みゆさえいればいい。 ①
五時間目が終わった。私はそれと同時にやる気なさげにため息をつく。
今日の古語は地獄だった。だいぶ前に習った意味わからんルールの読み方を使えとか言われて頭が混乱しそうだった。
数学みたいなものだよね。なんかよくわからんルール使って文を読めって。わけわかんない公式使って式を解けって言われてるようなもん。
違うかな、違うかも。どうでもいいや。
「……ん?」
ふと、教室の扉の前で小さな女の子が立っているのが見えた。
見覚えのある女の子。薄幸みゆだった。
扉の前で、小動物のような弱いですよオーラを出しながら、キョロキョロと教室を見回している。
(……あ、目が合った)
じっと、みゆが見つめてくる。
じっと。
じっと、じっと。
じっと、じっと、じっと──
(……もしかして私、呼ばれてる?)
とりあえず立ち上がってみる。すると、みゆはパアッと効果音つきで笑顔を浮かべた。
当たりだったらしい。私はほんの少し早歩きで彼女の元へと向かう。
(珍しいな……みゆちゃんが来るなんて)
「カ、カレンちゃん……ごめんね、急に呼び出して」
彼女の元へ辿り着くと、申し訳なさそうに俯きながら、私に謝ってきた。
別に気にしなくてもいいのに。
「えっとね……その、国語の教科書って次使う?」
「ん? いや……」
「じゃあじゃあ……良かったらなんだけど貸してくれないかな? あはは……私忘れちゃって……」
照れくさそうに、変わらず俯きながら言うみゆ。
なんだ、そう言うことか。真面目な子なのに珍しい。
「じゃあ取って来るよ。ちょっと待ってて」
「ありがと、カレンちゃん……」
ニコッと笑うみゆ。私はそれと同時に彼女に背を向け、自分の席へと向かう。
椅子には座らず、中腰になって机の中を漁る。
(えと……現代文と古文どっちだ? ていうかなんか三、四冊あるんだけど……ええと……これがこっちであれが……面倒くさっ!)
とりあえず私は全部持っていくことにした。厳選して間違えるより、正解と間違い両方持って行った方がいいに決まってる。
なるべく早足で、急いでいない風を装いながら、私はみゆの元へと戻る。
教室のドアの近くにいたのに姿が見えない。廊下にいるのかな? と思いながら私は教室を出た。
「あ……」
廊下を出てすぐ右に、壁に背をもたれさせているみゆが居た。
私に気づくと、つまんなそうにしていた彼女の顔が輝き、笑顔を浮かべる。
すぐに彼女の元へと向かい、私は教科書を差し出した。
「はいこれ。国語の……」
「あはは……お手数かけます。ありがとう、カレンちゃん」
丁寧にそれを受け取るみゆ。言葉遣いも丁寧な感じだ。
なんでこんな子がハッピーと姉妹なんだろう。いくらなんでも似てなさすぎじゃないかな。
「えへへ……助かっちゃった」
ぎゅっと私の渡した教科書を抱きしめ、みゆは上目遣いで私を見てくる。
その姿に私は思わずキュンっとしてしまった。同学年の子なのに自分と比べて幼く見えるみゆ。そんな子が可愛いムーブをするのは破壊力抜群だった。
なんかこう、つい頭を撫でたくなるような。もっと甘やかしたくなるような。そんな末っ子オーラを彼女は常に身に纏っている。気がする。
「あ……カレンちゃん。まだ時間あるよね? ちょっとお話していかない?」
私の制服の裾を引っ張りながら、じっと見つめながら、そう呟くみゆ。
断れなかった。断りたくなかった。断れるはずがなかった。
わざとやっているのか天然なのか定かではないが、この子はちょっとあざとすぎる。
そんなことを考えていて、何も答えない私をみゆが心配そうに見つめてきた。少し目が潤んできている、気がする。
私は急いで頷く。すると、みゆは一瞬で笑顔を取り戻してくれた。
そして、彼女は制服の裾を手放してから歩き始めた。私はそれについて行く。
「えへへ……カレンちゃんと一緒にいると、瑠璃お姉ちゃんの次に安心する……」
「そ……そう?」
実姉のハッピーはどうなんだろう? と思ったがなんとなく察した。
「うん……そうだよ。ハルカちゃんもハッピーもアムルちゃんも……ちょっとうるさすぎるもん」
「あー……ね……」
小馬鹿にするように言うみゆ。思い当たる節が多すぎる。
「ねえねえ……カレンちゃん。もしよかったらなんだけどね……」
少し早く歩き、私を追い越してから、スカートをふわりと揺らしながら、くるっと振り向くみゆ。
少し前屈みのような姿勢になってから、手を後ろで組みながら、片足をちょっと上げて、上目遣いで私を見つめてくる。
「カレンお姉ちゃん……って、呼んでもいいかな」
頬をかすかに赤く染めながら、首をほんの少しだけ傾げ、彼女はそう言った。
「へ……?」
突然のシチュエーションに、頭が真っ白になる。
「ダメ……かな?」
「ちょ……ちょっと待ってね……」
彼女は私になんて言った? お姉ちゃんと呼んでもいい? と聞いたのか?
聞いてきた。確かにそう聞いてきた。ものすごくあざとくそう聞いてきた。
私の中の知らない私が危険信号を伝えてくる。
──いいのカレン? 同級生の女の子にお姉ちゃんと呼ばせるなんて、とんだ変態プレイだよ? 姉妹プレイを校内で行うなんてド変態すぎるよ。
もう一人、私が出てきて私に囁く。
──こんなに可愛い子にお姉ちゃんって呼んでもらえるなんてアンビリーバボー! 優等生そのものである青柳さんがやってるんだからさ! 私もやってもよくない?
──でも普通に変態だよ?
──いいじゃん別に。人間なんてみんな何かしらの変態だよ。
──だけど他の人に見られたら恥ずかしくない?
──じゃあさ! みゆちゃんのお願い断って泣かせてもいいの?
(ぐわ……頭の中の私たちうるさい……!)
頭が沸騰しそうになる。突然すぎるシチュと、それに対する羞恥心で。
私はみゆを一瞥する。彼女は変わらず私をじっと見つめていた。
小さくも力強い目で、口をきゅっと閉じて、私の答えを待っている。
私はそんな彼女を見て、じっと見て、チラッと見て──
「い……いいよ。お姉ちゃんって呼んでも……」
声を振り絞って私は言う。するとみゆは満面の笑みを浮かべながら、優しくふわっと私に抱きついてきた。
「えへへ……! 嬉しいです……! じゃあ今日からカレンお姉ちゃんって呼びますね……!」
そう言って、一瞬だけ強く抱きつくと、みゆはすぐに私から離れた。
そして、私の貸してあげた教科書を私に見せながら──
「改めて教科書、ありがとうございました! カレン……お姉ちゃん!」
と、言いながらニコッと笑い、私に背を向け自分の教室へと戻って行った。
「……カレンお姉ちゃん、ね」
そう呼ばれた時、不覚にもドキっとしてしまった。
なんて言うか、以前よりもみゆが可愛く見えた。妹がいたら、あんな感じなのかな?
変にドキドキする。なんか、友達よりも深い関係になってしまった。そんな気がする。
「ズルいです……! 私だってお姉ちゃんって呼ばれたことないのにズルいですカレンちゃん……!」
「……ハッピーちゃん、いつの間に?」
「今さっきです!」