黎明記~戦国の章~②
月日は過ぎ、私は兄の代わりに作戦会議や、小さな戦に出るようになった。
幸いなことに、兄とはよく似ていたので、外部の人間からすれば、私の姿は、兄として写っていただろう。
要するに、兄の替え玉というか、影武者として私は公の場に出ることが増えていた。
作戦会議や戦に出た後は、逐一父や兄に報告に上がっていた。
その際、母を見かることもあったが、母から視線が返されることはなかった。
公家の出である母は、上品で戦とは無縁な女性に見えた。
長い髪がたいそう美しく、豪奢な衣装を纏った姿に見惚れていた。
まだ若い母の姿を知らずに目で追うようになっていたのは、いつからだっただろう。
そう、私はあろうことか、実の母親に懸想していたのだ。
絶対にあってはいけないことなのにだ。
父から『かつら』と呼ばれていた母の本当の名前は誰も知らないようで、彼女は屋敷では『奥方様』と呼ばれていた。
月日は流れ、大永五年。
兄と私は元服する歳になっていた。
兄は氏輝という名前を賜った。
私は兄の影武者なので、元服しても自分の名は持てない。
彦五郎、または兄の氏輝という名で呼ばれるのだ。
体調を崩すことが多かった父は、起き上がることができない日々が増えてきたように思う。
ある日、私は父の枕元に呼ばれた。
『おまえには酷なことをするが、許して欲しい。兄の代わりに戦に出、兄とともに今川を守って欲しい』
苦しい息の下で、そう言われて断ることはできなかった。
『ご安心ください、父上。私が兄上の代わりに戦場に赴き、兄上とともに今川を、母上をお守りいたします』
『頼んだ。…済まない、彦五郎』
兄と私には、他にもきょうだいがある。
少し下に女子と、7つ下の弟だ。
女子は離れで養育されているが、弟は家督争いの火種にならぬように…と仏門に入ったため、私たちが会うことは叶わない。
父が崩御したのは、翌年。
大永6年の水無月の頃だった。
病に冒された父は、母に抱かれ、その膝で静かに息を引き取った。
私たちはまだ14の子どもだ。
家督を継いでもなにもできない…。
そんな不安はすぐに解消されることとなる。
父の葬儀のあと、兄が家督を継いだ。
髪をおろして尼となった母が、兄の補佐に回ったのだ。
父に『かつら』と呼ばれていた母は、それ以降、『瑞光院寿桂尼』と名乗ることとなる。
髪をおろしても、美しさは変わることなく、妖しい魅力がさらに加わった。
豪奢な衣装を脱ぎ、尼僧となったことで、俗世からは隔離されたように見えたが、その瞳はまだ死んではいなかった。
私は今まで以上に、母に恋焦がれていくのだった。
いくら焦がれても叶わない恋心はいつしか歪みをも生んでいく。
母親からの愛情をいっさい受けることなく成長した私は、母に恋をして、彼女にも愛して欲しいと考えるようになっていた。




