訓練
何か小さいものが体の上に乗っている感覚に目を開けてみると、可愛らしい少女が私の上に乗って私を揺すっている。…どちら様?
「姫様、起きて。…もう朝。ご飯、食べて。」
アレクトが眠い身体を起こしてみて辺りを見渡してみると、いつもの部屋と風景が違うことに気がつく。
そういえば私、カデークに居たんでしたね。
テーブルに着くと今までとは異なり、いかにもな質素な食事が出てきました。まあ、不味くはないです。ただ、今までの食事と比べると質素でこれが毎日続くとちょっと、気が滅入りそうです。
「早く、着替えて。遅れちゃう…」
リャードが小さい体で頑張って私を着替えさせようとします。…かわいらしいですけど、長時間屈んだ姿勢はかなり辛いです。
結局自分で着替えることになりました。いつもの服とは違って軍服はひらひらしていなくて体のラインがけっこう丸わかりです。うう、こんなことになるなら体を絞っておくべきだった。
心の中で過去の私を叱りつけながら無事に着替えを終えると、それを待っていたといわんばかりにリャードが私の手を握って何処かに連れて行こうとしてきます。
「ど、どこにいくんですか?私もう少しゆっくりしたいのですけど…」
「ミーティングがあるから起きてないなら起こしてこいってレーリッヒ様から言われた。…まさか本当に起きてないなんて思わなかった…非常識」
まだ年齢も身長も小さい子から非常識だと言われてしまいました。まあ、自覚していますけど。廊下を引っ張られていると窓からの外の景色が目に入ってきた。太陽は既に結構な高さに昇っていて本当に私は寝坊してしまったようだった。
「ミーティングって何のことですか?私知らされてないと思うんですけど…」
私の純粋な疑問もリャードに無視されてしまった。足の速さが昨日よりも早く感じる。気のせいだろうか。もしかして、リャード怒ってる?
長い廊下をしばらく歩き続けるとリャードはある部屋の前で立ち止まった。そして私に目を合わせる。なんとなく分かる。この部屋に入れってことだよね。
「これ、ほんとに入んなきゃダメですか?」
私の問いにそろそろ面倒くさくなったのか「…入って」と低めのトーンで返されてしまいました。うぅ、私の扱いがどんどん雑になっていってる気がする。
アレクトがそっと扉を開けると室内にいた人の視線が集中する。その気まずさから後ろのリャードに助けを求めようと後ろを振り向いたが、そっと閉じられてしまった。
「失礼しますー…。待たせちゃいましたかね?」
気まずさを紛らわすために少しはっちゃけてみたが、反応は人それぞれだった。
「遅い。まったく、初日から遅れてくる奴なぞ前代未聞だぞ。貴様のような奴が軍紀を乱していき、ゆくゆくは敗北につながるのだ。明日は遅れてくれるなよ?」
「あら~可愛いいわね~。あなたも連れて来られたのでしょう?仲良くしましょうね~」
「…チッ」
正直言ってあんまり歓迎されてる感じがしない。…遅れてきたこっちが悪いんだけれど。
唯一私を歓迎してくれる態度だった私より少し年上そうなフワフワしているお姉さんに手招きされたので、隣に座ってみる。ニコニコしながら小声で「あら~かわいいわね〜」と言われた。今まで殆どお世辞でしか可愛いと言われたことが無かったので照れ臭い。気を取り直して辺りを見渡すと、私と同じような制服を着ている人が五人、一番奥に座っている一番立場が高そうな女性の後ろにもう一人いて、剣を携えているのが見えた。
私が席に着くのを確認すると一番奥に座っていた女性が話し始める。
「貴様らは適正検査において魔導兵としての優秀な適正を示した。これは誇りを持つべきなことであり、皇帝陛下に報いることのできる名誉なことである。…建前はこれぐらいでいいだろう。本題に入る前に何か言うことはあるか?クランハルト?」
「好きにしろ。俺は面倒事は嫌いなんでね。」
クランハルトと呼ばれた男はそう言うとナイフを取り出して手入れを始めてしまった。いつものことなのか、そんな彼の行動を無視して彼女は再び話し始める。
「さて、まずは自己紹介をしよう。私はカリン・セラント。貴様ら401特別魔導部隊隊長となった。貴様らにとって今後の戦いは辛く苦しいものになるだろうが最善を尽くすことを期待している。自己紹介はこれぐらいでいいだろう。さて、全ての元凶に言い訳の機会を与えてやろうと思う。エル。お前自身が話せ。」
カリン隊長がエルと呼ばれた何故か白衣を身につけている華奢な彼女を睨みつける。私が睨まれた訳ではないのに、つい萎縮しそうになる。けれど、それを正面で受けた彼女は飄々とした態度をしたまま太々しく言う。
「やだなぁ隊長。元凶なんて言い方しなくてもいいんじゃないの?私たち兵器開発部の人間はいつも前線で戦っている人たちのことを思っているのにぃ。」
白衣の彼女は長さの合わない袖を揺らしながら反論する。しかし、その言葉には誠意は感じられなく、カリン隊長のイラつきがこちらまで伝わってくる。
「黙れ。貴様らのお遊びに付き合う暇など私たちには無いんだ。結果的に正しい手順を踏まずに戦場に立った者が亡くなった場合、貴様は責任が取れるのか?いや、貴様らは責任を現場に押し付けるだろう。指揮が悪かったとか適当な理由をつけてな。」
何か因縁でもあるのか、二人の雰囲気はますます剣吞になっていきます。私達は蚊帳の外でただ二人の口喧嘩を眺めていることしかできません。
「まあまぁ、明後日から一緒に戦場に立つ仲間にそんなに怒ることないじゃないですかぁ。隊長の言っていた通り、辛く苦しいものになるんでしょぅ?」
「…あぁそうだ。話が脱線したな。続けろ。」
こちら側が放置されているのに気が付いたのか、カリン隊長は不機嫌そうにしながらも渋々話の主導権を譲る。すると、エルさんは機嫌よさそうにポケットの中から宝石のようなものがついたブレスレットを取り出して、机の上に置く。
「これは私が私が独自的に開発したもので通称高速学習装置と私は呼んでいますねぇ。これをつけて魔力を流すと、この石の中に記録された記録が脳内に流れ込むという仕組みになっていますぅ。この4つの中に入っている記録はそれぞれ別のヒトのものなので何になるかはお楽しみですぅ。ささっ、好きなのを選んでみて下さい♪」
好きなものをと言われたので、一番手前にある紫色の宝石がついたものを取ってみる。ぱっと見普通のブレスレットで何もおかしいところはない。とりあえず腕につけてみる。それだけでは何も起こらなかった。
エルは皆が着けたのを確認した後、加えて話し始めた。
「皆さん付けましたねぇ。それでは全身に血を巡らせる感覚で魔力を動かしてみてくださぃ。それでも分からなかったら、私に聞いてくださいねぇ。」
魔力を動かす?うーん、腕にビリビリを嵌められたときみたいな感じかな?と意識してみると体内に結構動く物があるのがわかった。言われたとおりに動かそうとしてみると、それと同時になにか頭の中に情景が流れ込んでくる。剣の扱い方や戦場での光景が見えるけれど、これで学習できたかといわれれば、決してそんな事はない。どちらかというと覚えるというより、頭の中に強引に捩じ込まれる感じでとても不快だ。しばらく我慢していると頭の中に何も流れなくなったので目を開けてみる。しかしそこはさっきまでいた室内ではなく、暗闇が延々と続く謎の空間だった。
「…?私さっきまで、室内にいましたよね?」
辺りを見渡すと、少し遠くに街灯で灯されているかのようにほのかに明るい場所があった。暗いところにいるのも何なので、そこに向かって歩いてみるが全然近づいている気がしない。おかしいな?と思った瞬間、私はいつの間にか光の中央にいた。びっくりして辺りを見回してみると、人の形をした、黒い塊が私の隣に立っている。より詳しく言うと、そこに影だけあるようなとても不自然な感じで。
「どちら様ですか?それから戻り方をご存知だったりしませんか?不気味なので早く戻りたいのですけど…」
不気味さを感じつつも、それでもやっぱり好奇心が勝ってしまい、結局話しかけてしまった。返事は期待していなかったけど、意外にも声は返ってきた。
『お前はここに意識してきた訳ではないのか?普通、ここには力を求める奴らが努力して来るのだぞ。それなのに無意識にここに来るとは…お前のような者は初めて見たぞ。うむ、気に入った。』
なんだか気に入られてしまいました。事情が分からない私に向けて、影の人はこの空間について説明してくれました。声色から機嫌がよさそうです。
『ここは簡単に言えば互いの魔力が共鳴した時にだけ入ることができる精神空間だ。そのため己の意識によってこの空間を自由に操ることができる。まあ、今回の場合はお前の意思はほとんど効かないだろうが…』
そう言って指をすっと上げると、私の目の前に突如、一本の剣が現れました。そして、きっと不敵な笑みを浮かべているのでしょう『服装を見るに魔導兵だろう?指導をしてやる。剣を手に取れ。』と言ってきました。これもあのブレスレットの高速学習とやらの一部なのでしょうか。
『お前の記憶を探らさせともらったが、まだ剣も持ったことがないとはな。それなのにケトゥーヴァを扱うとなると大変だぞ?奴はなかなか曲者だからな。せめて主人として認められる程度にはしてやる。この剣はケトゥーヴァを模倣したもので、本物と同じと考えてもらって構わん。まずは鞘から抜いてみろ。』
鞘に力を入れて抜いてみようとしたが、接着剤でくっついている様にびくともしなかった。不思議に思って首を傾げていると影の人は自分の影の領域をゆらゆらさせながら驚いた様子で言いました。
『まさかとは思うが、魔力の動かし方も分からないのか?』
なぜ今魔力の動かし方について聞くのか分からない。記憶を見ることが出来るなら私がブレスレットに魔力を循環させたことも知っているはずだ。…つまり剣に魔力を流せってこと?そう思って今度は魔力を身体中に循環させながら抜くと、ケトゥーヴァは無事、鞘から抜けた。
『なんだ。出来るではないか。なぜ最初からやらなかったのだ?』
「いやいや、剣に魔力を篭めながら抜くなんて言われなきゃ分かりませんよ。」
『ふむ。そういうものなのか。』
言っていることはわかるけれど、意味までは理解していないような口調で影の人は一応納得はしてくれたようです。その後も指導は続きました。普段から魔力によって体を強化しておくといいとか、剣の扱い方とかなどの真面目な内容から、B軍集団の奴らが最近生意気で気に食わないなどのどうでもいいようなものまでさまざまでした。
ひと通り話したいことを話したのか、影の人はお茶とお茶菓子を用意してくれました。…紅茶がどう見ても家のものと同じぐらい高級そうなんだけど一体、彼は何者なのでしょう?
しばらくの間お茶を楽しんだ後、彼は急に立ち上がってせっかくのお茶を消してしまいます。目が付いているのかはわかりませんが、私ではなく、何か遠くのものを見つめていることが仄かに伝わってきます。
『時間だ。これ以上ここにいるとお前の肉体が無事かわからぬ。精神世界から引き離すが最後に何か聞いておきたいことはあるか?』
最後に聞いておきたいことを聞かれてもすぐに思いつくはずもなく、悩んでいると体が足のから白い粒子となっていく。
『何もないならそれでよいのだ。ないのなら意識を深く沈めておくといい。目覚めがよくなるぞ。』
そう言い残してここから去ろうとする黒い影の後ろ姿を見てアレクトは最初にひとつ強く疑問に思ったことがあったのを思い出した。既に首元まで体がなくなっていている。発せられるのは一文が限界だろう。
「あなたは誰なんですか?」
黒い影は動くのをやめる。前後はわからないがきっと振り向いたのだろう。消えていくアレクトを見て何も言わずに見つめている。
何も言ってくれないので少し寂しくなりながらも全身が粒子となり視界が真っ白となり、それと同時に意識が遠のいていく。このまま終わるかと思ったら、うっすらと、しかし、確かに脳内に残るように声が聞こえてきた。
ーーーーーー余の名は…ヴィルヘルム・ヴィルフリード。俗に言う皇帝だ。