黎明記~戦国の章~⑨
薄暗い廊下をひとり、姫の部屋へと向かった。
今宵は珍しいくらいに人の気配がない。
目的の部屋からはうっすらと灯りが洩れている。
微かに声も聞こえるようだ。
『夜分遅くに失礼する』
静かに声をかけると、初老の乳母が襖を開けた。
『どうぞ』
彼女に拒否権はないのだ。
輿入れに付いてきた乳母は目を伏せたまま退室し、私と姫だけが残された。
『なにかございましたか?』
『いや、話をしたいと思ってな』
『お忙しくされていると聞いておりますので、ご無理はなさいませんよう』
…この忙しい、は軍議ではなく小姓とのことを指すのだろうか…。
無言の時間が痛い。
こんな時、爺やあいつならさらりと会話を繋げるだろうに。
襖の外に気配を感じ、直後に声が掛けられた。
『姫様』
酒を用意してくれた乳母はそのまま下がるようだ。
『まずは一献、如何でしょうか』
姫に勧められ、盃を受ける。
辛口の酒が喉を通っていく。
『可愛げのない女でございましょう?』
小さな唇が言葉を紡いだ。
『それを言うなら、私の方こそ。兄に輿入れしたのに、別の男と子を成せと言われて…誠にすまない』
以前は言えなかった言葉を伝える。
『縁談を受けた時点で伝えるべきであった』
『こちら側にも非がありますゆえ』
彼女は、感情を出さないまま、淡々と自らの身の上話を始めた。
幼少期の病のせいで、子が成せない可能性があり、輿入れは絶望的であったらしい。
母の遠縁ということで、今川に縁談を持ちかけられ、父親はすぐに返事をしたそうだ。
母親は幼少期に儚くなり、乳母が本当に母親代わりだったらしい。
『感情の起伏も乏しく、器量の悪い人形のような女だと言われてきましたゆえ、武家の嫁が務まるとは思っておりません』
公家の娘が武家に嫁ぐのは厳しいだろう。
母のように野心家もいるだろうが…。
『形だけの嫁で構いませぬ。ご遠慮なさらず側室をお迎えください』
きっぱりと言われた。
『そのつもりはない。私も器用なほうではないのでな』
そう伝える。
『共寝は許されるか?』
彼女は静かに目を伏せ、私はその小さな身体を抱き寄せて寝所に向かった。




