楽しみな時間
<sideアズール>
「ほら、アズール。おっぱいの時間よ」
僕は軽々と抱き上げられ、お母さまに優しく抱っこされる。
ふわっと甘いミルクの匂いに一気にお腹が空いてくる。
この世界に生まれてから一週間。
初めてお母さまにおっぱいを飲ませてもらうことになった時はどうしていいかわからなかった。
十八歳で死んでしまった蒼央としての記憶があるから今更おっぱいを飲むということに恥ずかしさがあるという理由もあるけれど、何より僕はお母さんのおっぱいを飲んだことがない。
赤ちゃんの頃の記憶はもちろん残っていないけれど、僕は栄養もなかなか取れず最初から哺乳瓶だと師長さんから聞いていたし、その後もかなり長い間、哺乳瓶から栄養をとっていたから自分でもそれは覚えてる。
だから、おっぱいからの直飲みに戸惑っていた。
だけど最初の日……
「ほら、アズール。パクッと口を開けてね」
優しく乳首で唇をツンツンと当てられて、条件反射のようにパクッと口を開けてしまったんだ。
ちゅっと吸い付くと甘くて美味しいミルクが出てくるとわかると、戸惑いなんてどこに行ったのかと思うくらい無心になって吸い続けた。
それからというもの、このおっぱいの時間が楽しみでたまらない。
「ふふっ。アズール、いい子ね。いっぱい飲んで大きくなるのよ」
僕がたくさん飲んでも怒られない。
飲んだまま寝ちゃっても優しく抱っこしてくれる。
それが嬉しくて今日もたっぷり飲んだら、途端に眠くなってきた。
うとうとしていると、お母さまの優しい声が耳に入ってくる。
「ふふっ。アズールったらまた咥えたまま寝ちゃってる」
「アリーシャ、私が抱っこを代わろう」
「はい。あなた、ありがとうございます。でも……この子、飲み始めるとすぐに眠ってしまうのですよ。クレイはいつも空っぽにしてしまうほど飲み干していたのに。もしかしたら、身体が弱いのではないかと心配で……」
えっ……。
僕……この世界でも身体が弱いのかな……。
またお母さまたちに迷惑かけちゃうのかな……。
こんなに優しいお父さまとお母さまに嫌な思いをさせちゃうなんて……。
――あんたなんか、ほんと産まなきゃよかった!
この優しいお母さまにもそんなこと言われたりしちゃう?
急に不安が押し寄せてきて、
「ふえーん、ふえーん」
と泣き声を上げると、お父さまは僕を優しくあやしながらお母さまをギュッと抱きしめた。
「大丈夫、抱っこしただけでこの子が着実に大きくなっているのがわかるよ。アリーシャがいつもアズールに栄養のあるミルクを飲ませてあげているおかげだ。だから、不安にならないでいい。アリーシャが頑張ってくれているのは私が一番わかっている。アズールは大きくなっているよ。なぁ、アズール」
「ばぶっ、ばぶっ」
少し涙目になっていたお母さまに喜んでもらいたくて僕はお母さまに手を伸ばしながら笑顔を見せた。
「ほら、アリーシャ。見てごらん。アズールはアリーシャに笑って欲しいと言ってるぞ」
「ああ、アズールっ! 心配させてごめんなさいね」
お父さまの腕に抱かれた僕を抱きしめてくれるお母さまの温もりが嬉しい。
「なぁ、アリーシャ。アズールはたった一週間で表情も豊かになった。健やかに育ってくれている証拠だよ。身体の大きさなど気にすることはないさ。なんといってもこの子はウサギなのだからな。もし、本当に身体が弱かったとしても私たちがアズールを守ってあげればいいだけのことだ」
「そう、ですね……。クレイの時とは随分勝手が違うものですから心配になっていたのですが、狼とウサギでは大きさも違いますからね」
「ああ、そうだとも。アズールはアズール。クレイはクレイ。どちらも大切な我が家の息子たちだ。この子は小さくてもしっかりと育つはずさ。なんと言っても王子の番として生まれてきたのだから……」
王子、さまの……つがい?
どういう意味だろう?
「ふふっ。あなた。あんなにアズールを嫁にやるのが嫌だと仰っていたのに、もう王子の番だと認めていらっしゃるのね」
「――っ、仕方がないだろう。嫌でももう決まってしまっていることだからな」
「そうですね。あ、そういえば、その王子さまがアズールに会いに何度も来てくださっているとか?」
「アリーシャ、なぜそのことを?」
「クレイがアズールに会いに来た時に話していたんですよ。まだ僕だけのアズールでいて欲しいから、王子には会わせないんだって。クレイもわかっているのでしょうね。運命と出会ってしまった狼がどうなってしまうか……」
「そうだな。特に王子は狼としての特性が強いから余計だろう。ただ王子としてもアズールに会うのは悩んでいるところもあるそうだぞ」
「悩んでる? なぜですか?」
「アズールを怖がらせたくないらしい。だが、本能として会いたい気持ちも抑えられず、来ては帰っていくのを繰り返しているそうだ」
「ふふっ。あの王子が……。可愛いところがあるのですね」
「まぁ、近いうちに一度は会わせなくてはな。お互いに運命だと感じるか、確認しないとならないからな」
「はい。そうですね」
「アズール、運命に出会ってもお前を一番愛しているのは父の私だと忘れてはならぬぞ」
「ふふっ。あなたったら」
僕はいつの間にかお父さまの腕の中でぐっすり眠り込んでいた。
夢の中で、運命の相手だという狼さんに抱きしめられたけれど、顔までは見えなかった。
みんなが話している王子さまってどんな人なんだろうな。