襲来
「…っ!…なんだ、ブランギニールか」
「…そうだ。驚かせてしまっただろうか」
リソトから海に向かって真っ直ぐ歩くと小さな港町であるプロロディーンがある。私は絶好の隠れ場所だと思い、胸に剣を刺されたアレクトを抱えながら逃げ込んだのだが、
「既に気づかれているぞ、カリン。早く次の逃走先の目星を付けるべきだ」
クランハルトがブランギニールの後ろから顔を出す。そうなのだ。罠なのか目星を付けていたのかはわからないが、武装修道女は私がここに潜伏していることを突き止めているようだった。
「…腕の立つ者はあらかた片づけてある。この際、別にカリンが大事になっても構わないと思うが…」
「それだけは止めておけ、ブランギニール。国教府が信仰する何だったか…メルゼーが復活したのだろう?今は沈黙を貫いているようだが、いつその堪忍袋の緒が切れるのか分からない。我々は彼女の支配領域を荒らしたんだ。そのことは努々忘れるなよ」
ケトゥーヴァの発言に第一近衛親衛隊の安否、今の私達には不明な点が多すぎる。本国は戒厳令を敷いているので今後の指針を合わせることはできない。そしてケトゥーヴァが言うには皇帝陛下がアレクトをどうにかしてくれるらしいが、私の力ではここから帝国領まで跳ぶことはできない。
「ケルンを頼れないのか?旧アッセルの連中の説得を取り付けて以来潜伏しているんだろう?」
「クランハルト、おそらくだがケルンは死んだ」
クランハルトが私の地雷を踏んでしまったかのように何とも居たたまれない表情になる。戦場とはそういうものだ。クランハルトもそのことは分かっているのだろうが、それを表情に出されるとこちらの心も痛む。
「ケトゥーヴァ襲撃後に一応と思って連絡したが、返事はなかった。おそらくは武装修道女に待ち伏せされていたのだろう。用心深い奴だったが、まさかこんなところでくたばるとはな」
「…すまない」
「気にするな。戦場では人の命ほど不安定なものはないからな」
先程まで順調に進んでいた会話はピタリと止まる。日はゆっくりと沈み始め、やがて赤く染まるだろう。喧騒がより私たちの孤独感を増大させ必要のない焦燥感が心に根を張る。
少なくとも第一近衛親衛隊が負けるとは私は考えていない。ウェクトリーナは脅威ではあるが、たとえ欠員が出たとしても勝利はするだろう。けれど、ケトゥーヴァの言葉をシェルナーは覚えているか分からないが、生け捕りにするのは難しいと思う。
「ケトゥーヴァ曰く皇帝陛下がメルゼーと同等に戦えるらしいが、ケトゥーヴァは一体何を自信に行っているのだろうな?あの幼君が戦えるとは思えない」
「…!そういえば、すっかり知っていたと思っていたが、認識に齟齬がるようだな。…初代皇帝は直系である男子の第一子に記憶が引き継がれている。だからあのお方のことは子供だと考えない方がいい」
「ちょっといいか、私はそんな話初めて聞いたぞ?」
クランハルトの驚きの混じった質問にブランギニールは自分の過去を思い出すかのような懐かしい目で語り始めた。…なんだその情報は。私も聞いたことがないぞ。
「このことはヴィルヘルム様から直々に言われた。前々から十五にも満たない年齢であのような威圧感を放っていることに疑問だったが、アルテーヌ様が何処からともなく現れて仲睦まじく接したのを見て流石にそのことが本当なのだと納得した」
私も初めて皇帝陛下に謁見したときに剣神であるアルテーヌ様が何処からともなく現れたのは驚いたが、ヴィルヘルム様とあんなに親しくしていたのは代々記憶を継承してきたからだったのか。
『そうよ、正解。そして、死になさい』
…そしてなんとなくだが、これも予想していた。追われ身になってからというもの敵襲のタイミングがなんとなくだが掴めるようになってしまった。…流石に鬱陶しい。
けれど、今回は今までの敵とは桁が違った。人間のことなど気にする必要などないと言わんばかりに空間をゆがめ、大空を二分する。こんなことが出来るのはまさしく神ぐらいだろう。
臨戦態勢を取りながら歩みを進める。暗く、奥には星の屑のようなものが見える次元の歪みからは案の定、白い衣に身を包み、後ろからは後光が差している女性の姿をした人物が姿を現した。
その三歩後ろを歩き四肢には怪しく光る円環を嵌め、目の部分には金属製の目隠しのようなものを装着した蒼い髪の少女がいる。おそらくはケトゥーヴァなのだろうが、メルゼーと並ぶと霞んで見えてしまう。
「早速だけど、私の元に下りなさい。貴方の実力は認めるわ、それ相応の暮らしができることは保証してあげる」
「私がそちらに靡かないとわかっていて聞いているのだろう?」
この段階で確信に至れるわけなどないが、ブラフをかけてみる。もしこれが本当にブラフならば、無用な詮索のために労力をかける必要もない。もし本心からの言葉だとしても一生下僕生活は御免だ。
「そう、そうね。貴方たちは昔から頑固だもの。古来より実利より名誉を求めて頂上の戦いの場に何度も踏み込み、そして荒らしてきた」
「…スカウトは私だけなのか?」
「もちろん。そこの大男も中々の実力者だけど、受け皿の適正はないもの」
「本性を表したな」
…やはりか。排他的な教義の神らしい。
「そう、残念。それならばケトゥーヴァの真剣を取り戻すとしましょうか」
『やれ』
メルゼーが私をまるで物を見るかのような視線を送りながら指を刺して言い放つ。すると、蒼い髪の少女が私に襲い掛かってきた。剣の扱い方がケトゥーヴァに似ている。この目元を隠している装飾もよく見たら洗脳道具に見えなくもない。まさか、いや、まさかな。
「ブランギニール、クランハルト!」
ブランギニールはカリンの叫びを聞いてゆっくりと歩くメルゼーの前に立ちふさがる。カリンが苦しんでいる様子を愉しそうに眺めながらある一点に向かって歩みを進めるメルゼーの姿はブランギニールにとっても不快なものだった。
「…魔力抑制level2オンライン」
「二体一…それで敵うと思っているのならば愚かとしか言いようが無いわね」
突如、メルゼーが虚を掴む。そこは何もない空中のはずだったが、光の反射に違和感が生じると悔しそうにするクランハルトが姿を現した。
「無駄に勘の良い神様だな」
「そう言う貴方は随分と分かりやすいのね」
本来ならば剣を奪われて焦る状況のはずなのだが、魔力で回収することができる魔導兵からすると問題は無い。体を捻り姿勢を調節して回し蹴りを鳩尾に向かって入れる。
だが流石は神と言ったところか、視線の外を狙った下方からの攻撃にも視線すら動かさずに自慢の革靴を経由し原理は分からないが、衝撃をいなされてしまった。
「どうやら相手は私達と遊んでくれるらしい。できるだけ時間を稼ぐぞブランギニール」
クランハルトは容易く殺すことが出来るであろう我々を名実ともに片手間で対処している事態に何か別の目的があるのではないかという疑念と、もう少しは生き長らえそうだという事実に安堵するという矛盾した感情を抱く。
◆◇
『…いつまで寝てたふりをしているつもりだ?』
「ば、バレてました?」
アレクトは椅子に座った状態で目を覚ます。だが、今まで死んだように力なく項垂れていた様子は本当に
死んだように寝ているようで、ヴィルヘルムの洞察の良さが伺える。
『はぁ…何時までこんなところで燻っているつもりだ。ケトゥーヴァは私の助力なしに目覚めることができないと思っているようだが、其方ならば独力で起きることができるはずだ』
「き、厳しくないですか?」
アレクトの緊張感のない返事にヴィルヘルムはほとほと呆れ返し、肩が下がるのが見えるほど大きなため息を吐く。
『…くだらん。一体何をそんなに恐れている?魔力を通して外の景色は見えているはずだ。苦楽を共にしてきた友が命を懸けて戦いながらも其方の帰還を待っている。その想いを無碍にするつもりなのか?』
「それは…」
実際、アレクトはすでに正午のには自身の魔力に包まれながら精神空間で目を覚ましていた。だが、ケトゥーヴァが強襲した際の見るに堪えない思い出すことすら恥ずかしい醜態を晒してしまい、周囲の人間に迷惑をかけたという罪悪感がアレクトから目覚めようという意欲を奪っていった。
ヴィルヘルムはそんな彼女をずっと見ていた。乙女の心の中を覗くなどという言語道断な行為だが、残念ながら誰もそのことを察知することができなかった以上、その行為のことを注意することが出来ないのが残念だが。
『余は口上が嫌いだ。この際だから言ってしまおう。カリンが戻ってきた其方に対して強い言葉を浴びせると思うのか?クランハルトが、…いや、あいつは無口だったな。』
二人はクスリと笑い合い空気がほぐれる。そろそろ問題ないだろう。ヴィルヘルムは自分のカウンセリングが上手くいったことに心を躍らせながら締めの言葉を口にする。
『リーベ家はよくやってきた。決して皇帝に叛意を抱くことのないよう血を残せるだけの最低限の子しか作らず、近代戦が確立される前までは家が断絶するかもしれないと言うのに、常に最前線に出て戦ってきた。余は其方が死ぬとは思っていないし、余が殺させない。胸を張って戻るといい』
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ーー
そういうとヴィルヘルム様は姿を消してしまった。胸がほんのり温かい。
外を見るとセンスの分からない格好をしたケトゥーヴァが隊長を今にも追い詰めようとしているのが見えた。隊長が空間に閉じ込めて守っていてくれているけれど、自力で出られるのかな。少し不安だ。
胸に刺さったケトゥーヴァに触れる。魔力が自分と同化していて傷口が癒えきっていない瘡蓋を剥がすときのように痛い、苦しい。自分の胸に刃物が刺さっているので当たり前と思えば当たり前なんだけど…
目を覚ますとまたもや暗い場所にいた。けれどここは精神空間ではなく現実世界との境目のようなものだろう。魔力で目の前を捻じ曲げる。自分でもなんでこんな魔力の使い方を知っているのか分からないけれど、きっとケトゥーヴァの記憶から参照したのだろう。
「待っててね、隊長」
歪んで見える現実の景色に不気味さを覚えながらも息を止めて歪みに飛び込む。…隊長と再開した時、ここでの出来事をどう説明すればいいのかな?




