夜明け前より瑠璃お姉ちゃん ②
「お昼かぁ……よっと」
四時間目が終わって、教室が騒がしくなってきた。
別に教室に移動する人、複数人で集まる人、机をくっ付ける人。
みんながみんな昼ごはんを食べる準備を始めていた。もちろん私も。
カバンから弁当箱を取り出し、机の上に置いて、慣れた手つきで開ける。
箸を手に取り、冷えたご飯を──
「カレンちゃーん! お昼食べましょう!」
「わっと!?」
突然名前を叫ばれ、びっくりしてご飯を落としそうになる。ギリギリセーフ。
声のした方を見ると、笑顔満点なハッピーがニコニコしながら教室に入ってき──
「ハピィ!?」
「こら、ダメでしょ」
入ってきたと思ったら、ハッピーは突然後ろから現れたみゆに、首根っこを掴まれ、引きずられ始めた。
「ちょ!? 何するんですかみゆ!?」
「先生が用あるって言ってたよ? はあ……」
「え! やだ! 助けてカレンちゃん! カレンちゃ──」
必死にこちらに向けて手を伸ばす。私はその場から動かずに、彼女を見守る。
「全くもう……カレンお姉ちゃんに迷惑かけないでよね」
ハッピーの背後からみゆが顔を出して、申し訳なさそうに頭を下げてきた。ので、私もなんとなく頭を下げた。
情けない声を出しながら妹に引きずられていくハッピー。姿が見えなくなった後も、私の名前を叫んでいた。
「……何これ」
私は思わず首を傾げながら呟く。とりあえず、ハッピーは放っておこう。
再び箸を構え、私は冷えたご飯を狙い──
「カーレンちゃんっ!」
再び私を呼ぶ声。ポンっと、背中が軽く叩かれる。
私はゆっくりと後ろに振り向いた。するとそこにいたのは、まさかの青柳さんだった。
「一緒に食べてもいい?」
「え……う、うん。いいよ」
「やたっ。椅子借りまーす」
隣の席から椅子を引きずり、私のすぐ隣に移動させる青柳さん。
私と違い猫背ではなく背筋をしっかりと伸ばして椅子に座り、上品な感じで手に持っていた弁当箱を机の上に置く。なんか、動作が全部綺麗。
ていうかなんで青柳さんはここにいるんだろう。いつのまに現れたんだろう。
「青柳さん……なんでここに?」
私は思わず彼女に聞いてしまった。すると、青柳さんは少し恥ずかしそうに笑いながら──
「あはは……いつもはみゆちゃんと食べてるんだけど、ハッピーが何かやらかしてそれに巻き込まれてね、お昼忙しいんだって。一人で食べるのは寂しいな……って思ってカレンちゃんとハルカちゃんとお昼しようかなって」
「へえ……」
意外だった。みゆちゃんと毎日一緒に食べているのはなんとなく察していたけど、みゆちゃんがいない時に選ぶのがクラスメイトじゃなくて私だなんて、本当に意外。
もしかしたらハルカお目当てだったのかもだけど。
「そういえばハルカちゃんは?」
「あー……今日はアレがやばくて学校来れないみたい」
「うわぁ……お見舞いメッセージ送っておこうかな」
スマホをポケットから取り出し、片手でいじり始める青柳さん。
慣れた手つきで、ながらスマホをしながら食事を進めている。
その姿が私には意外だった。どっちかというと、ながらスマホをしている人を叱るイメージだったんだけど。
「よしと……」
満足したのか、にこやかな笑みを浮かべながらスマホをしまう青柳さん。
多分ハルカと話していたんだろうけど、どんな話したんだろう。
「あれ? カレンちゃん食べないの?」
と、青柳さんが首を傾げながら尋ねてきた。
「うえ!? あ、いや……食べる食べる」
私は慌てて箸を動かす。青柳さんをずっと見ていたってバレたらなんとなく恥ずかしいから、誤魔化しながら急ぐ。
箸を構え、唐揚げ目掛け、最速で最短で真っ直ぐに一直線にッ──
「しま……ッ!?」
勢いをつけすぎた。唐揚げを手に取った瞬間、茶色く輝くそれは、空へと放り投げられた。
くるくると回転しながら、ゆっくりと埃だらけの汚い地面へと落ちていく唐揚げ。
全てがスローモーションに感じる。唐揚げの落ちるスピードも、私が伸ばす手も。
(もうダメ……!)
落ちてしまう。唐揚げ様が、食べられなくなってしまう。
大問題だ。心の大問題。もし唐揚げが食べられなかったら、午後の体育で使うエネルギーを誰が作ってくれると言うんだ。
ダメだ。余計なことを考えるな。全力で行けばまだ、全速力で行けばまだ、間に合うはず。
「よっ……!」
その瞬間、私の目の前を何かが物凄いスピードで通り去った。
それは青柳さんの箸。ガッチリと、バッチリと、唐揚げを掴んでいる。
恐ろしく速い箸捌き。私じゃなかったら見逃していたかもしれない。
「全くもう……慌てすぎだよカレンちゃん」
呆れ気味にため息をつきながら、唐揚げを持った箸を左右に振る青柳さん。
私は俯きながら、小さくごめんなさいと言った。
「しょうがないなぁ……ほら、あーん」
「……ふぇ?」
優しく微笑みながら、唐揚げを持った箸を私の口元に差し出してくる青柳さん。御手稲に、唐揚げが落ちても大丈夫なように下に手を添えている。
「え……と?」
「ん? ほらほら、恥ずかしががらないで?」
笑みを浮かべながら首を傾げる青柳さん。私はそんな彼女からつい、目を逸らしてしまう。恥ずかしくて。
(な……なんばしよ……!?)
羞恥心で全身が熱くなっていく。頬が赤く染まっているのを感じる。
こんなクラスのみんながいるところで、まるで恋人のようにあーんをするだなんて、メンタルが強いにも程がある。
けれど、私はそんな彼女が醸し出す包容力に逆らえずにいた。
チラッと青柳さんを見てから、私はゆっくりと口を開く。
「ほい!」
軽快な声と共に、優しく口に入ってくる唐揚げ。
いつものメーカーのいつもの冷凍食品だから味は変わらないはずなのに、何故か普段の数倍、数十倍美味しく感じた。
「おいしい?」
青柳さんがじっと見つめながら聞いてくる。私はそれに、無言で頷き応える。
すると、彼女も無言で、ニコニコしながら私の頭を撫でてきた。
「じゃあね……次はこれかな?」
青柳さんは自分の弁当箱の上で迷い箸をし始めた。数秒経って、彼女は唐揚げを取った。
「今度はうちの唐揚げ。はい、あーん……」
「……あ……ん……」
もう恥ずかしさとか、照れ臭さは感じなくなっていた。
ただただ差し出されるものを、私は素直に受け取るようになっていた。
「……どう? おいしい?」
「……おいしい」
「そう? よかった……じゃあ次はね……」
(まだ続くの……)
次々に差し出される食べ物。私はそれを何も言わず、素直に受け取っていく。
自然と身を任せてしまう。彼女のあーんに、青柳さんの甘やかしに。
「ふふ……なんか恋人みたいだね、カレンちゃん」
「ふ……ぇ……!?」
照れくさそうに、恥ずかしいことを青柳さんが言う。
私もなんとなくそう思っていたけど、相手側から言われると、余計意識してしまう。
胸が高鳴っている。バカ、変に意識するな私。青柳さんのは発言はジョークの一種に決まっている。
「付き合ったら毎日こんなことしちゃったりして……なんてね」
頬を赤く染めながら、ニコッと笑う青柳さん。そんな彼女の笑顔に、私は思わずキュンっとなった。
普段の包容力とは少し違う、初々しいカップルのような反応。ギャップの暴力。青柳さんのような美人にそれをされると、正直困る。
頭がクラッとする。トキメキが抑えられない感覚。
「あれ? じゃあ私、瑠璃お姉ちゃんと付き合ってるの?」
「あ、みゆちゃん。いつの間に?」
「今さっきだよ!」
「……ハッ!?」
突然現れたみゆの声で、私は我に帰った。
アホくさい。バカみたい。一体全体何を考えているんだ私は。
「もうすぐ昼休み終わるから帰ろ! 瑠璃お姉ちゃん!」
「うん……じゃあまた放課後ね、カレンちゃん」
何故か私の頭を撫で撫でしながら、にっこりと微笑んで、青柳さんは席を立つ。
「あ……うん……」
いつの間にか空になっていた弁当箱を手に持ち、みゆと手を繋ぎながら、青柳さんたちは歩き始める。
手をみゆと一緒に、私に向けて振りながら、彼女は自分の教室へと帰っていった。
「……はあ」
なんていうか、みゆが来てくれてよかった。
あのままもっと甘やかされていたら、私は多分青柳さんのことを瑠璃お姉ちゃんと呼んでいた。
まるで、みゆのように。
「……ったく」
自分のバカさ加減にため息をつく。アホか、同級生の女の子をお姉ちゃん呼びするだなんて。
あ、それだとみゆがバカってことになっちゃうか。訂正、私だけがアホ。
(……どうせならお姉ちゃんって言うよりは、青柳さんの言った通り恋人──)
と、またアホなことを考えそうになっている自分を戒めるために、私は首を左右にぶんぶん振って思考を掻き消す。
落ち着こう。とりあえず、落ち着こう。
──落ち着いた。
まだほんの少しだけ、心臓がドキドキと鳴っているけれど。
「なんか私とシチュエーションかぶってません……?」
「……アムルちゃん、いつのまに?」
「今さっきです……一緒にお昼したかったです……」




