タルガロス大聖堂再び
カンタベリー大聖堂に三つの足音が響く。昼なのに小さい窓からのわずかな光しか光源が無い影響で昼だというのに堂内は暗く、目が疲れそうになる。
「…廊下が長いな。外から見たときもかなり大きく見えたけどこれは…」
「どう見ても空間が捻じ曲げられています。その証拠にもう、300メートルは歩いていますもの」
ヒュメルプールは肩を震わせる。そうだ、私たちはもう5分はこの変わらない風景の中を歩き続けている。
「どうやら私達は敵の罠にまんまと嵌ってしまったらしいね」
「ふん、どんなこざかしい真似をしようとも最後に勝つのは私達に決まっていますわ!」
フェリーヴェが胸を張って自信満々に言い放つ。あんまり敵陣の中で相手を挑発するような事は控えてほしいんだけど、前回の敗北を引きずっていないみたいでよかった。
突然、三人の周りの風景が歪む。ヒュメルプールとフェリーヴェはその光景に無意識のうちに後ずさろうとするが、シェルナーが右手でハンドサインを送ると冷静さを取り戻す。
空間の歪みが治まる。だが、三人を取り巻く風景は異なっていた。辺りは今までの薄暗い廊下ではなく、道幅は広くなり、奥の方には割れたステンドグラスが見える。そしてステンドグラスから視線を下におろすと、とてつもない存在感を放つ”人間”がこちらに振り向き歓迎の意を示すかのように両手を広げる。
「お待ちしておりました。せっかくなのでお茶でも用意したいところですが、メルゼー様が侵入者は容赦なく排除せよとおっしゃられました。我らが神より敵と認識されるあなた方の身分はこの際問いません。恰好を見るに…」
最奥でひときわ輝くステンドグラスが歪む。その歪みはステンドグラスと壁の境界線を越えてこの空間全体に広がる。
「魔導兵なのでしょう?それも、コルト帝国の」
シェルナーは迷うことなく剣を鞘から抜く。五感が研ぎ澄まされ視界が透き通る。ところが、シェルナーはカンタベリーの方へ跳躍しようと力を入れたところで違和感に気が付く。おかしい、二人が魔力を使った気配がない。それに声も、気配も感じ取れない。
「ヒュル、フェレ!」
シェルナーは隙を晒すことを覚悟で後ろを振り向く。すると、二人の姿は無かった。殺されたような痕跡はない。おそらくだが、先程の空間の歪みで意図的に二人は引きはがされたのだろう。
「あのお二方が居られるとさすがの私でも苦戦を強いられることになります。そんなことはメルゼー様はお赦しになりません。ですが、ご安心を彼女たちは”まだ”生きているようです。この場で死んでしまうことになる貴方には関係ないことかもしれませんが」
「許さない」
明確な殺意と共に跳躍する。身体強化を施しただけでシェルナーは地面を蹴りで叩き割り、カンタベリーに突進する。この世の理を書き換えるような魔法を発動したわけではない。シェルナーは身体強化のみで己の体を亜音速まで加速させる。
「聖域『鎮護歌』」
背後から静謐な声と共に実体のある魔力の塊がシェルナーに襲い掛かる。カリンですら避けることのできなかった殺意の塊だが、
「その魔力の波動…お前だな?あろうことか姉さんに手を出したのは!」
シェルナーの持つホルツェの前では無力だった。原初の五剣は与えられた二つ名に対応した権能を持つ。ホルツェの場合は「実直」。つまり、持ち主が実直であればあるほどホルツェの力は引き出されることになる。だが、その上限は主人であるアルテーヌの約半分。サドゥーツが最大でアルテーヌと同等の力まで引き出すことが出来るのと比べると物足りなく感じてしまうが、何のデメリットも無しに神に傷をつけるられると考えれば凄まじい威力だと言えよう。
「不意打ちとは随分と卑怯な真似をする。コルト帝国では考えられないことだ。だが、それが合理的な判断であるということは認めてやる」
シェルナーはオンとオフのスイッチの切り替えが極端だ。戦闘中には普段のカリンを実の姉のように慕う面影は鳴りを潜め、そこに残るのは強靭な肉体と精神力を兼ね備えた英雄と呼ぶに相応しい人物のみだ。
「御神剣」
カンタベリーはかつて、女神メルゼーと共に地上に降り立った神剣を召喚する。アルテーヌは既にこの世に顕現しているので、カンタベリーの召喚したものは魔力で複製した鈍だ。それでも、護神剣の名は伊達ではなく、そこに存在しているだけで敵を圧倒させ戦意を挫くような神々しさを放っている。
剣が交差する。火花を散らし、建物を倒壊させるほどの衝撃波が発生し、カンタベリーはその体を大きく吹き飛ばされる。
「化け物がッ!」
一撃が重たい、重たすぎる。剣から伝わった衝撃で手が震えている。こんなことを長々と行っていればいずれ剣が折れてしまう。
剣の腕前はシェルナーが圧倒的に上のはずなのにシェルナーが焦る理由、それは、アルテーヌが強すぎるからだ。そのことをシェルナーは直感的に察していた。先ほどは何事もなかったが、下手をすれば先ほどの一撃でホルツェはアルテーヌから放たれる魔力の波動で折れていた。そのため戦闘が長期化するとホルツェが持たない。短期決戦が要求されているのだと。
「頼む、持ってくれよ…」
剣を構え直す。最初の一撃が通用しなかった以上、速度で翻弄するのは逆にこちらが消耗するだけというのは分かった。そうなれば残る手段は一つしかない。相手の魔力切れを待つ。無理だとわかっていても帝国最強の名を背負っている以上そう簡単に敗北していい訳などない。感情の昂りによって乱れた魔力を整えながらシェルナーは再び地面を強く蹴った。
◆
カンタベリーは王族の生まれだった。しかし、幼い頃に妹であるエリザベスの謀略により次期女王の座を追われたのだ。だが、王族関係者としてはそのような黒い真実を市民に知られるわけにはいかない。そこで白羽の矢が立ったのが国教府教皇という立場だった。
事実を隠匿するならば早ければ早い方が良い。カンタベリーはそのことを貴族階級の者が幽閉されるために作られた塔の中で聞いた。
カンタベリーは神を信じていなかった。本当に神がいるならば何故私は妹から王族を追放されなければならないのか。腹立たしかった。権力に目が眩んで実の姉すらも手にかける妹の強欲さに、それでも自分のことを助けようとしなかった女神の適当さに。
ところが、そんな神への不信感は初めての礼拝にて完全に取り払われることになる。
『私の血族よ、貴女の心境はよく理解しました。そうですね…私の下につくのならば妹であるエリザベスを弑するのに協力してあげましょう』
衝撃だった。まさか本当に神がいるとは、そしてその神が私を見かねて手を差し伸べてくれるとは。
傷心していたカンタベリーの中に女神の甘言は染み渡った。それがメルゼーの思惑通りだということを知らずに…
それから何年が経過しただろう。カンタベリーは女神の助言に従い時期を見てエリザベスを誘拐し、女神メルゼーの生贄にした。だが、何故だろう、カンタベリーには知る由もないことだが、最初はただの道具だと思っていたカンタベリーに対してメルゼーは情が湧いてしまっていた。単純接触効果だろう。メルゼーは異界の知識を参照してそう結論づける。
けれど、それでも、メルゼーはカンタベリーのことが娘のように見えて仕方がなかった。確かにギーバルハ王家はメルゼーが血を分けた人間の英雄の子孫だが、そういうことではない。彼女の人生に無意識のうちに同情してしまっていたのだ。
これ以上彼女を危険にさらさないためにメルゼーはタルガロス大聖堂にカンタベリーを閉じ込めた。それなのに、無謀にも再び帝国の手先がタルガロス大聖堂に訪れるとは、メルゼーにとっても誤算だった。
◆
一対一の攻防戦が続く。言ってしまえば何だが、帝国最高と目されるシェルナーの戦い方は地味だった。カリンのように戦場を制圧するような雷を放つこともできなければ、ヒュメルプールやフェリーヴェのように己の魔力で魔法を繰り出すこともしない。ひたすら自身を魔力で強化し、身に着けた剣技を以てして敵を打ち倒すのが彼の戦い方だった。
幸い戦闘自体はシェルナーの優位に進んでいた。シェルナーはまだ笑っていられるだけの余裕があるが、カンタベリーの顔には疲れの色が見える。これならば魔力の枯渇を待つまでもなく倒せるかもしれない。思い立ったシェルナーは行動に移す。
シェルナーは確信していた。コルト帝国が祀る神であるアルテーヌの正体が剣神アテヌバであるように、古い剣には自我が宿ると。それならばアルテーヌが創造した原初の五剣の五剣にも自我が芽生えていてもおかしくはないということに。
「ホルツェ、力を貸せ!この私に、敵を打ち破るための力を!」
自分でもなぜ戦場でこのような半分迷い事に近いことをしているのかはわからなかった。誰かが自分にそうするように仕向けているような気もしたが、何故かそれに抵抗する気も起きなかった。
『…ようやく、か。ようやくこの領域までたどり着いた者が出たのだな。感心したよ、シェルナー。ヴィルフリードに対するその直実さ、認めてあげようじゃないか』
剣が語り掛けてくる。彼女のどこか気だるそうな姿勢も強者の余裕のように思える。
『普通ならば君に名前を付けてもらいたいところなんだけど、今は事態が事態だからね。また後で付けてくれたらいいよ。それじゃあ、力を渡すね。準備はいいかい?』
ホルツェの刀身が一瞬、シェルナーに呼応するように輝く。凄まじい力が溢れてくる。ホルツェに魔力が満ちて、身体強化も申し分ない。感覚は研ぎ澄まされ視界は透き通って見える。相手は隙だらけだ。今の自分の力ならばカンタベリーを倒せる、シェルナーは鞘を納めて居合の姿勢を取る。
「死ね」
シェルナーが亜音速に近い速度で居合を放つ。魔法を使わない純粋な一撃。地味だが、威力は絶大だ。
「今、何を」
カンタベリーは何が起きたかわからないうちに胴体を切断され上半身が乱雑に地面に落ちた。シェルナーは剣を鞘に収めると、静かにカンタベリーの骸へ歩みを進める。
「カハッ、む、無駄な足搔きです。実力は認めましょう。で、ですが、それだけではメルゼー様に対抗できるはずがありません」
「だとしても、私達は止まるわけにはいかない。君がメルゼーとやらを信じているのと同じで、私達もアルテーヌと皇帝陛下を信じているから」
身体強化によって引き延ばされた感覚が尽きたのだろう。カンタベリーの腕が重力に従って落下する。
「メルゼー、来るなら来てみろ。私達はただでは死なない。死ぬまで貴様に噛みついてやろう」
シェルナーの力強い声が崩壊していく空間のなかで反響した。




