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ケルン・ドニトルの過去です。
ケルンはネヘトホルテの普通の家に産まれた。ネヘトホルテは軍港都市だ。けれど、クラカッサやヘルベッチのような鉄臭さはあまりなく、軍人と地域住民の関係も良好で地方都市といった言葉が似合う長閑なところだった。
だが、そんな平穏な日常はアルナスから襲来した謎の軍隊によって蹂躙された。街中で繰り広げられる惨劇はまだ多感な時期だったケルンにも容赦なく襲い掛かった。あの日の惨劇など忘れられるはずもない。肉片が飛び散り、下半身のない肉体が這いずっていた。地面は赤黒く染まり、耳に入ってくる音は人の叫びなのか砲声なのか区別のつけようもなかっただろう。
ケルンは逃げ込んだ家屋の瓦礫と家族の下で目覚めた。ケルンの肉体が成長期を経験していないのかと見間違えるほど小柄なお陰だった。今まで十年余りの人生でコンプレックスだった肉体は初めて役に立ったが、だがそれだけで喜んでいる暇はない。目の涙が溢れないように堪えて必死に瓦礫の山から抜け出す。思春期も終わればきっと、昔のような家族関係に戻れると思っていたが、ついにその時は訪れなかった。
瓦礫の隙間から外を覗く。その時初めて銃声を聞いた。自分の目の届く範囲の中で人が初めて死ぬのを見た。
ケルンは瓦礫の中で小さくなって震える。もう、きっとすぐ、自分も家族のようになるのだろう。死ぬのならば、残りの生は静かにしていよう。そういう魂胆だった。
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ケルンが何もせず、瓦礫の中で縮こんで何もしないで二日が経過した。空腹感にはまだ耐えられそうだったが、喉の渇きが辛かった。もちろん体も動かしていないし、口も開いていない。だが、必要最低限の排泄だけで体内の水分は着実に減っていく。
けれど、今日はは違った。何かが空を通過する。音が聞こえてくるが、その姿は見えない。
ケルンは未知の存在に恐怖し、慄く。死にたくない。たとえ死ぬとしても殺されたくない。そう強く想いながら拳を握りしめる。
何かがつぶれるような音がした。未知の言語の断末魔が脳内に響く。危機は去ったのだろうか。ケルンの手は未だ震えていたが、勇気を振り絞って隙間から外を覗く。
『待たせてすまなかったね。さぞ、独りでこころぼそかっただろう。さあ、いま出してやるからジッとしていてくれよ、っと』
四十代か五十代ほどのふくよかな男性が軽々しく瓦礫を持ち上げる。肉体労働者のようには見えない体系をしているが、人は見かけによらないのだろうか。ケルンは虚ろな目でぼんやりと思考する。
『さあお嬢さん。私の手を取りなさい。住はなかなか手に入らないかもしれないが、私についてくれば衣食の不満は解消されるだろう』
ケルンは何も考えずに彼の手を取った。それが、結果的にケルンにとって幸せだったのかは今でもわからない。
最初は手を繋いでゆっくりと歩道の跡を共に歩いていたが、ケルンの歩速がだんだんと遅くなると男に背負われることになった。揺れが心地よい。ケルンは久方ぶりに眠気に襲われた。
『起きろ。身を屈めてここから真っ直ぐ行くんだ。半日も歩けば辿り着ける』
男がケルンを揺すって目覚めさせる。目を擦ってまだ眠いという意思表示をするが、男の緊張感を含んだ声色に心臓の鼓動が速くなる。
『…おじさんはどうするの?』
ケルンはまだ半分寝ぼけている脳を震わせて口に神経信号を送る。それによって出力された声はなんとも情けないものだったが、
『無論、打ち破って見せよう。なあに、心配するな。負けはしないとも』
力強い声で男は言う。嘘をついている。ケルンはそう思った。明確は理由はないが、目の動きや呼吸の仕方からそんな風に感じたのだ。
男の『行け』の一言でケルンは走り出す。たとえあの男が嘘をついていると心の中で思ったとしても、凄まれては反抗の意志は湧かない。また独りに戻ったからだろうか、走っていると呼吸が乱れて苦しくなってくる。しばらくすると立っていることすらままならなくなりケルンは木の根本に座って動けなくなった。
◇
次にケルンが目を覚ましたのは茶色のテントの中だった。普段ならば質素だと感じたであろう医療用のベッドが今はとても柔らかく感じる。
いったい何があったのか、白衣を着た細身の青年が優しく聞いてくる。ケルンがネヘトホルテでの話をすると、青年は気まずそうに顔を歪めたがそれ以降は態度に出ることはなかった。
どうやら、ケルンを助けた恰幅の良い軍人はゼルハイムという名前だったそうだ。普通の人間ならば持ち上げるだけでも一苦労な長剣を片手で軽々しく扱い、出自に関係なく部下を大切にする姿勢は若者からすれば勇気を与えてくれる存在だっただろう。
けれど、そんなゼルハイムがネヘトホルテに出撃したきり帰ってこない。一晩が経過し、心配になった部下たちがゼルハイムを捜索しに再びネヘトホルテに出撃した。かつて、すんでのところでゼルハイムに庇われ一命を捕りとめた部下の一人が発見した。血だらけになったゼルハイムと、その横で死んだように眠る少女の姿を。
馬鹿ではないか。今にも消滅するところだった統計上の死にしかならなかったであろう儚い命のためになぜ、片手で握りつぶせるような矮小な生命に対しなぜ、多くの命を救いそれよりも多くの人の人生をよい方向へ導いた人が悲劇の死を遂げる必要があるのだろうか。
救われた命のことすら考えられないのか。ケルンは胸が締め付けられるかのような感覚に対して半ば八つ当たりのような強い怒りをぶつける。それは、純粋な疑問でもあり命の価値との葛藤でもあった。
ケルンは家と故郷、そして恩人を失ってから孤独を謳歌し続けた。謳歌、というにはあまりにも寂しく、貧相であったが、ケルンの心は第二次成長期を終え、大人の世界に顔を出し始めた。
そして彼女は悪夢を見る。内容は死、そのもの。彼女の本心はまるで今でも死を望んでいるかのように錯覚させられる悪夢に毎朝のように苦しめられることになる。
「どこにも僕の居場所はない、ないのに…僕はこんな場所でくすぶっているのだろう」
独り身になり頼れる人もいなくなったケルンは避難キャンプで貸し与えられたテントの中で小さく呟く。ケルンには自由しか残されていなかった。むしろ自由に束縛されていると言った方が正しい。自分のことを世界に悪影響しか与えていないと考えるケルンの心の底には日に日に暗くて重いものが心の底にたまっていた。
「…適性検査?」
配給を貰いに来たケルンはそんな単語を耳にした。どうやらこの難民キャンプに新しい兵科である魔導兵の適性がある人を探しに来るのだそうだ。別に何かを期待していたわけではない。ケルンには今があれば未来のことなどどうでもよかった。だけど、だからこそ、その言葉が耳に残って反響する。
結局ケルンは適性検査を受診することにした。魔導兵になりたかったわけではない。居場所が欲しかったのだ。空気中の塵になって水滴に混じることのできないまま風に吹かれるよりかは、水滴の一部になりたい、その一心で。
朝が昼になり、そして太陽が赤色になって明日の天気を伝えた頃にようやくケルンの順番が回ってきた。硬い椅子に座る。身元を証明しなければならないのかななどと身構えていた少し過去の自分を笑いたくなる。こんな有象無象の中で一人や二人減ったって別に誰かが気にする訳などないのだ。自然と乾いた笑みが浮かんできた。
頭に重いものを被せられ、腕が固定されてそこに何か太いものが刺さる。…ああ、痛みだ。ずっとこれを望んでいた。両腕に二本ずつの棒が刺さる。きっとそんなに太くはないのだろうが、鉄パイプほどはあるのではないのかと痛覚が教えてくれる。
痛みが消える。なんだ、心情風景だったのかと、自分に呆れながらケルンは席を立とうとする。だが、興奮の色を隠し切れない白衣を着た男性がこちらに近づいて来るのが目に映った。彼の目が自分に釘付けになっているのを察したケルンは立とうとして力を入れた腕の筋肉を緩ませる。
「君には魔導兵の適性がある。お父さんかお母さんを呼んできてはくれないかい?」
自分の知る肉親は全員死んだ。そのことを白衣の男性に伝えると、「…そうか、わかった」と小さく頷き、私は奥へ連れていかれた。
けれど、それはケルンの望む結末ではなかった。与えられたのは居場所と仕事と燃える仲間。
「すげー!オレが、魔導兵だってよ!」
「パパ、ママ…」
集められたのはおそらく未成年ばかり。いや、意図的だろう。きっと無理に前線に出させて使いつぶすつもりだ。だけど、今になって自分は17だとわざわざ言おうとは思わない。もう、全てがどうでもいいから。
数か月間の訓練といずれともに死ぬであろう仲間との生活。僕は口数が少なかったおかげか、そういう子として認識されて誰からも声をかけられることもなく、そして無事に大人に違和感を持たれることもなく
集団に溶け込んで過ごすことができた。
そして、ついにその時はやってきた。ケルンはほとんどすし詰めの状態で列車に乗っていた。行く先はケニーグ。記憶が正しければそこは長閑な地方都市だったはずだ。
砲声が聞こえる。…そうとう前線なはずだ。ケルンが死を望んでいてもなお、筋肉が縮み緊張しているのを感じた。
列車が甲高い音を立てながら停止すると、自然と列車を下りる列ができる。そこで配布されたのは…ナイフだった。さすがに軍用の多様な用途に使えるものだが、流石にこれで人を殺せと言われても無理がある。
「いいか、まもなく戦場に笛が鳴る。笛が鳴ったタイミングでこの堀から身を乗り出し向こうにいる敵に向かって突撃するのだ!もし、怖気づいてここにとどまっていたのなら、味方に撃たれても文句は言えん」
その言葉に半分の子供は震えあがり、もう半分は意味が分からずキョトンとする。可哀そうに、ケルンは彼らの悲惨であろう結末に自分のことを棚に上げて同情する。
◇
つんざくような笛の音が辺りに響く。突撃の合図だ。ここにいる者全員が敵陣めがけて走り出す。そして、死んでゆく。倒れた音の正体がいったい誰なのかは誰も知ろうとしないし、知りたくもない。
肺に入る空気が冷たい。足も段々重くなる。石に躓いて体勢を崩すと同時に身体を何かが貫き、脳に頻繁に電気信号が送られてくる。
ケルンはその時始めて辺りを見回した。そして自分たちと相対している敵の正体が人間ではないことを認識した。彼らの背丈は人間だと言うには高い。平均して2メートルはあるだろう。そしてなによりどこか野生に近い。獣のようだ。
「あ”あ”ーッ!」
ケルンは叫んだ。何故だかは自分でもわからないが、とにかく叫びたかった。
そして大地を蹴り上げ疾駆する。ケルンは自分の生きる意味を昇華させて、生命力に変換しながら最期の輝きを放とうとする。
視野が広い、頭が冴える。自分に対して殺意を持つものの動きがコマ送りされているようにゆっくり見える。
生き物の命を殺すことのなんと簡単なことか。ケルンがナイフを一振りしただけで角の生えた大男の頭部は原型がわからないほどに粉砕された。
そうしているうちに一人、また一人と自軍の仲間が死んでいくが、その時のケルンには彼らを援護する考えは無かった。ケルンが半分鬱のような状態で魔力を操った影響で彼女の体は無意識のうちに魔力乱流によって制御が効かなくなってしまっていたからだ。
ケルンは無邪気な笑みを浮かべて戦場を駆け回る。暴走状態になった彼女は止まらない。眼中に映るすべてを、自分の思い通りの形に変えるまで。
日が沈み、再び日が昇った頃にケルンはようやく正気を取り戻した。辺りに敵対存在はいない。けれど、彼女の味方も地面に伏して起き上がらない。
今のケルンには『それら』を自分が殺したのか、はたまた敵によって殺されたのか区別することはできない。心の中の暗く、重いものが心の大半を占める。光を全て呑み込んでしまうほどの負の感情がケルンを底なし沼へ引き摺り込もうとする。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだ」
「数人は生き残るかと思っていた『同胞』は皆土に還ったではないか。残ったのはただそれ以下のお前だけだ。」
もう一人の自分、彼女の本心が語りかけてくる。『ケルン』はそれに反論する勇気も、気力すらもない。
「ようやく死ねると思ったんだろう?合法の死を。ここでの死は誰にも手間をかけさせない。むしろ、感謝されたかもしれないというのに、生き残ってしまった。」
『さあ死ね』本心からの言葉に『ケルン』は従う。この短い時間であまりにも多すぎる命をこの手で奪ってきた。さあ、最後は自分の番だ。
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突然、時空が歪んだ。もし、時空が歪んでなかったとしても、そのように表現するのが適していたはずだ。光が歪み暗黒ができると、その中からは人間が現れる。そしてその人間はケルンの手のナイフが喉元に刺さないように強く押さえつけて小さく叫んだ。
『死ぬな』
その後の記憶は曖昧だった。一体自分が何を言ったのかはよく覚えていないが、気がついた頃には自分を救ってくれた人…カリンの部下になっていた。
そうして本当の自分を偽りながら強がって生きているうちに、近衛親衛隊という名誉ある役職の末端に就くことが出来た。けれどもケルンの心に溜まっていく暗いものは無くならない。光が強くなればなるほど影が膨れ上がり、やがて抑えられなくなっていく。
ケルンも元はただの人間なのだ。たとえどれだけ強大な力を手に入れようとも常人の精神では人間の理からは抜け出すことはできない。
ケルンの心が決壊するまであと少し…




