闇で蠢く〔中〕
「フォンフィールさん、ですか?」
死体が動き出したわけではないということはわかる。いや、分かっているけれど、死んだはずの人が、何事もなかったかのように私に話しかけてくるこの状況に動揺しないでいられるわけがない。
「ええ、そうよ。あの時の『私』は自分の行動をあまり理解できていなかったようだけど、より『私』に近い私ならよく理解るわ。」
ゆったりとした態度で私の方に歩き始める。だけど、何かおかしい。フォンフィールさんのはずなのに『それ』が何か皮を被った化け物のように感じられる。一歩、また一歩と歩みを進めていくと、『それ』がプリズムに光を通した時のように分かれて、フォンフィールさんの中に潜む何かの姿が見えてくるような気がする。
「世界中の人が魔力と呼び、恋焦がれる現象の正体、それは信仰のことなの。信仰は、どれだけ神に近いか、信心深いかで決まる。前者は一瞥を受け止めるための器、後者はどれだけ対価を貰えるかの指標。アレクトちゃんもコルト帝国の貴族なのでしょう?神と同等の力を持つヴィルフリードに近しい存在なら、きっと膨大な魔力を扱えるのでしょうね。」
フォンフィールだったものを中心に視界のノイズが広がる。何かが見えるような気がするが、直感が直視してはならないと警鐘を鳴らしている。動こうとしたが、うっすらとタコかイカかわからないけれど、触手のような何かが足と腕に絡みついて動けない。
「私も、生まれたころはただの人間だった。女神に一瞥されるまではのことだけど。何者でもない私に、器がいくらあっても足りない祝福を何故女神様は注いだのでしょうね。」
だめ、止まって。そう口にしようとしたが、口が開かない。触手は私の体中を這い、皮膚を剥ぎ取ろうとし、舌を引き抜き、眼を繰り貫こうとしてくる。フォンフィールだった『それ』のノイズは留まることを知らず、今では直視してもそこには『何もない』。
「苦しかった。ねえ、アレクトちゃん。この世のものは全て毒なの。何事も適量が一番。」「私はその後、溶けたの。勿論、物理的にではないわ。」「ココロの中心からチョコレートを湯せんするのと同じような感覚で、ドロドロに溶けて、ひび割れたところから力が漏れ出していくの。」「力を制御しようとしたら増えたの。」「『私』が。もう何もわからなくなってしまった。漏れ出した『私』を他人に入れてみたら、その人も『私』になったの。」「『私』の情報は全て私にも共有される。苦しさが増していく。」「だから死んでみたわ。」「だけど死ななかった。」「女神様は私がいくら祈ろうとも二度と接触することはなかったの。」「ダから、私ヲ、『私』ごト、殺して欲しイの。剣神の力デはダメだった。」「やッと見つケたの、ソノ『法治主神』が置いていった『断星の剣』ならきっと、イヤ、必ず私を女神の祝福から救い出してくれる。」
目は潰れたの?視界には何も見えない。耳は引き千切られてもうないの?味覚はまだ生きている。だって血の味がするから。もし嗅覚がまだあったらフォンフィールさんの匂いか確認できたのに。
「……!」
空気が振動したような気がする。そして次の瞬間、暗雲は消え去り、天井から落下してくる隊長の姿が眼に映っていた。
「アレクト、剣を抜け!」
隊長の怒号が飛んでくる。聴覚が戻ってきた。いつの間にか謎の拘束感も解けて、手足も自由に動かせるようになっていた。
「…!アレクトちゃん、ごめんね、わたs」
フォンフィールさんの目に一瞬光が戻るが、それまでだった。内側に潜む『それ』から腕や脚が生えてくる。『それ』は殻を突き破り、あるはずのない『姿』を成す。体の中央部は膨れ上がり、生えてきた脚たちはその重りでひしゃける。目だったものは空気を入れている時の風船のように膨れ上がり、微妙に茶色い半透明の粘液を飛ばして爆ぜた。その跡には小さいいくつもの目が産声を上げている。
「隊長、どうしてここが分かったんですか!?」
「次元を引き裂いただけだ。そんなことよりアレクト、『あれ』はお前を狙っている。出来るだけ気を引きつけろ。後は私が片付ける。」
「え!?わ、分かりました。やるだけやってみます…!」
禍々しく変貌した数本の腕が私に向かってくる。肌だったものは変色し、生気が失われている。爪は鋭く、私の体を突き刺すのも容易だろう。一本一本丁寧に対処する。切り落とそうと試してみたが、骨に阻まれてなかなかうまくいかない。
チッ、化け物が。修道服を着ていたように見えたが、彼女は一体誰だったんだ?私の方を見ている目は三つ。残り四つがアレクトの方を向いているのを見るに、こちらに向かってくる腕は三本。
カリンの予想は的中し、胴体部分の後方から三つ腕が飛び出してきた。カリンは走っていた壁の柱を蹴り、跳躍する。太刀を両手で握り、一閃。伸びてきた腕は細切れになり、行く手を阻む障壁は無くなった。
『違ウ、貴方じゃない。『法治主神』の遣いダトしてモ、私が欲シいのは眷属神が主神の代ワりに執行すル時の主神ノ力。邪魔をシナいで。』
細切れになったはずの肉片が膨張してカリンを巻き込み、そのまま癒着する。カリンは必死に抵抗するが、踠けば踠くほど拘束は強くなっていく。
「アレクト…!」
隊長が肉片に呑まれてしまった。腕は隊長を掴んだまま胴体へと戻ってしまう。だけど、私には手出しをする暇すらなかった。目がこちらを凝視してくる。恐怖に負けて外聞を忘れて逃げ出しそうになるが、多分、ここに逃げ場はない。
魔力をありったけ使って身体強化をする。体が軽い。そのまま浮かんでしまいそうだが、いや、このまま何も考えずに跳ねたら本当に天井に頭が埋まってしまうだろう。腕がこちらに向かってくる。今までと違いスパスパと切れるが、その分消費も激しい。このまま本体に切り掛かりたいが、カリン隊長が吸収されてしまった以上、迂闊に攻撃する訳にはいかない。
「へ?」
私が切って宙に浮いた手がこちらに伸びてくる。間一髪で回避できたが、髪がバッサリといかれてしまった。…髪には身体強化は掛からないのおかしくないですか?
視野が広いように感じる。心臓の拍動がよく聞こえる。疲労感が魔力で和らげられて伝わってくる。カリン隊長の安否が気になるが、今の私には自分のことで精一杯で自分の無力感に嫌気がさす。
「斬っても斬っても再生するし、本体から切断されても動くって、ずるくないですか!?」
魔力の消費が激しい。このまま戦い続けてもこっちが不利になるだけと、わかってはいるが勝機が見えてこない。カリン隊長はあっさりやられちゃったし、何か、何かないの?
『やッと見つケたの、ソノ『法治主神』が置いていった『断星の剣』ならきっと、イヤ、必ず私を女神の祝福から救い出してくれる。』
「グラーコが何かはわからないけど、これしかない。ケトゥーヴァは何も語らないけど、このまま何もしないで死ぬよりはましなはず」
アレクトはケトゥーヴァにありったけの魔力を注ぐ。だけど、怪我はしたくないから身体強化の分は残しておいて。魔力を注がれたケトゥーヴァが淡く光を纏う。その色は涙の色に思えた。何故だかわからないけれど、一人で泣いているように。誰にも悟られないように、ひっそりと。
◆
『ケトゥーヴァ、其方にイオニアの星の監視を任せる。我々に対し何の連絡も無しに他の神の管轄下に入った生命の胎児の眷属だが、思惑が判明するまでは眷属同士の戦いには介入してはならない』
『かしこまりました。必ずや務めを果たしてみせます。』
◇
『イオニアは生命の胎児の眷属が下した。彼らは長い眠りにつき、地上には人間が自分たちで創り出した神を祀り、その神も既に地上を去った。私の役目は既に果たしたはず。私は、私は…何のために此処にいるの…?』
粗い景色が見える。そこには一人の少女だけが映っているが、私が見たことのあるケトゥーヴァとは容姿が異なっていた。映像のケトゥーヴァはこちらより大人びていて、それに目が青い。
■
『其方は我らが主神に認められた。断星の剣の権能を発動するための詞を授けよう』
■
星空の星一つ一つが私を見ているような感覚。不気味に思ったが、それ以上に畏敬が感情を埋め尽くす。彼らが私の頭の中に直接詞を書き込んでいく。あまりの不快感に藻掻こうとししたが、体の制御が効かず、彼らの詞が勝手に自分の口から発せられてしまう。
「『我らは秩序、全ての力は主神の下で行使される。理を外れし異形よ、今、秩序の名において断星の剣の権能を発動され、世界は秩序を取り戻す』」
ケトゥーヴァがますます輝き、ケトゥーヴァの切っ先はかつてフォンフィールさんだったものに向けられる。化け物は光から逃れようと必死に自身の重さで潰れた足を動かすが、私が左手を向けると、化け物は上からの力で押しつぶされたように地面に埋まり、逃れることはできなくなる。
「『執行』」
光が迸り、一瞬で化け物の姿は無くなった。あの凄惨な姿からは想像もつかないほどあっけない最期だった。
「アレクト、助かった。ただ、替えの服がないのが困るがな。」
隊長は無事に戻ってきた。ただ、血と体液が服にべっとりと付着していて辛そうだ。
「…?お前、目の色が変わっていないか?」
「隊長、私の目、何色になったんですか?」
「紫色だ。私の髪の色と同じような感じのな」
よく見てみると今まで黒髪かと思っていた隊長の髪の毛の内側は、暗めの紫色をしていた。こんな感じの紫色ならあんまり違和感はないかな?
脅威は無くなり、カリン隊長も無事だったので安堵していたが、急に空間は音を立てて崩れ始めた。隊長は咄嗟に太刀に手を添えるが、空間の崩壊は止まらない。
空間が崩壊すると視界は一面白くなり、浮遊感から宙に浮いていることが分かる。このまま落下してしまえば、最悪落下死なんてことも無くはない。何かできることがないか考えていると、体の底に何か力があることに気が付いた。それが何かは何故かすぐに理解することができた。力を意識するとふわりと体が浮かぶ。
「重力を操れるなんて、グラーコって神様は良い能力をくれましたね。よくわからない詞を頭に直接書き込んだことは特別に許してあげましょう」
暫くすると、宙に浮いていなくても一定の場所にとどまれるようになり、白い空間から元の場所に戻ることができた。流石に返り血が付いた服で駅のホームにそのまま放り出されたら危なかったが、目覚めた場所は、小さな教会のようなところだった。辺りを見回すと、石の椅子に原型を留めていないほどの外傷を負っている死体と、白いフードを被り、修道服に身を包んでいる女性の二人のみで、とりあえず即通報ということはなくなった。
「お帰りをお待ちしておりました。レルフィール様を殺してくださり、どう感謝したらいいものか…」
「レルフィール様ですか?私が会ったのはフォンフィールって名前の人です。もしかして人違いではないですか」
女性は一瞬困惑したが、すぐに納得したように頷いた。
「レルフィール様は複数の名前を使っていましたので、貴方様の前ではそのように名乗っていたようですね。…ひとまずお体を清めてはいかがでしょう。修道服なら着替えはありますし、ここは人の出入りは滅多にないので、数日間なら誰にも知られずに身を潜めることも可能です」
「その提案はありがたいですが、その姿を見るにあなたは国教府の者でしょう?私たちを駅で待ち伏せしていることから考えるに、リニュークに来ることも以前から察知していた様子。それに、下手したら私もアレクトも死んでしまう事態に追い込んだ張本人である人をどうやって信用しろというのでしょうか」
隊長の言い分も確かだけど、流石に言い過ぎな気がする。隊長がそんなに国教府を警戒する理由はわからないが、彼女は私でもわかるほどに殺意がない。そのことは隊長でもわかっているはずだ。
「…私が知っている情報ならば全てお話しましょう。ですが、その前に体とお召し物は清めてください」




