イルニスの取引
イルニス。ケルバトホーク軍管区内に位置する港湾都市。ここに住む市民は労働基準法に準じていない奴隷のような仕打ちを受けている、なんてことはなく、いたって普通の生活を送っている。『普通』の市民ならね。軍人が多いおかげで治安は良いが、我々からしたら迷惑この上ない。全く、厄介な場所だよ。
なんだこれ。ケルンはそう心の中で吐露する。イルニスについて書かれた唯一の報告書がこんな杜撰なものなら、文句の一つも言いたくなるのも仕方がないだろう。
リソトを経由して乗った列車が山に入るところで止まる。ここからが軍管区なのだろう。軍人が列車に入ってきて身分証の提示を求められるが、巧妙に偽装されたこれを見破れる者などそうそういない。
「身分証明ができる物はお持ちでしょうか。」
「はい、どうぞ」
彼は一応形式的に目を通すが、何も問題はないと判断したのだろう。軍人は私に身分証を返し、「ご協力ありがとうございます」と形式的に感謝して立ち去った。
まったく、この世の中はかんた…いや、そういうわけにはいかないよね。
ケルンは紙を一枚めくり、暗号文を解読した内容を思い出して頭を抱える。カリン隊長からしか聞いたとは思えないファンタジー、いやメルヘンかな?そんな内容だった。
『軍管区全体が信仰する神、戦神サヅォヴエールの協力を取り次いできてくれ。』
この会合で何か手掛かりが掴めるといいな。と、ケルンは楽観的に考えて少し遅めのランチタイムにすることにした。
◇
列車から降りると海の潮の匂いが鼻につく。海に浮かぶ軍艦と、レンガで作られた建物はリソトとは違って趣がある。駅から外に出ると一昔前のスーツを見事に着こなしている老人がパイプを吹かせていた。
…あの人だな。
ケルンが近づくと老人はこちらに気がついたのか、口からパイプを離す。
「どうしたんだい?お嬢さん。若いというのは良いことだ。一人旅など、元気がなければ行こうとすら思わないからね。」
「ふさわしい主人を見つけるのはできるだけ早い方がいい。でしょ?」
「想いがか?」
「そう、だからアテヌバは戦神と名高いサヅォヴエールと手を組んだ」
老人は一瞬目を見開いたように見えたが、サングラスのせいでその是非はわからない。そして、一言「ついてこい」と言って歩き出す。人気のない路地まで行き、古ぼけた扉を開ける。その中は白色が渦巻いていて先が見えない。
「確かに私はアルテーヌと手を組んだ。だがそれは、神になり損ねた少年に興味を持ったからだ。戦いの道具であった彼女が、何を思って再び運命に縛られたのか。私は最初から彼を信用していなかったが、一目見た瞬間分かったさ。そして、今では格としては私と同じくらいではないかな?」
ケルンは老人の正体に興味を持ったが、その正体を聞こうとは思わなかった。人智を超えた存在、そんなものの話に自ら首を突っ込むような冒険家ではないから。
「名を聞かないとは。殊勝な心掛けだ。もし『神のいない世界』では大物になることができたもしれないな。」
「僕はそんな世界は望まないよ。だって自分の行動に責任を負いたくはないからね」
未知への恐怖だろうか、扉が怖い。白い空間を冬場に静電気を警戒してドアノブを触るように触れる。…死んだりはしなさそうだね。
ケルンは安全を確認すると、再びパイプを口にくわえた老人の方を向いて言う。
「もう二度と会わないことを願っているよ。サヅォヴエール」
ケルンは扉の先の白い空間に向かって飛び込む。老人は何も言わない。そして、向こうまで彼女が行ったことを確認した後、扉を閉めた。
「もう二度と会わないことを願っている、か。それは無理な願いかもしれないな。なぜなら私はお前を気に入ってしまったから。」
◆
視界が歪んでいる。体が宙に浮かんでいる。頭が物理的にぐちゃぐちゃになったような感覚に陥る。しばらくすると、視界は白に色が付けられ、室内にいるんだと理解できた。
「ケルン様ですね。お待ちしておりました。先にご到着なされた方々は既に先の部屋にてお待ちなさっております。」
「そ、わかった。」
廊下を進むと警備員が見張りに立っている部屋を発見した。
「コルト帝国の第二近衛親衛隊所属、ケルン・ドニトルです。」
「…入れ。」
中に入ると三つの集団に分かれて人が集まっている。軍服を着ている人達はギーバルハ。紺色のスーツを着ている一人ぼっちの人がホシオ。そして、この中で一番人数が多く、多種多様な服装の集団が我々コルト。
ケルンが席に着いたのを確認すると、真ん中に座っている軍服に身を包んだ女性が声を発する。
「ようこそ皆さん、イルニスへ。ここは閉ざされた場所。ですが、我々裏で企むものは少しのリスクも負いたくはありません。そうでしょう?そのため、今回この場を用意させていただきました。さあ、本音は無しで、手早く終わらせようではありませんか。」
彼女がそう言うと、ケルンがひょいと立ち上がる。部屋の中にいる人全員の視線がケルンに集中する。彼女もまさか急に立ち上がる人がいるとは思わなかったのだろう。次にケルンが何をするのか警戒しているようである。
「帝国海軍さんに王国の軍管区の皆さん。それにホシオの幹部の皆さんまで。大物ばかりで僕、緊張してきてしまいました!」
「こらこら、ケルン君。会議の参加者にその態度とは感心しませんよ?」
「チッ、邪魔しないでよハルブルク。僕はまじめな話があるの」
旧友であるハルブルクが遠回しに諭すが、ケルンに凄まれて口を閉ざす。ケルンはハルブルクが大人しくなったのを確認すると、小さく頷いて視線を戻した。
「ねぇ、この前まではオルレンスにいたはずなのになんで此処にいるのかな、ケトゥーヴァ?」
コルト帝国側の参加者の一部からざわり、と声が上がる。おそらく元貴族階級の人たちだろう。それもそうだ。なんたって、帝国の宝剣である『原初の五剣』の内でも格別である一本目、ケトゥーヴァの名前が出てくるとは思っても無かっただろうから。
「…よく気がついたね、ケルン」
シャルル中将の傍に座っていた儚げな女性が立ち上がる。服装も容姿も違うように見えるが、僕の『目』は誤魔化せない。
「聞きたいのはどうしてここにいるのか、でしょ?」
「話が早いね。答える内容次第では、守秘義務のために君を殺すことになる。」
僕が剣を抜くと周りは騒ぎ出すが、シャルル中将は何も言うことはない、といった様子で様子を見守っている。そのため騒ぎはすぐに鎮静化した。
「私が言葉にすると、それは裏切りになると思う。私は二人の主人がいる、今はもう一人のために動いているだけ、ギーバルハに味方することにしたのもそういうこと。」
「ケトゥーヴァ、貴様!」
ケルンの姿が朧に消える。次の瞬間、ケルンの剣はシャルルの人差し指で受け止められていた。
「君、わざと手加減したでしょ。」
「ちぇ、なんでわざわざ言うかなぁ。」
刃先に触れつつも、血を流すことない指に気味悪さを感じながら、ケルンは剣を鞘に納める。シャルルはそれを確認して表情を緩める。刃先が当たった感覚が残っているのか、親指で人差し指の腹をそっとなでる。
「まあいいじゃないか。二重スパイなんてよくある話だ。必要なら後で話し合いの場を用意してやらん事もないから、とりあえず座ってくれ」
アイツ、ケトゥーヴァ本人には何もしゃべらせないつもりだな。サヅォヴエールって神様は案外頭も働く戦いの神っぽいね。
主催であるシャルル中将に座るように言われてしまった以上、素直に従うしかない。ケルンはハルブルクの隣の席に座る。
「ケルン、さっきのあれ、もうちょっとどうにかならなかったのかい?話し合いの場で剣を抜いたことについてはもういい。ケトゥーヴァといえば『原初の五剣』って言っているんだから人間な訳ないだろ?」
旧友、というより腐れ縁のハルブルクが小声で話しかけてくる。せっかく就いた役職が陸軍と海軍で別々だったのに、まさかこんなところで再び出会うことになるとは。
「何を言っているんだい?剣、普通しゃべるでしょ?たまに人になれるのもいるけど」
まあ、しゃべるだけでもかなり高貴な剣なんだけどね。そんなことを知らずに自分の剣に耳を傾けるハルブルクの様子は面白かった。
◇
やっぱり会議はつまらない。予め各々が何を求めているのか知っているはずなのに、内容のない話をいつまでも…キレるよ?
「…それでは、首都空襲の規模を縮小するということですか?」
「ええ、降下猟兵は特殊部隊と魔導兵を徴収して何とかなりましたが、やはり航空機の数には限りがありますから。」
「そうすると私たちカルモック組への圧力が強くなるということだね?」
「そこは心配なく。『執行官』には我々の”精鋭”を当たらせる用意がありますので」
「ほぅ、ならこちらとしてもこれ以上言うことはないかな。カヌーロもそれでいいかい?」
「こちらとしてはそれだけの陽動があれば常備兵力でも十分に制圧可能でしょう。本国政府にも色のいい返事が書けそうです」
…やっと終わったかな?皆が小声で話し始める。もう十分だろう。荷物を背負い、部屋から出ようとすると、足を組んで座っているシャルル中将と目が合った。
「…なんですか?僕が剣をケトゥーヴァに向けたこと、怒ってます?」
「いいや。私の部下にはもっと酷いのがたくさんいるからね。これぐらいどうってことないさ」
「じゃあ何故?」
シャルルの目が一瞬輝く。すると、頭にギーバルハ王国にはどこにでもありそうな大きめの教会の景色が映った。
「タルガロス大聖堂。リソトにある女神信仰の総本山さ。神話では女神自ら創造したと言われてもいるね。ケトゥーヴァからの謝罪の品だと思って受け取って欲しい。『第二近衛親衛隊の皆には申し訳ないことをしてしまった。だからみんなに必要だと思う情報を渡して欲しい』って言ってたかな」




