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空を翔ける  作者: 佐倉千波矢
浪漫飛行
4/4

4.

 空軍に入隊してからの日々は慌ただしく過ぎた。幹部候補生学校での教育期間一年を経て初期異動となるまでは他者と変わらない。だが、その後の配属はなかなか決まらなかった。兵役での王族の扱いにはマニュアルがあり、陸軍であれば前例が何人もいるとはいえ、空軍への正規入隊は史隆(ふみたか)が始めてだったためか、上層部としても扱いに困ったようだ。


 それでも同期入隊から遅れること一ヶ月、四月も終わろうとする頃にどうにか第三飛行隊への配属と定まった。青藍(せいらん)と共に、速やかに配属先の基地に移る。


 他の隊員と異動がずれたためか、隊長から第二班の第三分隊長に直接引き合わされた。その分隊長の顔を見て、史隆は目を見張った。


 目の前に上官として立つ幼なじみに会うのは六年ぶりだ。面差しはすっかり大人びていたが、子供の時分に年長者から小生意気と称された瞳の輝きは変わっていない。濃紺の制服に身を包み、背筋を伸ばして直立不動の姿勢をとる総一朗(そういちろう)の姿は、精悍な軍人そのものだった。


 総一朗の案内で竜舎へ向かうことになり、本庁の建物から外に出た。建物と建物の間に伸びる通路を、二人は黙って並んで歩いた。沈黙は気まずいが、史隆はどう声をかければいいのか分からずにいた。


「えーと、そのー、お久しぶりです、史隆さま」


 総一朗がぎこちなく話しかけてきた。彼もまた、この再会に戸惑っているようだ。


「中尉、私のことは仁志と呼んでください」

「そうは言っても、史隆さまを呼び捨てというのも……」

「昔は気にもしてませんでしたよね」

「そんな子供の頃の話……。年が一桁の頃でしょう?」

「それから部下に敬語で話すのはいかがなものでしょう」

「史隆さまこそ、その敬語、やめてくれませんか。どうにも落ち着かないというか……」

「階級を考えてください。私はつい先日少尉になったばかりです」

「いえ、身分があるでしょう」

「軍にいる以上は階級が優先されますよね」

「それはそうだけど。……って、あれ? なんだか、うまく話せない……」


 総一朗が言葉を詰まらせ、気まずそうに頭を掻いた。その様子に、史隆は思わず苦笑しそうになるのをこらえた。


「ではこうしよう。今この時点から、他の者がいないときは互いに呼び捨て、敬語なし。どうだ?」

「……なるほど、そのほうが良さそうです」

「きっちり切り替えろよ」

「わかった」


 にやりと総一朗が笑う。かつてのやんちゃな少年の面影を残していたために、史隆はなんとはなしにホッとした。


「上層部は僕の処遇に困って君に丸投げしたってところか?」

「まあ、当たらずともいえども遠からず、かな」


 総一朗は苦笑した。隊長が仁志家の一門だったことが第三飛行隊に決まった直接の理由であり、ちょうどその配下にいた自分は隊長から直接打診を受けたのだ、と説明を加える。


 いつの間にやら立ち止まって話し込んでいたのに気付き、二人は再び歩き出す。だが、通路の分岐点で史隆が竜舎の方向へ向かおうとしたところで、総一朗はその反対側を示した。


「史隆、こっちだ。施設科にちょっと用があるから一緒に来てくれ」


 早速呼び捨てに戻ったかと思えば、今度はまるで子供の頃のような口調だった。史隆はそれに妙な心地よさを感じながら、総一朗に従った。


「竜舎の維持管理を担当している事務官に引き合わせるよ。今後は君が第三分隊側の担当者になる予定だ」


 総一朗に促され、史隆は施設隊の建物へと足を踏み入れた。


「ああ、あの子だよ。ちょうどカウンターにいる女の子」


 奥のほうに、他の隊員の対応をしている職員の姿があった。事務手続きの受付窓口は、入ってきた通用口とは反対側にあり、二人はそちらへと歩いて向かう。


 その職員は、カウンター上の書類を示しながら相手に説明しているため俯いていて、顔は見えない。斜め後ろからわかったのは、ショートボブの細身の女性ということだけだ。だが、その姿にどこか見覚えがあるような気がして、史隆は首をひねった。


「彼女、華族の出なんだけど、父親に決められた婚約がどうしても嫌で家を追ん出てきたらしいよ。そのせいで勘当されたんだって」

「へえ、思い切ったことをするな」

「本当にね。ま、そういうわけで去年から事務官として働いている」


 カウンターに近づいた頃にはちょうどそれまでの対応を終えたらしく、その職員が振り向き、こちらに気づいた。


「風早中尉、依頼のあった竜舎の修繕についてですが――」


 女性職員の視線が史隆に向けられ、彼女の言葉は途切れた。その瞬間、史隆は息を呑んだ。立っていたのは、もう一人の幼馴染だった。長かった髪は耳下で切りそろえられ、一見した印象はまるで違っているが、確かに瞳子(とうこ)だった。凛とした佇まいは変わらず、なによりその顔には見覚えのある柔らかな笑顔が浮かんでいる。


 瞳子は小さく会釈をしてから、総一朗に向き直り、修繕に関して質問する。やりとりの中で現場での確認事項があるからと、三人は施設科を出て、改めて竜舎へと向かった。


 しかし、竜舎を目の前にした通路で、総一朗はおもむろに立ち止まった。


「瞳子ちゃん、史隆に言いたいことあるでしょ? 今なら周りに誰もいない。少しくらい時間を取ってもいいと思うよ」

「……ええ、ありがとう」


 瞳子は、史隆と向かい合った。


「史隆さま、お久しぶりです」


 懐かしいアルトの声に、史隆は胸の奥が締め付けられるような思いがした。「瞳子……」と名前を呟くのが精一杯だった。言いようのない気持ちが一気にこみ上げて、言葉を詰まらせる。


「瞳子ちゃん、僕とまったく同じセリフ言ってる」

「あら、だって他に言い様があるかしら?」

「確かに」


 総一朗と瞳子が軽口を交わす。だが、だんだんと瞳子も言葉数が減り、やがて黙り込んでしまった。それでも瞳子の視線は史隆から離れない。史隆もただ見つめ返すだけしかできない。


 沈黙を破ったのは総一朗だった。


「二人とも、もう少し思ってることを声に出してもいいんじゃないのか。そうしないように教え込まれてるのは知ってるけど、王家も公爵家も、もう関係ないだろ? あ、そうだ、ほら、瞳子ちゃん、前に言ってただろ。史隆に頼みたいことがあるって」


 促されて、瞳子はふと視線を落とした。


「そうでした。私、史隆さまにお願いしたいことがあるんです」

「そうなのか? どうした?」


 史隆が問いかけると、瞳子はもう一度顔を上げ、しっかりと視線を合わせた。真剣な眼差しで史隆を見つめる。


「史隆さま、これからも、青藍に乗せていただけませんか?」


 瞳子の口から出たのは、意外な言葉だった。以前彼女を青藍に同乗させたのは、史隆にとって想い出を意味したが、彼女にとってはそれだけではなかったのだと初めて知る。


「あの夜、史隆さまが私を青藍に乗せてくださったとき、星空がとても綺麗でした。あの景色は、私にとって一生忘れられない思い出です。……けれど、あれを最後にしたくはありません。ですから私、こんなところまで追いかけてきてしまいました」


「君は、そういえば子供のころ、お転婆娘と乳母に言われていたな」


 思わず口をついて出た史隆の返答に、瞳子は頬を赤らめた。


「なんですか、それは? なにも今言わなくても」

「いや、小さい頃、僕たち三人の中で、先頭を切って走り出したのは、いつも君だったなと思い出したんだ」

「そうだった、そうだった」


 総一朗も懐かしそうに笑う。瞳子はさらに顔を赤らめた。


「総くんまで」


 そうだ、瞳子が大人しくて従順だと周囲に言われるようになったのは、婚約が決まって以降だったじゃないか。史隆は、幼い日の瞳子の屈託のない笑みを思い出していた。


 瞳子が少し首を傾げながら、史隆の顔を覗き込んでくる。


「それで、史くん、私を青藍に乗せてくれるのかしら?」


 瞳子のそのセリフにどれだけの意味がこめられているのかが、痛いほどに伝わってくる。


「……瞳子……」


 史隆がどう返すべきか逡巡していると、総一朗がにやりと笑った。


「史隆、ここは男らしく応えてやれよ。ほら、瞳子ちゃんは、ずっとお前のこと――」

「総! 余計なことを言わなくていい!」


 史隆が慌てて遮る。そのやりとりに瞳子がくすくすと笑い出し、どことなく不安げだった表情が明るい笑みに戻る。


 総一朗が大袈裟に肩をすくめてみせた。


「承知しました。では私は用済みですので、一足先に竜舎に向かいます。五分以内にお二人もおいでください」


 ひらひらと片手を振りながら、総一朗は立ち去った。その後ろ姿を眺めながら、瞳子は苦笑する。


「この場に総くんがいてくれてよかった。きっと、私一人じゃ言いだせなかったわ」


「そうだな。僕も同じだ」


 史隆は深呼吸を一つする。そして瞳子の瞳を見つめ、凪いだ声で言った。


「瞳子。こらから先、何度だって、君が望む限り、僕と一緒に青藍に乗ってほしい」

「ずっとよ」

「ああ、ずっとだ」


 史隆の返事に、瞳子はいたずらっぽく笑った。


「また夜中に星の中を飛んでみたいわ」

「そうだな」

「それに今度は昼も」

「なかなか爽快だよ。この辺りの飛行コースを調べておかないとな」

「うん、お願いね。そういえば、青藍がいやだと言ったらどうするの?」

「無理矢理にでも承知させる」

「ひどい騎乗者ね」

「そのひどい騎乗者を選んだのは竜のほうだからね。文句は受け付けない」

「ふふ、私からも青藍に頼み込まなきゃ」


 史隆と瞳子は顔を見合わせて笑い合った。


「ねえ、ずっとよ」

「ああ、ずっとだ」


 二人は、竜舎に向かって並んで歩き出した。


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