醜人
クリミハイルは白い息を伴ったため息を吐く。原因は二つ。まだ九月だというのに雪が降ってきたこと。ハーデル・ロンバルトは新大陸でも標高が高い地域で、まだ九月の下旬だというのに厚着をしてもストーブが欲しい。二つ目は、フォンフィールが帰って来ないこと。前々から怪しいと個人的に思っていたが、姿を消してしまわれてはどうしようもない。
彼にできることはただ待つだけ。ハーデル・ロンバートは約一ヶ月後に撤退し放棄される予定だ。それまで彼は帝国で唯一の機甲師団について行く。カリン隊長は『道化』は気まぐれでいつやってくるかわからないと言っていた。一ヶ月間何事もないといいけど…
そんなことはない。と思い、彼は再びため息を吐く。それだけではない。フォンフィールの失踪で将校たちが不機嫌になりピリピリしている。ここには僕の居場所はない。
「やあ、元気かい?まあ、その様子だと答えはノーかな?コーヒーでも飲むかい?あ、眠いわけじゃないんだよね。いや、どうしたものかなー。」
彼はギールカさん。整備士をやっていて、気さくな性格なので仲良くさせてもらっている。コーヒー好きでよく徹夜しているので早死にしないか心配だ。
「お気になさらず。ギールカさんは相変わらずですね。今日は雪も降ってきたので寒さに耐えれるように厚着にしたらどうですか?」
「そうだね。気をつけるよ。クリミハイルも本格的に雪が降る前に、室内に戻った方がいいんじゃないかい?」
「ええ。そうさせてもらいます。」
短い会話を交わし、室内に戻ると、廊下を歩いていると人が異様に少ないことに気がつく。何かが変。クリミハイルはそう直感した。不思議に思いあたりを見回すと同時に火薬の匂いが鼻をさす。そしてクリミハイルがそれを異常と感じるのと同時に部屋が爆ぜた。正確には建物ごとだが。
クリミハイルは慌てることなくそっと掌に魔力を籠める。腕につけられた装具から赤い粒子が形を成し、槍の形を成す。その槍は炎を纏い『魔女』の遣いのようで、一見するとこの惨状はクリミハイルによって起こされたものだと思えてしまうほどに勢いよく燃え盛る。
犯人は現場に必ず戻ってくる。やはりこの言葉は聞くより実践してもらった方が実感しやすい。今回も戻ってきた。ギールカさん改め、『道化』が。
「チッ、殺せたと思ったんだげどなあ。やっぱり魔導兵は無駄に硬てぇ。爆薬だけじゃ死なねえか。」
「あなたは途中から様子がずっと変だった。最初と違って君はほとんど寝ていない。だからそのような醜い顔になるんですよ?」
「うるせぇ、俺のコンプレックスをわざわざ指摘するなよ!チビが!」
『道化』が叫びながら見慣れない短刀を勢いよく振りかかってくるが、クリミハイルは冷静に距離をとる。余裕そうな態度をとっているが、彼の適性はC。魔力による身体強化の効果もAのカリンやアレクトと比べると微々たるもので決して頼りになるものではない。だからこそ彼は幼いながらも成熟した精神で感覚に頼らず、彼は論理的に行動する。
「その程度ですか。私が聞いていた話と違いますが、まあこれもうれしい誤算です。とっとと終わらせてしまいましょう。」
カリンに一日指導を受けただけでとは思えない槍捌きを見せるが、『道化』はそれを体を捻じ曲げながら避けていく。一進一退。リーチの長い槍をクリミハイルが使っているのも相まって互角のように見えるがだんだんと、クリミハイルは焦りが、『道化』には余裕が見え始めてきた。
クリミハイルが槍から散る火の粉を見つめて魔力を込める。すると火の粉だったものは膨張して爆ぜて空気が灼ける。短い時間で開発した必殺技だったが…
『道化』は両手と短刀で顔の横を守りながら受け身の姿勢を取る。今までのクリミハイルを甚振るときのような余裕のある表情から一転し、目を見開き、歪んだ口元をさらに歪なものにさせて怒りを露わにしてクリミハイルを睨みつけていた。
「なんだ。でかい態度のくせしてハッタリかよ。小僧、何をそんなにお前を焦らせる?なぜこの俺に恐れずに立ち向かえる?まだ子供ってやつだろう?こっそり逃げちまったって誰も怒りはしなかったはずだ。むしろ、無理やり徴兵された悲劇の子として同情してくれるんじゃねえのか?」
『道化』は純粋に疑問だった。今まで立ち向かってきた者たちは例外なく『道化』を恐れていた。『人間としての残虐性』それを演じていたつもりの彼だったが、どうやらやりすぎていたらしい。彼はしばらくした後気が付いたが、時すでに遅し。彼はそうやってでしか人間に対して意味を成すことができなくなってしまった。
だが彼は目の前に立ち塞がる少年だけは同じ戦場に立つものと見做してくれている気がしてうれしかった。
「くっ、槍が悲鳴を上げているように感じます。やはり僕の魔力ではこれの力を真に引き出せない…!」
クリミハイルは善戦していたが、永い時を生きてきた『道化』と比べると足りないものが多すぎた。だが、どうにかして『道化』にダメージを与えないといけない。それができないまま散ってしまったら犠牲になった人が報われない…!という思いが時間が経つにつれて強くなり、クリミハイルの冷静さを欠いていく。
「喰らえ…!」
気持ち悪い笑みを浮かべて接近戦を仕掛ける『道化』にとうとう我慢の限界になったのか自らの隙を晒すことになりながらも槍で突き刺そうと試みる。
「馬鹿がよ!ザコが!」
隙をついてクランハルトの喉元を突き刺す。クランハルトは痛みに悶えつつも必死に『道化』を振り払おうと槍を力なく動かし、何とか引き抜くことに成功する。
クリミハイルは『道化』との体格差、そして天賦の才、置かれた状況の違いに改めて絶望していた。こちらは、まだ成長期が来たように見えない小さい体で何とか槍を握っている状況。少し戦っただけで実感した。いや実感させられた。己では『道化』の体を貫けないと。
「クソッ、しつけぇ野郎だぜえ。とっととくたばっちまいなよ…!」
『道化』は短刀を思いっきり投げる。それは弧を描きクリミハイルめがけて飛んでいく。
「ぐ、まだまだ行けます…!」
クリミハイルは槍で短刀を弾き返したかと思われたが、不自然な軌道を描き、クリミハイルに突き刺さる。それでも強靭な精神力で負ける肩に突き刺さった短刀を抜き、再び対峙する。
「まじかよ。まだやる気か?」
『道化』はそろそろ倒れるだろうと思っていたクリミハイルが再びこちらを睨んでくるのを目の当たりにしてあまりのしぶとさに戦慄する。
「ええ、まだ引きませんよ…!」
「おいおい、勘弁してくれよ…」
互いに決定打を与えられず、ちまちまと突きあってどのくらい経ったのだろう。三時間ほどだろうか、そのぐらいだといいなと思いながら現実を直視する。クリミハイルの腕は槍が纏う炎に焼かれ形容しようと思えない状態だ。痛みは身体強化のおかげで感じないが本能が警鐘を鳴らし続けている。そして槍がその形を保つために使った魔力も相当で、もう既に半分ほどは使ってしまっただろう。
「僕はもうだめそうですね…『道化』よ!僕とひとつ賭けをしませんか?」
突然話しかけられて『道化』は驚く。何か裏があるのかと思い、一瞬読み解いてみようと思ったが、その真っ直ぐにこちらを見ている様子から、自然と憚られた。
「小僧、話してみな。内容によっちゃ受けてやらんこともない。」
このままとどめを刺してしまえばいいものの、彼は内心乗り気だった。少年のおかげで正々堂々とやらを初めて実感していて、充足感に満たされていてとても心地よかった。そのため、ああは言ったが既に心の中では承諾しているつもりでいた。
「…ありがとうございます。それでは、これから僕は文字の通り命を懸けて貴方に攻撃します。必殺技ってやつです。それに耐えられたらあなたの勝ち、耐えられなかったら僕の勝ちです。いきますよ…!」
「ちょ、ちょっと待てよ!なんでそんなに好戦的なんだよ!?馬鹿じゃねぇのか?」
そんな『道化』の制止を無視して、クリミハイルの持つ槍はますます燃え盛る。本来高度な身体強化を前提として作られたそれは、未熟な少年には到底使いこなせるわけがない。
◆
「いいですか。魔力をながすとこれは槍に変形します。…ほら、このように。出力も優秀でこれなら適性がこの中では低いあなたでも、そこそこの威力を発揮します。ですが一つだけ、注意してもらいたいことがございます。」
クライデさんは一度話すのを止めた。次に発した声は生徒に対し優しく勉強を教えるような態度に少しばかりの同情が感じられ、声も固くなったように感じられます。
「私個人の感情も含んでいますが、死ぬ前にこれにありったけの魔力を使って突撃するなどという愚かな行為を控えてもらいたい。確かにこれは流せば流すほど強くなる。けれどもあなたはまだ、未成年も含めて集められた場だとしても、あまりにも幼すぎる。本来は非戦闘員です。命の危機にさらされていい年齢ではありません。くれぐれもそれを忘れないでください。」
そう言い終わるとブレスレットを僕の手に乗せた。武器庫を出ていくとき、ずっとクライデさんは僕を見ていたのだろうか、背中が少しくすぐったかった。
◆
僕はもうだめそうです。何より魔力の使い過ぎで身体強化をする分の魔力がもうない。言いつけを破ることになるけれど、それでもいい。この状況ですら楽しめる『道化』が羨ましかった。真似をしてみたけれど、あれはやっぱり才能で、あの態度を演じ続けることは常人である僕には、到底できることではなかった。
足に力を入れる。できるだけ踏み込んで…だめだ。身体強化の範囲を絞らないと魔力が足りない。
「ゔっ…」
上半身の身体強化を解除すると、まず手が焼けて、皮膚が槍にくっついてはなれない。次に皮膚が焼けていく。これは上半身すべてに言えることで…いいや、もう考えるのはやめよう。気がおかしくなる。だけどこれでいいはずだ。何かを遺して逝けるならば…
クリミハイルが最後の力を振り絞り放った一撃は、紅い弾丸となって『道化』に必殺の意志となって襲い掛かる。しかしこの世は無情か、もしくは彼の気まぐれか。『道化』はその体をひるがえし、クランハルトの本懐はなされなかった。
「やっべぇ、流石に直撃したら死んじまってたぞ…」
そう言いながら、彼は振り返る。そこには己の魔力で己を燃やし、いまにも息絶えそうな少年が何とか槍を地面に突き刺し、しがみついてなんとか再び立ち上がろうとしているのが目に入ってきた。
『道化』は彼のもとにゆっくりと歩いてゆき、傍にしゃがみ込む。それは『道化』らしく人の絶望した顔が見たいとか最期まで揶揄いに行こうとかそんなものではなかった。今まで出会った人間と違い、真っ向から向かってきた少年をせめて看取ってやろう。それは、気まぐれと純粋な気持ちが半々のものだった。
「よお、小僧。お前はもうすぐ死んじまうんだ。死ぬ間際ぐらいは力を抜いたらどうだ?…で、結局何がお前をそんな風にさせちまったんだ?俺はそれが不思議でならない。死ぬなら話してから死にな。」
「…理由は二つあります。…僕はあなたが羨ましかったから。なぜ命を懸ける戦場でそんなに能天気でいられるのか。僕もあなたの真似をしてみたが、ダメでした。そしてもう一つ。僕はどうやらフォンフィールという女性に精神干渉をされていたみたいです。魔力がなくなりかけた今だから気が付けました。僕はあなたに敗北し、フォンフィールにもしてやられた、残念な敗北者ですよ。」
槍から手を放し、地面に倒れこむ少年を『道化』はやさしく受け止める。少年は思いもよらない行動に少しだけ動揺の色をみせた。
「…なんのつもりですか?」
「ああ、なんというかな?俺はお前に感謝してるんだ。初めてだったんだ、そんなに褒められるのが。だからこれはそのお返しだ。死んだら埋めてやるよ。」
そういってにっこり笑って見せる。どうだろう?うまく笑えているだろうか、こんな歪んでいる顔だと気持ち悪いだけか。そう思ったが、手の中の少年は意識が朦朧としているはずなのに、それに応えてくれた。
「………そういえばあなた、避けましたよね?僕の一撃。」
「うぎぃっ、バレたか。で、どうしろってんだ?俺もお前と一緒に土に埋まればチャラになるか?」
そういうと少年は腕を伸ばす。腕にはブレスレットがついていて、槍の炎とよく似ている赤色だ。
「賭けを途中離脱した罰です。これを渡すので、裏切り者のフォンフィールという僕と同じ魔導兵を殺してきてください。あなたならこれは必要ないかとも思いますが…」
「俺がそんな約束守るとでも思ってんのか?…ったく、話は最後まで聞けよ…」
腕から力が抜けだらんと重力に従っている。『道化』は少年をやさしく地面に置き、ブレスレットを外す。そして少年をそのまま穴に入れ、雑に土をかぶせてやる。
『道化』は一仕事したかのように空を見上げる。自分が起こした火災によって煙臭く、体に悪い空気があたりに漂う。手には少年に託された使命と共にブレスレットが握られていた。