墜鳥〔上〕
唐突だが、ヒュメルプールとフェリーヴェは危機的状況に陥っていた。ここはギーバルハ王国のどこかの都市。先ほどまでシェルナーの後ろを歩いていたはずの二人はウェクトリーナが発生させた空間の歪みによって弾き出され、隊長が不在での戦闘を強いられていた。
「ヒュル、私の後ろに隠れて!」
十二の光線がヒュメルプールに向かい放たれる。当たれば物質を貫通し、ウェクトリーナの魔力によって人間であれば痛覚が何倍にも膨れ上がり悶え死ぬという凶悪な追加効果が付与された悪意極まりない攻撃だ。
「鉄壁」
地面から液体の金属が溢れ、光線とフェリーヴェとを遮る。だが、その程度で安堵している暇はない。次の瞬間には鉄壁に刃物を叩きつけたかのような凄まじい衝撃が与え始められる。十中八九ウェクトリーナであろう。
「ヒュル、壁がもう持たないわ!なんかいい感じの技はないの!?」
「血翔はフェルトドールでシェルナー様を回収する際に披露してしまいました。使えないことはありませんが、二回目なのできっと魔力の痕跡を追跡して追ってきますわ」
ヒュメルプールが額に汗を滲ませ強張った声で言う。自分には逃走に使える便利な魔法は無い。ヒュメルプールが無理だと言うならば戦うしかない。フェリーヴェは心の中で意識を逃走から戦闘へと切り替える。
◆
フェリーヴェはよく第一近衛親衛隊の皆に我儘に近い迷惑をかけるが、物分かりが悪いわけではない。
フェリーヴェは五大貴族と評される名門、ラ=ハルバトラ家に生まれた。かつて騎士一族だったハルバトラ家は戦場で武勲を上げることで代々皇帝からの寵愛を受け、やがて旧大陸最大派閥にまで成り上がった。
名門となったからにはハルバトラの血筋を断絶させるわけにはいかない。リーベ家のような例外は除き、貴族は普通ならば栄えることが望ましいからだ。
したがって、フェリーヴェの父も三人の妻がいる。フェリーヴェは第二夫人から生まれ、次女だった。ハルバトラ家は男児が多く産まれるので女児であるフェリーヴェは蝶よ花よとよく可愛がられる幼少期を送った。
しかし、例の一件以降事態は急変する。フェリーヴェの知らぬところで彼女は魔導兵となることが決まってしまう。理由は単純明快、適性があったからだ。
そうして、花のように大切に愛でられてきたフェリーヴェは一転して軍に身を置くことになってしまった。しかし、幸か不幸かシェルナーの元に配属されて抑圧されることなく、不自由はあれど、そこまで気にならない生活を送ることが出来ていた。
それでも、だからこそ、彼女は恐れた。シェルナーは言わずもがな、第一近衛親衛隊の皆は精神的に幼く、魔力量以外は足手まといになる要素しかないフェリーヴェを大切に扱った。それでも第一近衛親衛隊という肩書は彼女には重すぎる。そのため一応の戦闘訓練を積ませたが、やはりフェリーヴェにはシェルナー達のような才能は無かった。
フェリーヴェはそんな自分を見捨てるどころか、自身の覇道の後ろを歩くことすら許してくれた彼らを失うのが怖かった。そして、彼らが自分に興味を持たなくなってしまうのがそれ以上に怖かった。
だから彼女は我儘を言う。自分が彼らから忘れられないように。
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「血槍」
鉄壁が砕けると、そのタイミングを待っていたといわんばかりにヒュメルプールが真紅に染まる槍が紅い軌跡を放つ。武器にも投擲物にも使える万能な血槍だがし、そんな深紅の鈍い輝きを放ちウェクトリーナに向かっていく血槍はたったの斧の一振りで相殺されてしまう。
◆
ウェクトリーナは驚愕していた。眼下に映るかつて一度敗北したはずの彼女たちが粘り強く抵抗を続けていることに。そして一番脅威度が高く優先排除対象とされているシェルナーと隔離したはずなのに、未だ戦意を保ち続ける二人のことに。
…何か狙いが?いや、そんなようには見えなかった。態度は好戦的に見せているようだけど表情筋がこわばっている。つまり、必要以上に慎重になる必要はない、はず。
ウェクトリーナは柄だけでも彼女の身長よりある戦斧を両手で一本ずつ携えて鉄の壁に勢いよく叩きつける。
天使降臨の能力の一つである熱光線は原子物質に対して異常なまでの威力を発揮する。しかし、対象の物資がひとたび魔力を纏えば効き目は薄くなる特性も持ち併せているのだ。
それでもウェクトリーナには問題ない。彼女の元来の得物は両手の戦斧だからだ。この両手に戦斧を持った戦闘スタイルこそ、ウェクトリーナが『執行官』と呼ばれる所以だった。
ウェクトリーナは自覚は無いが、相当の美貌の持ち主だ。黄金のような輝きを放つ髪にトパーズをそのまま嵌め込んだような輝く瞳。美しいとしか言いようがない。そんな美貌を持ち合わせる美女が王国に仇なす敵を一掃する。まさしく神の判決を下す者、執行官に相応しかった。
目の前の標的が自分の攻撃の隙を狙って何かを投擲してくるが、予想通りの行動だ。左手の斧を投げて相殺する。
追撃が来るのではないかと思い警戒するが、その思惑は外れたので地面に降り立つ。天使降臨によりウェクトリーナの背中には体を覆い隠せるほどの一対の翼が生えているが、一応は対等な立場である事を示すために同じ高さまで降りる。
「エーゲラ…」
銀髪の少女は今更になって魔法を発動しようとするが、遅いうえに口上が長い。腰から左肩にかけてを切断する感覚で少女に斧を振るう。
「深紅大剣!」
ヒュメルプールは油断していた。確かにフェルトドールの戦いではフェリーヴェはウェクトリーナの罠に嵌り、数日意識を失うこととなったが二人がかりで適切に対処すれば十分に撃破可能であると考えていたのだ。
「フェルトドールでの敗北を忘れたとは言わせません。一度敗北を喫した相手に無謀にも戦いを挑むとは…諦めるのならば命までは奪いはしませんのに」
「ウェクトリーナ、貴方の実力は認めましょう。確かに強い。ですが、それだけで勝負を諦めるほど私たちは生ぬるい覚悟でここに来てはいません!」
だが、ヒュメルプールはその認識が誤っているとしてすでに残り少ない血を後先考えずに使用する。既に目眩や立ちくらみが起こり、視界が歪んでいる。
一撃、また一撃と打ち合っていくとヒュメルプールの動きは見るからに遅くなり、服が血によって滲み始める。
「フェ、フェリーヴェ…」
ヒュメルプールは朦朧とする意識の中、ギリギリでウェクトリーナの斬撃を躱す。その際、後ろを振りむき『フェリーヴェがいなくなっている』事を確認すると意識を手放した。深紅大剣が赤い塵となって消えていく。
「はあ、やはり剣神の考えはメルゼー様も予測できないのですね。大した実力も持ち合わせていないのに勘違いして暴れられても困ります」
地面に倒れているヒュメルプールを鎖で固定して空中につるし上げる。彼女の魔力は未だに私に対して敵意を剝き出しにしているが、今更何ができると言うのか。
「ですが、前回タルガロス大聖堂にやってきたあの二人が見えませんね」
宙に固定され身動きが取れなくなったヒュメルプールの首にウェクトリーナは斧の刃物を突きつける。
「いつまで経っても寝られていては困ります。元には戻れなくなるかもしれませんが、少し衝撃を加えた方が良さそうですね」
◆
…ヒュメルプール!
フェリーヴェはやられた振りをしてウェクトリーナの視界から姿を消してウェクトリーナが隙を見せるのを虎視眈々と狙っていたが、ついにその時は訪れなかった。
心臓の鼓動が速くなっているのがわかる。血流の流れが血管を千切ってしまうかのような錯覚に襲われてとても苦しい。
…はやく出ないとヒュメルプールの命が危ない
フェリーヴェは心の中でそう思うが、前に出る覚悟がない。腹部の傷が痛む。傷跡は魔力によって既にふさがったが、切れた服と血で赤く染まった手が恐怖を引き立て幻覚を生み出している。
…早く、早くしないとヒュメルプールがっ!
激しく警鐘を鳴らす本能を理性で無理矢理押さえつけ、ついにフェリーヴェは魔法を詠唱する。
『黒鉄棘』
黒色の棘が地中を這う。ウェクトリーナは一体どこまで気づいているのだろうか、フェリーヴェは息を殺しながらそっと二人の経過を見守る。
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しばらくが経過した。今の所ヒュメルプールが殺されるようなそぶりは見えない。黒鉄棘はようやくウェクトリーナの下に展開され絞殺することのできる位置についた。
…しっかりしなさいフェリーヴェ!私がここで頑張らないと、みんなで生きて帰れないじゃない!
弱気な本性を心の底に押し殺して棘に魔力を伝わせる。
「絞殺!」
金属のような色合いの棘は魔力に反応して黒く染まる。それでもフェリーヴェは魔力を流し続ける。前回は自身の失態の結果、ウェクトリーナを取り逃がすこととなった。原因は両手で数え切れないほどあるが、戦闘面で一つ挙げるとするならば黒鉄棘の毒が弱かったことが一番の失態だろう。
だから今回は後先を考えずに魔力を使う。魔力は減っても時間経過で回復するが、命は二度と戻ってこない。フェリーヴェは前回の屈辱で圧倒的な実力差から生まれる恐怖を塗りつぶす。
棘はやがて地中には納まりきらなくなり、舗装されたコンクリートにひびが入る。
…今だ。今しかない…!
魔力を大量に使ったためか、絞殺を詠唱しても発動するまでに時間差があった。けれど、そのタイムラグがフェリーヴェが決断するまでの時間稼ぎに成功し功を奏することになった。
黒鉄棘によって舗装された道をフェリーヴェは進む。ウェクトリーナは一応棘で拘束したが、いつそれを振りほどくかわからない。鎖で固定されたヒュメルプールへ急行する・
「ヒュル、大丈夫!?」
棘によって運ばれてきたヒュメルプールを抱き抱える。
…重い、体格差もあるだろうがヒュメルプールの豊満な体つきにも原因はあると思う。じゃなかった、早くここから脱出しないと
フェリーヴェは戦闘中に使う強度の身体強化をかけてヒュメルプールを抱き抱える。お姫様抱っこは案外怖いのだ。フェリーヴェはそれがわかっているのでしっかり胸元に寄せる。
…そしたら急いでここからできるだけ遠くに行く!
周辺区域は予め封鎖されていたのか、人の姿が見えない。人ごみに紛れて行方を晦ますというフェリーヴェの予定が実行できないことになる。
「フェレ…」
ヒュメルプールが意識が朦朧としているであろう中、目の前の存在をフェリーヴェだと認識して語りかける。
「ヒュル、無理しているんだからじっとしていなさい!」
「フェレ…聞いて。私の残った魔力をあげるわ。だから、魔力を私に同調して…」
「ちょっと、なんでいきなりそんなことになるの!?」
何かが爆発したような音が遠くから聞こえてくる。おそらくウェクトリーナで間違えないだろう。こんなに早く魔力の大半をつぎ込んだ鉄の檻を破られるのはフェリーヴェにとっても想定外の出来事だった。ヒュメルプールを抱く腕の力が無意識に強くなる。
ヒュメルプールはそれでも話すのを止めない。
「…私はヴィルヘルム様からある力を分け与えられたの。その力は簡単に言えば血を操る力。ヴィルヘルム様曰く、古い神の一柱の権能らしいのだけれど、きっと貴方にもつかえるはず…」
ヒュメルプールの言葉と共にフェリーヴェへと魔力が流れてくる。
「ちょ、ちょっと!まだ死ぬには早い…って、そういえばアナタ、なんか死にかけみたいな雰囲気しているけど、ただ貧血なだけじゃない。変なことやってないでワタシに静かに抱かれていればいいのよ!」
貧血のせいだろう、青白い顔のヒュメルプールが優しく微笑む。これなら勝手に死のうとするような行動は控えてくれるだろう。フェリーヴェは安堵し、視線を戻す。するとなぜだろうか、自分の魔力もヒュメルプールに流れ出ていることに気がついた。
「ヒュル、アナタ何かやったでしょ」
フェリーヴェの言葉にヒュメルプールは口角を上げる。
「私は戦えないから力を渡そうと思ったけど、断られてしまったから。だから、“一時的“に力を貸してあげることにしたの。いわゆる合体ってやつよ…」
そう言うとヒュメルプールの体は光の粒子となって、フェリーヴェの体内に吸い込まれる。
「ヒュメルプール、覚えてなさい!」
フェリーヴェが捨て台詞のような台詞を大声で叫ぶと彼女もヒュメルプールと同じように光の粒子となって実体を持たなくなる。
「…一体何を」
二人を追跡していたウェクトリーナもこの光景には流石に立ち止まり何をすることもなく呆然と見つめる他なかった。
光が減光すると共に凄まじい熱波が周囲に渦巻く。ウェクトリーナは天使降臨によって不快感を示す感覚が鈍くなっているはずなのに、あまりの暑さに顔を顰める。
光がようやく減光したかと思うと、今度は乾いた熱波が発生して渦巻き始めた。急激な温度変化に肌が痛くなる感覚にウェクトリーナは危機感を覚える。
天使降臨を発動しているウェクトリーナは死ぬまで戦闘を続けられるようにするために痛覚を弱めているのだ。そのはずなのに皮膚はチクチクとした痛みを感じている。先ほどまでは取るに足らない相手だったが、何かしらの手段で力を手に入れた。そう考えるのが妥当だろう。ウェクトリーナは戦斧を持ち直して光の中心へと歩みを進める。




