は、ふと眉をひそめた。


(そういえば、隣町まで新聞配達をすることはなかったな。家はあるのに人の気配も全くないじゃないか。早起きできない大人にはなりたくないもんだ。)


次の配達場所へ向かおうと止めていた自転車を漕ぎ出した少年は、とある張り紙を見つけた。


「ヴェイルハート保護院に入所を考えている方、ご一報ください。あなたの心に寄り添うことをお約束します。【魔法電話コード000-444-000】」


ヴェイルハート保護院——

それは、魔力量が極端に少ない者たち、いわゆる“魔力不全者”を保護するための施設である。その者に見合った職なども見つけてくれるため、一生を周りに卑下されることなく生活できる場所である。

保護院の存在は、小さな頃から耳にタコができるほど聞かされていた。

何を隠そうこの新聞配達の少年も、実は魔力量が通常の10分の1程度しかない”魔力不全者”なのである。ゆえに、保護院のことは両親からもよく教えられていた。


(ヴェイルハート保護院の他に、魔力不全者を受け入れてくれる場所なんてあったっけ?)


そんな場所があることは聞いたこともない。ただ、魔力不全者の者たちは物心ついた頃から「自分は正常ではない」という自己認識を否応なく持ってしまうため、この張り紙の文言は少年の心をいとも簡単に揺さぶった。

少年は懐から魔法不全者であっても通話が可能な魔法電話石を取り出し、少し戸惑いながらも張り紙の魔法電話コードを発声する。


「000、444、000。」


ツー・・・

魔法電話は繋がるどころかすぐに音信不通の音を奏でた。少年はがっくりと肩を落とし、残りの新聞配達に向かおうと再度自転車のペダルに足をかける。

その時少年の目の前に、黒いローブに身を包んだ2人組があらわれた。頭にまで深々と布が覆いかぶさっており、どちらの顔もよく視認することができない。1人は170cmほどの身長で、もう1人は子供であることが一目でわかる身長である。

すると背の高い大人の方が顔が見えるようしゃがみ込み、新聞配達の少年に話しかけた。

「あなたが私たちに電話をくれた方かしら?」

光すら弾くような滑らかな金髪、血のように濃い紅を引いた唇。そして、目が合った瞬間に、言葉も思考もどこかへ消えてしまいそうな、透き通った青の瞳。そんな容姿端麗な人を見たことがない少年は言葉に詰まりながらも返事をする。


「・・・あ、は、はい。チ、チラシが貼ってあったので、少しだけ気になって。」


「そう、ありがとう。私たちはね、魔法がうまく使えない人たちへの差別やいじめをなくそうとしている慈善団体なの。私の名前はベラよ。よろしくね。」


少年はこの美しい女性の温かい言葉をもっと聞いていたいと思いながらも、気になる点を問いかけてみる。


「ぼ、ぼくも魔法不全者なんですけど、ヴェイルハート保護院に入ろうとしてまして。保護院ではだめなんですか?」


「そうよね、普通は保護院に入るものであると教えられるわよね。でもね、私たちは保護院の活動に懐疑的なの。あまり納得していないということね。

あそこにいる子供や大人は、いつまでたっても”魔法不全者”というレッテルを貼られて生きていくことになるの。私たちは魔法不全者として生まれても、普通の魔法使いと変わらない生き方ができる支援をしているのよ。」


この言葉は新聞配達の少年にとって、これ以上ないほど魅力的に感じた。「普通に生きる」ということがどれだけ魅力的なものかは、魔法不全者になった者にしかわからない。

物心ついた時から親戚や知り合いが自分に気を遣っていることは分かっていた。これが大人になってからも続くと思うと、魔法不全者として生きる未来は常に曇り空だ。


「あ、あの!ベラさん、でしたっけ。どうしたら僕にも支援してもらえますか?」


「あら、気に入ってくれたのかしら。嬉しいわ。実はこの子も最近私たちの支援を受け入れてくれて、新しいお友達を探しているところだったの。」


2人の会話を大人しく聞いていた子供が口を開いた。


「あなたのこれまでの人生で、最も大切にしていた記憶を消すこと。それが支援を受けるための条件。」


「・・・?ど、どういうこと?」


少年の顔がこわばり始める。


「そのままの意味。あなたの1番大事な記憶をあなたは思い出せなくなる。」


「ふふ、ごめんなさいね、少し説明がストレートすぎたわね。

1番大切な記憶を消失させるというのは本当よ。これだけ聞くと少し怖くなるわよね。でもね、あなたの全ての記憶は”魔法不全者としてのあなた”が得た記憶なの。あなたが大切にしていたとしても、それは本当に大切なものではないと私は思うの。

この世界の魔法は、”等価交換”のもと成り立っているのは知っているわね?私たちの活動に加わるなら、”これまでの記憶の中で最も大切なもの”を引き換えにする必要があるの。」


「そ、そんな・・・記憶を捨てるなんて怖いよ。」


「あら、そう?じゃあ教えてほしいのだけれど、あなたが今絶対に手放したくない記憶ってなに?取ったりしないから教えてくれる?」


そう言われ、少年は考え始める。誕生日に欲しかったおもちゃをもらった時、大好きな料理が夕飯に出てきた時、新聞配達の報酬をもらえた時。自分で考えてみると、幸せには感じるもののあまり大事には思えなかった。

ベラは優しく微笑みながら言葉を続ける。


「あなたが絶対に手放したくない大事な記憶はあったかしら?」


戸惑いながらも少年は答える。


「楽しかった思い出はたくさんあるけど、そんなにはない、かも、しれない。」


「そうなの。実はそんなに大変なことじゃないのよ。大切な記憶を1つ、たった1つ捧げるだけで、あなたのこれからの人生は想像もつかないほど良いものになるの。」


少年は少し考える。1つだけでいいなら問題ないか、と。


「わかったよ。じゃあ、1つだけ僕の記憶をあげる。でもその前に、ママとパパに許可を取ってきてもいい?」


「あなたは賢い子ね。でもごめんなさい。私たちのこの活動は、魔法電話を受けてから5分以内に取引成立しなければ支援できない決まりになっているの。もしあなたの両親に許可を取っていたら間に合わなくなるわ。」


「・・・。わかった。あとでママとパパには言えばいいから、やってくれる?」


少し怪訝な顔になりながらも、この少年の心を動かすにはベラの言葉はあまりにも魅力的だった。


「あなたは本当に賢い子ね。あなたの未来がこれまでとは比べ物にならないほど素敵なものになると、私が保証するわ。」


ベラは懐から黒くすらっとした杖を取り出し、先端を少年の胸に優しく置いた。


「《記憶よ、当てどもなく彷徨え(メモリア・エルレンツ)》」


少年の胸の奥から、なにかがそっと剥がされるような感覚が広がった。淡く発光する金色の球体が少年の胸からフワリと浮かび上がり、あたたかく、どこか哀しく、彼を見つめているようだ。拳大ほどの大きさになった時、その球体はふわふわと少年の顔の前まで浮上した。とても暖かく、いつでも自分を見守ってくれているような、そんな優しい存在に思える。

少年がその球体に見入っている次の瞬間、球体を彩っていた金色の輪郭が灰色に変化し、そのままシャボン玉が弾けるように煙となって霧散した。


「どうかしら、何か具合が悪かったりする?」


自身の杖を懐にしまいながらベラがそう問いかける。

少年はハッと我に返り答える。


「いや、大丈夫、です。あまりにも綺麗だったから見入っちゃいました。」


「じゃあ早速行こうかしら、私たちのお家に。」


「あ、残りの新聞配達を終わらせてからでもいいですか?」


「そんな仕事はもうやらなくていいのよ。あなたはもっと大切にされるべき存在なんだから。そもそもあなたはなぜ新聞配達なんてやっているの?」


「・・・たしかに。こんな安い報酬で僕は何してるんだろう。もういいや。」


少年は肩にかけていた新聞配達用のバッグと自転車を道端に放り捨てた。


「ふふ、では行きましょうか。」


3人は横並びになり、もう少しで夜明けの来る凍てつくような田舎道を歩き去っていく。少年は何のために、いや、誰のために新聞を配っていたのか思い出せなくなっていた。

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