黎明記~砂漠の章~③
私は特に宝石には興味がなかった。
『部屋に戻るわね』
踵を返して、自室の方へと歩きだす。
『お待ちください、皇女さま』
侍女が追いかけてくる。
『大丈夫よ。少し庭を散歩して戻るから、お前は昼食を貰ってきてちょうだい』
『かしこまりました』
侍女を厨房に向かわせ、私は季節の花が咲き誇る庭を目指す。
庭師が愛情込めて世話をした、いくつもの花が咲いている。
入浴後の散策が、私の癒しの時間だ。
庭に向かうと、ハレムを囲っている壁の一部が崩れていた。
いつの間に崩れたのだろうか。
…外の世界はどんなところなのだろう。
生まれてから今まで、ハレムの外に出たことはない。
父親の命令で嫁ぐ日まで、私たち妃の娘はハレムから出ることは許されないのだ。
壁の向こうには一面砂に覆われた、茶色い世界が広がっていた。
ふと視線を感じてそちらに顔を向ける。
崩れた壁の外側、そこには私と同じぐらいの年代だろうか、男の子供が立っていた。
『そこのお前』
私の呼び掛けに、彼は弾かれたように背筋を伸ばす。
『失礼いたしました!皇女さま』
白くゆったりした布を頭に巻いている。ここらではあまり見かけない男の格好のようだ。
『そこでなにをしているの?ここがどこだかわからない訳ではないのでしょう?』
私の言葉に、彼は目を伏せた。
本来、女性から男性に声をかけることはない。
しかし、身分が高い女性が身分の低い男性に声をかけることは許されている。
皇女さま、と呼ばれ目を伏せた、ということは、彼の方が身分が低いということだ。
高貴な人物を凝視するのは、失礼に当たる。
…そんなことがなくても、ハレムの中を覗き込んでいる男がいれば、不審者だと思い、声をかけるだろう。
『答えなさい』
『私は本日、行商に参りました一座の下男をしています』
どうやら商人の付き人らしい。
『お前は入って来なかったの?』
彼は目を伏せ、頭を低くしたまま頷いた。
『はい。私はまだ見習いでございます。皇妃さまやお妃さまがたに失礼があってはいけませんので、外で待つように言われました』
男をたくさんハレムに入れるわけにはいかないので、外で待機しているらしい。
『まだしばらくかかりそうだわ』
先ほどの場面を思い出して、私は息を吐いた。
母をはじめ、妃たちは宝石が好きだ。
あれはかなり時間がかかるだろう。
『少しお話に付き合ってちょうだい』
『かしこまりました』
私は壁の側に腰を降ろした。
彼とは一定の距離をおいて。
『どこから来たの?』
『この砂漠を越えた、小さな集落から参りました。こちらのハレムには数回寄らせていただいています』
砂漠の向こうにも人が住んでいるのか。
砂漠の大きさはどれ程なのか。
外の世界の生活はどのようなものか。
私は彼にいくつも尋ねた。
ひとつひとつ、丁寧に説明が返ってくる。
それは、私が知らない世界の情報だった。
『いつまでこのハレムには通うの?』
『今回は5日程になるかと思います』
旅の商人がハレムに滞在することは許されない。
何日間か、ハレムの外の近くのオアシスに天幕を張り、そこで寝泊まりするそうだ。
話しているうちに、鐘がひとつ鳴らされた。
昼食の時間だ。
そろそろ行かなくてはいけない。
『明日も楽しい話を聞かせてちょうだい』
『ありがとうございます』
私は彼と別れて、自室に向かった。




