現実を目の当たりにする
<side甘味処店主>
「店長、先日『カフェ・オープスト』にあのルーディー王子が行かれたのを知ってますか?」
「よくは知らないが、騒ぎになっていたようだな。甘いものしかおいていないあの店に王子が行かれるとはなんともお珍しい」
「それが、婚約者の可愛らしいお方とご一緒だったらしいですよ」
「ああ、なるほど。甘いものが苦手なルーディー王子が行かれたのはそのためか」
ルーディー王子の婚約者となるお方が誕生なさったというのは、ルーディー王子の世話役をなさっているフィデリオさまがこの店にお越しになった時に世間話で伺っていた。
獣人であるルーディー王子にはその番となるウサギ族のお方がお生まれになるのだが、今回はヴォルフ公爵家のお方からご誕生なさったということでフィデリオさまもお喜びになっていた。
とはいえ、フィデリオさまもまだ婚約者のお方のお顔は拝見していないらしい。
早くお披露目を終えてお会いしたいものだと何度も伺っていたが、婚約者のお方を連れて外出をなさったということは無事にお披露目会を済まされたということなのだろう。
フィデリオさまもお喜びのことだろうな。
「婚約者のお方が甘いものを食べておられるのをルーディー王子は隣で見ていらしたのか?」
「それがっ! すごいんですっ!!」
「何がすごいんだ?」
「それが、その婚約者のお方がどんなわがままを仰っても、ルーディー王子が全て聞き入れて差し上げて、あの店のショーケースに飾られていたものもそのお方のために全種類頼まれて、一つ残らず召し上がっていかれたらしいですよ」
「まさかっ! そんなことが?」
信じられないっ。
あのルーディー王子が?
「でしょう? 私もその話聞いて冗談かと思いましたよ。でも、私の友人がたまたまルーディー王子と婚約者のお方が来られたときに店にいて、全部聞いていたんで間違い無いですよ」
「その友人はなんと言っていたんだ?」
「最初、護衛の騎士の方が走って店に入って来られて、今から王子と婚約者のお方がお越しになるから個室を用意するようにと指示されていたそうです。それからしばらく経って、お二人が店の外で店主と少し話をしていたら、突然店主さんが地面に崩れ落ちたそうなんです」
「地面に? どうして?」
「友人もその時はどうしてそんなことになっているのかわからなかったみたいなんですけど、そのあとすぐにお二人が店内に入って来られて、理由がわかったと言ってました」
「なぜだ?」
「王子の腕に抱かれた婚約者さまが真っ白なウサギ耳だったんです」
「真っ白? まさか……」
「本当ですよ。それかピクピクと動いていてあまりの可愛さに店内から音が消えたって言ってました。みんなその可愛い婚約者のお方に釘付けになっていたんですって。それからはずっとみんながお二人の動向を見続けていたんですけど、個室に入ろうとする王子を遮ってショーケースが見たいと駄々をこねる婚約者さまに優しく声をかけたり、婚約者さまも王子を大好きだと言って抱きついたり……それはもう甘々などこからどう見ても愛し合うカップルそのもので見ているだけで癒されたって言ってましたよ。ああ、羨ましい……っ、私も同じ空間にいたかったです」
彼女の話していることが現実の話だと到底思えない。
それくらい信じがたい出来事だ。
だが、それからすぐに私は驚愕の現実を目の当たりにすることになった。
王室御用達の我が店の甘味は老舗と呼ばれるだけあって時期を問わず人気はあるが、正直言って先ほどの『カフェ・オープスト』のような華やかさもなく、店内に食べる場所もあるが人が入りきれないほど行列ができるというわけでもない。
王家から定期的に入る注文がうちの重要な収入源となっている。
昼を過ぎ、そろそろスイーツの時間が近づいてきた。
これから1時間もすれば、客の入りの少ないうちの中でも忙しくなる時間がやってくる。
さぁ、気合いを入れないと!
忙しくなる前に他の従業員を休憩に回し、私は一人で店を守っていた。
すると、突然店の前に大きな馬車が停まった。
あれはヴォルフ公爵家の紋章。
しかもあの馬車で来られたということは使用人の買い物ではない。
公爵家のお方が来られたということだ。
一気に緊張しながらその様子を見つめていると、馬車の御者席から飛び降りてきた騎士さまが店内に駆け入ってきた。
「失礼する」
「これはこれは騎士さま。何かご入用でございますか?」
「店主。悪いが、今からこちらにルーディー王子とその婚約者であらせられるヴォルフ公爵家のご次男・アズールさまが御出でになる。店主に対応を頼みたい」
「ルーディー王子と婚約者さまが、こちらに来られるのですか?」
「ああ。詳しく話す時間がない。すぐに来られるから対応をしてくれ」
そういうとすぐに騎士さまは店から出て行かれ、お二人と共に戻って来られた。
と言っても、こちらから拝見できるのはルーディー王子だけだ。
ルーディー王子の服の中から長く真っ白な耳が出ているのだけは確認できる。
ルーディー王子の上着の中におられるのが婚約者さま……。
どんなお顔をなさっているのだろう……。
みたい、みたい!
その欲求は増すばかりだが、残念なことに緊張で足が震えて動かない。
お二人に近づくこともできないまま、少し離れた場所でお二人の様子を窺う。
「店主。声をかけられるまで、このままお二人に近づいてはならぬ。良いな」
「えっ、は、はい。承知しました」
離れた場所からお二人の様子を窺っていると、楽しそうに選んでいるのが見える。
王子の上着から顔を出した婚約者さまは天使のように可愛らしい。
これはあの店で騒ぎになるはずだ。
あれほどまでに可愛らしいとは夢にも思っていなかった。
だが、なんと言っても私は王室御用達の店の店主。
決して騒いだりはしない。
お二人がこれからも安心してお買い物いただけるように、私は石となり決して騒がないと心に誓おう。
そう自分に言い聞かせていると、騎士さまがお二人が注文なさったものを私の元に持って来られた。
それを綺麗に箱詰めして、騎士さまに手渡そうとすると先ほどまで少し離れた場所にいらっしゃったお二人が私のすぐ近くにまで来られていた。
あまりのこと緊張を隠せないまま、努めて冷静を装いながら箱詰めにした菓子を王子に手渡すと、婚約者さまが
「あいあと」
と私だけに特別な笑顔を見せてくださったのだ。
その笑顔を見た瞬間、身体から全ての力が抜け、私はその場に崩れ落ちた。
「わっ! まちゃ、ちゃおれちゃ」
天使のような声をかけてくださった婚約者さまが驚きの声をあげている。
きっと私のことを心配してくださっているのだ。
本当にお優しい。
私は必死に足に力を入れ、大丈夫なところを見せようとしたのだが……
「アズール、心配はいらないよ。ここではあれが普通なんだ」
と王子のすげない言葉が返ってきた。
そして、そのまま店を出て行かれた。
騎士さまが料金を支払って店を出て行かれ、店の中には一気に私だけになった。
しんと静まり返った店の中で私はまだ崩れ落ちたままだ。
――ここではあれが普通
確かに、婚約者さまのあのお声と笑顔を拝見したら誰しも崩れ落ちることだろう。
だからこそ、王子はそのように婚約者さまに説明なさったのだろう。
あの『カフェ・オープスト』の店主が崩れ落ちたのも今なら納得できる。
きっと今の私の気持ちを理解してくれるのはあの店の店主だけだ。
動けるようになったら話をしに行ってみようか。
きっと通じ合うところがあるかもしれない。
次に来られるときは崩れ落ちないように気合いを入れよう。
それでも難しいかもしれないが……。