闇で蠢く〔上〕
『本当に来てくれたのね。嬉しいわ。でも、一人じゃないのね。けれどその様子だと、これから一緒に観光するって訳ではなさそう。』
淡い光が辺りを照らしている。体は心地よい感覚で包まれていて、動こうとしても不思議力が湧いてこない。体をひねって動こうとしても、鎖が体に巻き付けられているかのように元の場所に戻ってしまう。
『ねぇ、この前の言葉を覚えていてくれたのはうれしいけれど、その時の「私」は言葉足らずだったようだから、少し補足させてもらうわね。』
反対側から少し声色の違う声が聞こえてくる。この声は…フォンフィールさん?
『ええ、その時の私はそう名乗っていたらしいわね。ここでも私達のこともフォンフィールと呼んでくれて構わないわ。それでね、伝えたいことというのはね』
複数の方向から声が聞こえる。まるでフォンフィールさんが複数人いるような感覚だ。そして、この心地よい感覚は水の中のようだと表現するのが適切なのかもしれない。
『まあまあ、要件を伝えてそれでさよならというのは流石に無神経が過ぎるのではなくて?せっかく話せるのだからもう少しゆっくりしましょう?』
『でも、ゆっくりしすぎても「本体」の負担になってしまうわよ?』
『それもそうね。それじゃあ機会があったらお茶でもすることにしましょう。アレクト、聴いて。今の状況から私たちにたどり着くために必要なことは一つだけ』
彼女たちが話すのをやめ、静寂が訪れる。姿をはっきりと捉えることはできないが、皆の視線はきっとこちらに集中しているのだろうと思う。
『リニュークで白いフードを被った女性を探して』
複数の声が重なって囁いてくる。ギーバルハ王国でフードを被っている女性は国教府の関係者で近づいてはいけないと教えられたけど、そんなことを考えているうちに意識はどんどん遠のいていく。水のような液体が体に入ってきて私の体は沈んでいき、段々と視界は暗くなっていく。それでも彼女たちは私を見つめ続けていた。
◇
「ん…もう朝?」
ベッドが窓の近くにあるため、太陽の光が直接入ってきて眩しい。久しぶりに欲求を満たす睡眠を取れた気がする。リビングの方から人の生活音が聞こえてくる。きっとカリン隊長が朝食でも作ってくれているのだろう。
「おはよぉございます」
ぐっすり寝たはずなのに欠伸が出てしまう。カリン隊長がエプロンを着て朝食を作っている姿は今までとのギャップでとても可愛らしい。
「アレクト、悪いがほかの二人を起こしてきてくれ。ケルンはおそらく寝る間も惜しんで機械を弄っているだけだろうから声をかければすぐに気づくだろう。ケトゥーヴァは…お前の方が詳しいんじゃないか?」
「お父様から受け取った剣があんなお転婆だと最初から分かってたら受け取り拒否しましたよ。」
最初はよくしゃべるなと思っていたけれど、ヴィルフリード様の前で人型になってからは何かに焦っているような気がした。私の勘違いだといいけど…
「起きていますか?朝ですよー」
部屋に入るとカリン隊長が言っていたとおり、机に突っ伏しているケルンがいた。私が背中を指で軽く突くとケルンの体は少し震えて、机に伏していた上半身を起こした。
「なんだい…?あぁ、おはようアレクトち。起こしに来たってことは隊長が呼んでるのかな?」
「はい。朝食を作っていたので早くリビングに来いと言っていました。」
私の言葉にケルンは頷くと、寝起きでまだぼやけている視界の中、手探りで眼鏡を探すとスタスタと部屋から出ていった。
次はケトゥーヴァを起こしに行こう。ケルンの部屋の反対側にある扉を開ける。けれど、そこにケトゥーヴァの姿はなかった。窓は開けられたままになっている。そこから外に出たのかと思ったが、ベッドの傍らに本体である剣が置かれていた。なぜ窓が開いたままなのか不思議に思いつつも、ひとまずケトゥーヴァを連れて戻ることにする。
「戻ってきたか。ケトゥーヴァはどうした、まだ寝ているのか?」
「いえそれが、剣の姿に戻っていたんです。あの子が何を考えているのかわからないですけど、とりあえずこれで全員です。」
「そうか、それじゃあケトゥーヴァの分まで食べておいてくれ。持ち主なんだから当然だろ?」
「えぇ!そんなのないですよ!?」
朝からスープを作るなんて、と思ったけど、これ缶詰を温めただけだ。しかも隊長、パンに尋常じゃない量のジャム付けてる。甘党なのかな。一人分で結構な量あるのにこれを二人分なんて、今日の昼ご飯はいらないかもしれない。
「うげ、もう食べられません。」
「だろうな。朝っぱらから二人分の食事を摂ろうとはだれも思わん。」
だったら食べさせないでくださいよ。うう、お腹が痛くて動けない。
「隊長う、リストありがとね。早速なんだけどちょっと接触してみたい人がいるから出かけさせてもらうことにするよ。今日中に帰ってくるつもりだけど、もしかしたらしばらくは帰ってこれないかも。」
「わかった。帰ってくるのがいつになるのかわからないのはこちらも同じだ。食料や別途で購入が必要なものは今ある金額だけでやりくりしてくれ。今ある分で足りなかったらリロから仕事をもらってくるなり、なんなりして自力で稼いでくれ。」
「りょーかい。」
どうやらケルンはもう出かけてしまうようです。その身の軽さは無理やり二人分の量のご飯を食べた私とえらい違いです。
「さて、アレクト。正直言って第二近衛親衛隊がやらなければいけない任務はケルンが全て片付けてくれるだろう。そのため、正直なところ私達はこれからしばらくは自由時間だ。そこで、お前が言ったフォンフィールが遺した言葉に興味がある。なぜ公的な記録ではコルト生まれコルト育ちの彼女がギーバルハ王国第三の都市であるリニュークに来いと言ったのか、何かもっと情報はないのか?」
私に視線を合わせて隊長が話すように促してくる。正直隊長がここまで興味を持つとは思わなかった。それに、さっき見た夢の内容が本当ならば事は思っていたよりも早く真相にたどり着けるのかもしれない。
「昨日私が寝ている時、夢でフォンフィールさんみたいな声が聞こえてきたんです。声は複数から発せられていたんですけど、どれも同じような声色でした。そして、夢の中のフォンフィールさんはギーバルハ王国に来たことを察知しているみたいで、そのことを喜んでいました。」
カリン隊長の目が大きく開いた。今までの内容でそこまで驚くことはあっただろうか。別に魔法という概念が蔓延る今の状況でなら何でもありだと思うが。
「待て、その夢の中とやらでフォンフィールと思わしき声はこちらがギーバルハ王国にいることを知っているのか?だとしたら早急に行動する必要があるかもしれない。武装修道女とつながっているなんてことも考えられなくはない。」
「へえ、大変なんですね。それじゃあ、フォンフィールさんが白いフードを被った女性を探せって言ったことも何かの罠かもしれないですね。」
私の言葉に隊長はコクリと頷きました。もし本当にフォンフィールさんがギーバルハ王国側の人間だとしたら私たちはまんまと罠に嵌るところだったのかもしれません。
「だが今の状況をチャンスと捉えることもできなくはない。国教府の人間と接触して何か情報を引き出すことができたら、皇帝陛下が仰っていた女神の降臨とやらを阻止することができるかもしれない。」
「それじゃあとりあえずリニュークに行くことは決定ですか?」
私がそう言うと隊長は不敵な笑みを浮かべました。
「ああそうだ、早速出発の準備をしろ」
◇
リニュークは戦前まではリソトに次ぐ大都市だった。大規模な港湾が整備され造船業などの製造業も盛んだが、郊外には広大な麦畑が広がっており、ギーバルハ王国の食料庫としての役割も担っている。
「まさかリニュークまでこんなに近いとは思いませんでした。ギーバルハの交通網はこんなに発展しているんですね。」
「コルトの地形は山がちな地形だし、新大陸と旧大陸が海で隔てられているからな。平野が広がるギーバルハのようにはなかなかいかない。」
車窓から外を見ていると、段々と人工物の数が増えてきて再び都会に近づいてきたのだとわかる。軽装でやってきてしまったけれど、リニュークにも協力者がいるのだろうか。
「街中には本格的に国教府の目が光っている。くれぐれも不用意な発言は控えろ。それと何があっても人前で剣を出すなよ?身体強化を使うと勢い余って顕現させないとは言い切れないからな。くれぐれも気を抜くなよ。」
「わかりました。先に身体強化をかけておきます。」
身体強化を自分にかける。ケトゥーヴァから魔力が流れてくるが、声は聞こえてこない。もしかしたら人の姿を維持するのは時間制限があって、今は休憩中なのかな?
列車を下りてしばらく駅の構内を歩くとカリン隊長が急に歩みを止めた。
「お待ちしておりました。アレクト様にカリン様ですね。レルフィール様がお待ちです。」
「待て、何故私たちの名前を知っている?」
通りすがりにそっと耳打ちしてきた女性の腕を咄嗟に掴む。視線を顔に向けると、アレクトが言っていた白いフードを被ている女性だった。彼女の首にかけているペンダントが一瞬輝きを放つ。
「それについては主であるレルフィール様が後々お話になるでしょう。」
カリンとアレクトが世界から切り取られたように一瞬白くなり、消える。女は、カリンに引き留められてふわりと浮いたフードを深く被り直し、再び何事もなかったかのように歩き出した。
◆
「うーん?ここは、どこ?」
ひんやりした床の感覚に目を覚ます。隊長が急に立ち止まったかと思った次の瞬間、何故か地面に倒れていた。周りを確認しても、カリン隊長の姿は無く、女性の姿を模したステンドグラス越しの光が教会のような場所を照らしている。それに、外は夜なのか真っ暗な夜空に月が浮かんでいるが、空があまりに暗いのか、月の明るさを感じられない。
「…あ、ら?ようやく、ようやく来てくれたのね。待ってたわ、アレクトちゃん。ずっと、ずっとこの時をね。」
この部屋の奥の祭壇に一人の修道服に身を包んだ女性がこちらを向いて立っている。身体強化をしていたおかげで、このくらい空間でも顔がはっきりと見える。
「フォンフィールさん、ですか?」




